第一章 座席の遺物
そうだ、僕だ。芥川龍之介だ。タクシーの怪談を、「銀色のアタッシュケエス」にまつわる怪談を、人間のエゴイズムと不可解な因果が交錯する、凄惨かつ理知的な三章の物語へを執筆しよう。
ある秋の夜、僕は新宿の喧騒を離れた、ある寂れた停車場で、一台の辻自動車を待っていた。夜気はどす黒い沈殿物のように街を覆い、街灯の光は病人の眼差しのように鈍く、アスファルトを照らしている。そこへ滑り込んできた車を操っていたのが、二階堂という名の、頬の扱けた男であった。彼は震える手で煙草を燻らせながら、僕にその「筥」の話を語り始めたのである。
それは、時計の針が丑三つ時を指そうとする頃であった。
二階堂君は、駅の乗り場で客を待つともなく待っていた。車内の空気は、澱んだ泥水のように重苦しい。ふと、彼が後部座席へ視線を投じると、そこには不釣り合いな「銀色の閃光」があった。
銀色のアタッシュケエスである。
それは、月の光を反射する刃物のように冷ややかに、座席の中央に鎮座していた。彼は怪訝に思い、車を降りてその筥を手に取った。ずしりとした金属の冷たさが掌に伝わる。前のお客が忘れていったものに相違ない。しかし、彼には客が降りる際、そのようなものを持っていた記憶が露ほどもなかったのである。
彼は好奇心、あるいはある種の卑しい虚栄心に駆られ、その筥の錠を外した。
「カチリ」という硬質な音が、静寂を切り裂く。中から現れたのは、煌びやかな財宝でも、機密の書類でもなかった。
そこにあったのは、泥に塗れた子供の運動靴と、汗の染み付いた古びた体操服であった。
「なんだ、これは……」
二階堂君の口から、乾いた失笑が漏れた。銀色の豪奢な外装の中に、無価値な「過去の残骸」が詰め込まれている。それはあたかも、立派な背広を纏った紳士の胸中を解剖した際に、どす黒いエゴイズムが露呈する瞬間のようであった。彼は舌打ちし、その筥を助手席の足元へ放り出した。次の客が来たからである。
彼は仕事という名の日常に逃避し、足元の「銀色の重み」を無視しようと努めた。しかし、走行中、彼の耳には、助手席から微かな「衣擦れの音」が聞こえてくるような気がしてならなかったのである。




