6話 使い魔と――
主を助けるための魔法は、主を殺す魔法に化けた。
「……ぇ」
「――ぅ」
「く……つ、かい魔、如きが……」
心臓を貫かれ、アリスはゆっくりと倒れ込む。それと同時に、首を飛ばされた魔王も卒倒し、落命する。
「アリス様!!」
イリスは真っ先にアリスの元に駆け寄り、すぐさま治癒魔法を流し込む。いくら流しても足りない。――いや。
「どうして……なんで」
イリスは、それよりも気になった。
――どうしてわたしの魔法が、主に。
「なんで……未来が、未来が見えるなら!」
避けられたはずの魔法。それはあろう事か、主であるアリスに直撃している。未来を見通す者なら絶対に起きないはずの光景が、現実のものになっている。
「……さい」
「?」
何度も揺さぶって、叫んだ。すると、アリスは苦しそうに藻掻きながら声を漏らす。
「うるさいよ……ちょっと、流石に耳元は」
「アリス様!」
「わかったわかった……魔王、は」
「倒しました。――私達の……勝ちです」
治癒魔法を流しながら、主の声に必死に応える。イリスの言葉を聞いて安心したのか、表情も落ち着いたものになっていった。
「そっか……」
――このまま、イリスと話をしていたい。
「血が……止まらない」
自身の身体に何が起こっているか、アリスは理解していた。その上で、自身を縛り続けた「呪い」の気配が見られないことを実感し、悟った。
「多分、私は……ここで終わりなんだ」
「え……?」
「未来視が……消えてるんだ。つまり、私はもう長くないってこと」
――未来のない者に、見せる未来は無いことを。
そんなの知ったことか。と言わんばかりに、イリスは治癒魔法を流し込み続ける。
しかし、効果は薄い。いくら流しても、逆に流れ出てくる血の勢いは止まらない。
「瘴気のせい……いや、私自身の問題かな」
「喋っちゃダメです。安静に……」
理由は幾らでも考えられる。魔王城の特に強い瘴気が魔法の発動を阻んでいるか、治すための生命力がもう無いことか。
「……っ!」
――それより。
「イリスも……束縛、解けた……みたいだね」
使い魔の見違える姿を、見落とすはずが無い。自分から言葉を発し、自分から動くその姿を見つめ、改めて魔法の底知れなさを思い知る。
「これは……主を、助けるための」
「良いんだ。そっちの方が……ご、ほッ」
「アリス様!」
今となっては、魔王との最後の衝突で、未来視の範囲を超越して戦ったのは、ほんの偶然だった。
その偶然に反応して、使い魔が命令無しで動いて、魔法を撃って魔王を倒してくれたから、今ありのままの姿でイリスと会えている。
「……」
言い換えるなら――未来を超越した大魔法使いと、命令という束縛を解いた使い魔が起こした奇跡だ。
そして、魔王との戦いを終えて、未来という束縛が消えた今。もう一度あの問いを自分に投げ掛けた。
「私、が……」
使い魔を創った理由――それは、この景色を見るためだったのだ。
「ふ、ぅ……」
イリスの魔力が更に消耗されていく。既に半減――8割方は消耗している。息を切らし、今にも倒れ込みそうな様子がはっきりと分かった。
「……ス」
「こんな事が……あっては……」
――イリスが自分の言葉で、自分の意思で動いている。主としてこれほど嬉しいことは無い。
「……リス」
「私のせいで……私が……した」
――違う。その言葉から先は、間違いだ。
魔力を振り絞り、操作する。それはイリスの独り言だったが、魔力の気配はその口を閉ざし、これ以上の言葉を遮った。
「君は……後悔しなくて、いい」
「……っ」
――まさか、イリスが大粒の涙を流すなんて。そんなこと教えた記憶は無いのに。
「これは、主を助けるために必要だったこと……それで……良いから」
手を伸ばし、イリスの手を掴む。
触れ合った瞬間に、再度彼女に向けて魔法を掛ける。
――イリスには、きっとあらゆる未来がある。
実力は「大魔法使い」をそのまま受け継いでいて、感情や意思は人並み。自身を遮る障壁は何も無い。
――あとは、どんな時でも君が、君自身のままでいられるかどうか。それに懸かっている。
もう少し。もう少しだけ、イリスと話す時間があれば。そんな思いは届かない。
「すごいなあ……流石、私の使い魔」
――イリスの未来を見られないのは、きっと自分への罰だと思った。
自分に囚われ、自分の未来に縛られ、自分自身で考える事をしてこなかった自分への罰だ。
「……」
言葉を探す。現世への恨み節にならないように、そして、使い魔を束縛するような、使い魔に圧をかけないような言葉を、必死に探す。
「イリス」
「はい……」
イリスが声に答えた時、彼女の流し続けた治癒魔法も終わりが来て。
「君は、私の使い魔だ」
「……」
彼女の手を握る力も、解けていく。
「だから自信を持って。……自分の人生と、自分の選択に」
――主の気配が、ゆっくりと去っていく。
使い魔は、主が死亡すると命令を下す存在がいなくなり、無主の使い魔へと成り替わる。
「アリス様。――私を創ってくれて、ありがとうございました」
その場にいたのは、心から大切に思う主の姿と、主に瓜二つな1人の少女の姿だった。
――それから、時間は流れていった。
「……此処が、魔王城か」
「ええ。――入りましょう」
ゆっくりと、入口の扉を抉じ開ける。血に濡れた手では、どうにも滑って開けるのに一苦労掛かった。
「……っし、空いた!」
最後の一押しで、扉は勢いをもってこじ開けられる。扉の向こうにある光にも一瞬だけ視界を奪われた後、開けていく。
「――え」
2人の魔法使いのうち、1人の魔法使いが辺りを見回す。確かに魔王城である。――魔王と主が、居るはずの場所だ。
――其処に、魔王の気配は無かった。
「……どうした?」
「いや、あれは……」
その代わりに。彼女は1人、こちらに近づいてくる者の魔力を察知していた。
「――アリス、様……ですか?」
玄関広間の先に――1人の銀髪の女性の姿があった。
――更に、季節は変わっていく。
「討伐軍!!万歳ー!!」
「ヴァルカン将軍、万歳ーー!!」
「大魔法使い様ーー!!」
帝都のあちこちから、歓声と拍手と、涙を流しながらの称賛が飛び交う。
民衆の注目は、帝国の騎士隊や魔導兵部隊、そして「大魔法使い」の乗った馬車の方へ相次いで向けられる。
討伐軍は魔族との戦い、ならびに魔王との最終決戦に勝利し、帝都の地に帰還し凱旋していた。
魔族の活動領域は、この討伐軍によってほぼ完全に制圧され、残党の処理も順調に進んだ。
損害や死傷者は歩兵8千、騎兵1万にのぼり、決して楽な勝利であった訳では無い。
だが、1000年に渡る魔族と人類の戦いは、この時を持って人類の勝利で決したのだった。
「……」
「ヴァルカン様、如何しましたか?」
「……いや。何でもない」
凱旋と歓声の中で、ヴァルカンは何も考えないふりをして、ただ前の一点だけを見つめていた。
――大魔法使いの死は、隠された。
大陸最強の魔法使いが、魔王と相討ちになって死亡した。
この一報が大陸全土に伝われば、魔族は再び勢力を盛り返し、長く続く復讐の先に新たな魔王も出現しかねない。
それを危惧したヴァルカンと、アリスの側近であった数名の判断によって、当分の間秘匿とすることが決まった。
後続の馬車に乗っているのは、「大魔法使い」では無い。――顔も、姿も、立ち振舞もよく似た別人だ。
「宮殿では陛下も待っています。――此度の戦果を報告せよ、と仰せです」
「……ああ」
遠征の疲労によって、彼女は帝都凱旋を取り止めた。
――帝国の皇帝にも、同じ報告をするつもりだ。
この嘘が露見されれば、どんな罪に問われるか分からない。最悪、自分の首だけでは済まされないだろう。
それでもヴァルカンは、大魔法使いを選んだ。
この先彼女に下されるであろう王命や命令は全て、自分の手で方を付ける決心をして。
「……」
――それがきっと、彼女に最も適した弔い方だと思ったから。
――それからもう一度、冬がやって来た。
「ここをこうして……よし、出来た」
凍えるほど寒い冬のはずなのに、この場の誰も、その寒さには震えない。きっとそれは、長いことこの極寒に閉じ込められているからだろう。
身体を動かすための魔力を装填し、これで長い行程の全てを踏む。
――意識が、命が、吹き込まれる。
「“2体目”ですか。――どれだけ作れば、気が済むのやら」
完成の瞬間に立ち会う。紺色の髪をしていて、長い髪を束ねる髪飾りには、六角形の宝玉が埋め込まれている。
「良いでしょ。それに今度は、また違った仕掛けを施してある」
「……ここ、は」
真っ暗で、松明の灯りのみが頼りの空間で、彼女は目覚めた。辺りを見渡した後、彼女は目の前の存在と目を合わせる。
「――やあ。君は、今日から私の使い魔だ」
目覚めると、そこには1人の――魔女がいた。




