8話 使い魔の殺処分
1年前。
「……此処が、魔王城か」
「ええ。――入りましょう」
あの時、2人の弟子は魔王城に遅れて到着した。
魔王直属の幹部集団――「大幹部」。その対処と撃破に手間取り、アリス達との合流が遅れたのだ。
「もう少し早く着けたはずだ。……リーシャがヘマしなけりゃな」
カイルは、舌打ち混じりにそう言った。
「私のせい? 「大幹部」5人を相手にして、倒したのは2人。――でも、両方倒したのは私よ」
「だが、それ以外を逃がしてる。それも事実だろ」
これ以上、反論はしなかった。
勝利を収める為に、焦りがあったのも事実だ。何より――一刻も早く、主の元へ辿り着きたかった。だからこそ、詰めが甘くなった。
そして、私達は魔王城に入った。
――着いた時には、全て終わっていた。
戦っている様子も無く、魔力の残滓だけが漂っていて、魔王城自体も半壊していた。
「――え」
――魔王と主が、居るはずの場所。そこに、魔王の気配は無かった。
「……どうした?」
「いや、あれは……」
玄関広間。2階へと続く階段の先で、誰かがこちらを見下ろしている。
敵であるなら、既に攻撃を受けている。
相手にその様子が無いのは――こちらを敵と見なしていないからだ。
「――アリス、様……ですか?」
立ち姿。それに、溢れ出すほどの魔力の気配。
リーシャは階段の先に立つ何者かを、反射的に主と認識した。
「いや……違う。あなたは」
次の瞬間、それは誤りだと理解する。
――これは、主ではない。
「――イリス」
リーシャ達の前に現れたのは――1体の使い魔だった。
主にそっくりの魔力量で、容姿で、少し違うとしたらその髪色ぐらいの使い魔。
「……」
そして。
彼女は、大魔法使いを抱えていた。
「おい……そんな……は?」
その身体は力なく垂れ下がり、二度と目を覚まさない。直ぐにでも分かる静けさだった。
呼吸の気配は無く、魔力の循環も途切れている。だが、本能はその死者を主と呼んでいた。
「なん、で……」
――言葉が失われた。それから、錯乱した。
あれほど慕っていた、絶対の存在だと思っていた「大魔法使い」が死んだ。
どうして、主が死んだのか。
理不尽だった。理解できなかった。有り得ない。
あの人が死ぬなどという結末を、誰が想像できただろう。
魔王の脅威なんか、あの人にかかれば相手にならないだろう。
――怒りと共に、疑念が湧いた。
「――なんであなただけ、生きているの」
視線が、亡骸からイリスへと向けられる。魔王でさえも、主と使い魔が協力していたなら簡単に倒せたはずだ。
どうしても、使い魔だけが生き残るような結果は考えられない。
――だってこの使い魔は、命令が無ければ動けないのだから。
彼女に対して、行き場のない強い怒りが芽生えたのは、この時からだった。
「死ぬはずがない。あなたが生きているなら……アリス様も」
それからずっと、主が死んだ理由を捜した。
――だが結局、その理由は使い魔にあると考えざるを得なかった。
「……答えなさい、イリス」
使い魔は、リーシャに対して何も言葉を返さない。ただ、主の身体を抱く腕に、僅かに力が籠もっただけ。
「答えられないなら……せめて、主を――アリス様を返して」
2人の弟子と使い魔との会話は、そこで途絶えている。
リーシャの疑念は変わらなかった。1年かそこらで、それが揺らぐ事は無かった。
――主を助けられなかった使い魔。
――主の命令を、裏切った使い魔。
――主を捨て、自分だけ生き残った使い魔。
どんな呼び方をしても、結論は変わらない。他の答えがあるとしても、それを確かめる方法は無い。
――半年前。私は主の墓を訪れた。
主を失って何もできない使い魔も、そこにいた。
――使い魔は何も、変わっていなかった。
リーシャは、「それらしい」理由を見つけて、使い魔を処分する決意をした。それが、大魔法使いの弟子としてのやるべき事だと信じて。
命令しか知らないはずの使い魔だけが、あの場に生き残って、主は命を落とした。それだけで――疑う理由としては、十分すぎた。
――それ以外に、納得のいく答えは見つからない。
「――っ!?」
「悪いな。このまま、死んでもらうぜ」
窓を突き破ったカイルによって、イリスの心臓を目掛けた、剣先が貫く。
これで終わる。――とは思えなかった。
「く、うっ……ッ!」
「カイル!」
「く……逃がすかッ!!」
心臓を狙った一撃にも関わらず、イリスは落命せず、剣先を強引に取っ払い、破られた窓の外へ逃走を図る。
――使い魔の殺処分は、周到に仕組まれたものだった。
アリスの死後、主のいなくなった使い魔の処遇を巡って、「限られた者」の間で議論が交わされた。
リーシャは殺処分に同意した。それを聞いたカイルや他の人間は判断に迷いを見せたが、彼らには正当――に見える理由が突き出された。
「てめえに逃げ場は無ぇぞ! 魔族ッ゙!!」
主が亡くなって、イリスは無主の使い魔となった。
この先、どこかでアリスの死が公表されれば、遺された使い魔を悪用しようと目論む輩が現れる――最悪の場合、彼女が「大陸を滅ぼす殺戮兵器」に変貌する可能性もある。という理由だ。
もっともで、実際にあり得る話。――そうして、彼女は使い魔を殺処分する大義名分を得た。
――大義名分はあっても、殺せるとは限らないが。
「ら――ッ!」
「う……」
罵声と同時に、イリスの身体が棚に叩きつけられ、衝撃が伝わる。
壁面は崩れ、木片と石片が雨のように降り注ぐ。
1年の間に、使い魔の行動は完全に監視済みだ。麓の町へ出たことは少し誤算だったが、それでもこの包囲に影響は無い。
イリスがこの邸宅に入った時点で、既に包囲は完成していた。
「……っ」
イリスは息を詰め、地面を蹴る。だが、次の瞬間――空気が歪んだ。
「遅い」
視界が反転する。
背後からの衝撃。神速の踏み込みで回り込んだカイルの蹴りが、イリスの脇腹を抉った。
「――終わりよ」
「……!」
視界の向こう。
「感情のない」使い魔に向けられた、感情のない瞳。だがその奥底では、激しい魔力が渦を巻いている。
「召喚魔法・腕――烈火龍」
腕輪を掲げ、詠唱する。詠唱に応じて顕現するのは、紅い鱗に、巨大な翼と威厳のある風格を帯びた紅蓮の龍――業火龍。
召喚魔法――リーシャ・ガルシアの使用する魔法。
自らの魔力や身体機能、意思――あらゆるものを対価として、自身と契約を交わす魔物を召喚し、使役する魔法。
リーシャが指を鳴らす。
直後。屋根を――邸宅を――使い魔を屠る焔の息吹が、空から舞い落ちた。
――私は、使い魔の誕生にも立ち会った。
「ここをこうして……よし」
静かな声だった。だが、その手つきには一切の迷いがない。
魔法陣の中心に横たわる器――人の形をしたそれに、主はそっと手をかざす。
「……」
使い魔の心臓部に、莫大な魔力が流し込まれる。
――曰く、最後の工程なのだという。
疑問に思った事がある。
なぜ、「大魔法使い」ともあろう者が、今になって使い魔なんて創ったのか。
「アリス様」
「んー……今集中したい」
周りのことを忘れて考え込む主の姿を、ぼんやりと見つめる。
軽くあしらわれる。けれどそこに怒気はない。むしろ、どこか――焦っているようにも見えた。魔力の流れが、一瞬だけ乱れる。
それを強引にねじ伏せるように、息を整える。それからまた、驚くほどの魔力が流し込まれる。
これでも主は――大魔法使いだ。誰かに守られる必要も、命を預ける相手も、必要としないはずだった。
「ねえ、リーシャ」
「何でしょうか」
「私さ、今こうして頑張って……もう少しで完成する所まで来たけど」
その言葉に、何故か胸がざわついた。
「なんで私は、必死こいてこの子を創ってるんだろうね」
冗談めかした口調。
だが、その瞳は、遥か先――私には見えない何かを見ていたような気がした。
リーシャは、大魔法使いの弟子の1人だ。
主と初めて出会った時から、救い出された時から、彼女は大魔法使いを追い掛けて、同じ目線に立ちたいと思い続けた。
魔法の技術は、無理やり身につけたものだ。「もう1人の弟子」とは違って、リーシャは決して才能に恵まれた訳では無かった。
腕を依り代にして、首を担保にして、寿命を削って――そうしてまで、彼女は大魔法使いに近付いて、彼女が何者かを知ろうとした。
けれど、主には到底届かなかった。
――大魔法使いが死んだ今も、彼女は何者なのか、全く分からないままだ。
「君は、今日から私の使い魔だ。よろしくね」
使い魔が誕生した瞬間も、リーシャはアリスの側にいた。
そう言った時の主の目は、よく覚えている。
――待望の対面にしては、少し味気ない感じ。
「……」
主は、使い魔に色々な事を叩き込んだ。とても正確に、その時必要になった知識を前もって、教え込んだ。リーシャ自身も散々手伝わされる羽目になった。
まさか――あんな結末に繋がるなどとは知らずに。
――主は、そんな使い魔に殺される為に知識を与えたのか。
分からない。主が使い魔を創った理由も、使い魔にあれだけの知識を与えて、一緒に生きた理由も――魔王との決戦で、主だけが死んで、使い魔だけ生き残った理由も。
「……私は」
――結局、見つけられなかった。
大魔法使いにでもなれば、きっとその理由は分かる。
――けれど私は、大魔法使いにはなれない。
だから、大魔法使いの弟子として、選べる選択肢は1つしか無かった。
視界が業火に覆われる。
息吹が叩きつけられるよりも前に、彼女は近接戦闘をカイルに任せ、邸宅の外に出ていた。
「……」
「おい! 俺ごと焼き払うつもりかよ!」
味方ごと焼き払ってしまうほどの威力と、突飛なやり方でなければ、この敵は倒せない。
「私は……勝って、証明する」
「ん……?」
「業火龍!」
「グォ゙ァ゙ーーーッッ!!」
リーシャに、それ以外の選択肢は無かった。
ここで使い魔を殺して、証明する以外に無い。
――主が使い魔を創ったのは、間違いであったということを。
「……結界か、いつまで持つ――か!」
いつまでも分からない疑念と、行き場の無い怒りが真っ直ぐ使い魔に向けられた。
焔は確かに命中した。だが、その流れは邸宅を避けていった。
結界。防御魔法の一種によるものだ。そしてそれは、他でもないイリスが仕掛けた魔法。
カイルが直接結界を叩き割ろうと奔走する。それに対し、イリスは一切反撃の意思を見せない。反撃する必要さえも無いということか。
――随分と、甘く見られている。
「(こっちの魔力切れを誘ってる……なら)」
腕を再度掲げ、業火龍を一度消滅させる。
召喚魔法において、召喚と消滅のタイミングは召喚者の任意に委ねられる。
それが、リーシャの自由自在な戦闘方式を形作っている。
「召喚魔法・脚――白傀儡 黒傀儡」
足元に着けられたアンクレットから、白黒合わせて2体の傀儡兵――ゴーレムが呼び起こされる。
「ォ―――!!」
「く、うっ……」
足元に激痛が走る。締め付けられるような痛み。堪らず膝から崩れる。
「リーシャ、そんな無理するな。魔力も消耗し過ぎだ」
「うるさい。今は……目の前の戦いに集中して」
2体の傀儡兵が結界を殴打しに掛かる。合わせて、カイルが結界に突撃し、脆くなった所に連撃を仕掛ける。
結界に、ひびが走った。
白と黒の傀儡兵の拳が、同時に叩きつけられる。 そこへ、カイルの攻撃が重なる。
「……っ!」
甲高い音を立てて、結界が大きく歪む。
だが――割れない。
壊れる寸前まで追い込まれているにも関わらず、結界は致命的な破綻を見せなかった。 ――守ることに特化した、防戦一方の作戦。
イリスが邸宅を盾にしているのも大きい。結界への衝撃が、彼女に直接伝わっていない。
「ちっ、しぶといな」
一度退いたカイルが舌打ちする。そして視線の先。結界の奥で、イリスはただ立ち尽くしていた。
「……どういうつもりなの」
リーシャは、無意識のうちに呟いていた。
「――なんで、戦わないの」
答えは返らない。ただ、イリスの視線がリーシャを真っ直ぐに捉えていた。
――自然と、主の姿が重なる。その事がたまらなく嫌だった。
自分の選択が、間違いだったと思ってしまうから。
「なんで私は、必死こいてこの子を創ってるんだろうね」
胸の奥がざわつく。
逃走でも、防御でもない。ましてや反抗でもない。この事実を受け入れている。
――受け入れた上で、現実と向き合っている。
「……バカみたい」
「おい、どうすん――」
――主を、見捨てたくせに。
「ここで……終わらせる」
勝って、大魔法使いとその使い魔が起こしたこの悲劇に幕を下ろす。大魔法使いの遺された弟子としてのやるべき事だ。
「召喚魔法・命――死神」
リーシャの召喚魔法――その「奥の手」が、彼女に振り向いた。
――――――――――
暗闇の中で、リーシャは選んだ。
――汝、何を望む?
「……決まってる。使い魔を殺す」
――その目的は?
「これは、アリス様の為に選んだ選択」
――本当に、それは奴の為なのか?
「……うるさい。黙って力を貸して」
――召喚の代価は?
「私の寿命、5年分をあげる」
――いいだろう。だが、
「……リーシャ、まさか」
その瞬間リーシャの背後に、邪悪な魔力が凝集する。
血に濡れた装束、大鎌を携えた怪物――伝説の魔物・死神が、ゆっくりとその場に顕現した。
『どれだけの寿命を捧げても、お前は……すぐに負けて、思い知る事になるぞ』
「あなたには関係無い。行って」
大鎌が振り下ろされる。
結界が、瞬時に砕け散った。
『終わりだ。使い魔』
砕け散った後から、更に死神の追撃がイリスの命を刈り取るべく、大鎌が振り下ろされる。
「……」
その様子を、リーシャはへし折れた木の真下からじっと見つめる。
「う、ううっ……」
『……ほう』
――視界の先では、死神の鎌が寸前で止められていた。
大魔法使いの使い魔に、弟子の魔法は届かない。
「これでも……届かない」
分かってはいた。
仮にイリスを殺した所で、無主の危険分子が消えるだけで、主が死んだ理由も、主が使い魔を創った理由も闇に葬られることを。
「……様っ」
行き場の無い怒りだった。だが、そうやって結界を張り続け、塞ぎ込んでいるだけでは分からない。
――イリスは、本当に大魔法使いの使い魔なのか。
「これでは……いつまで経っても、分からないままじゃない」
「リーシャ様!」
視界の先で、イリスがリーシャの方を見つめたような気がする。
――姿が、主と重なる。声色も、どこか似ている。
「私は……貴女と話がしたい。あの日、あの時何があったのか。まだ何も……話せていないから」
「……何を」
――使い魔に、今更何が話せるというのか。主を失って、ずっと何もできなかった使い魔に。
死神の斬撃を振り払い、壊れた壁から邸宅の外に飛び出す。全身血塗れで、なぜ立っていられるのか分からない。それでも、足を引きずりながらこっちに歩いてくる。
「だから、話を――」
話をしよう――そう手を伸ばした時だった。
目の前で、イリスの左腕が斬り飛ばされる。それは、「神速」が起こした出来事だった。
「……!」
「惑わされるなよ、リーシャ」
2人の決着に割って入ったのは、大魔法使いのもう1人の弟子――カイル・デファンスの斧だった。
「こいつの言葉は、ただ人の言葉を模しているだけだ」




