5話 使い魔と命令
生まれた時から、彼女は「大魔法使い」だった。
「……ぁ」
声にならない息が、喉から零れ落ちる。
視界の先には、鮮血に塗れて倒れる2人の姿があった。
1人は、彼女の手を引いてくれた人。
もう1人は、彼女に生き方を教えてくれた人。
食卓と、椅子と、床まで広がる鮮血。
――それは、最初から定められた運命だった。
「……」
残骸と、亡骸と、剣と杖が散らばった場所に、彼女は立っていた。
崩れた建物の壁。砕けた魔法陣。焦げた屍の数々。
夢の中で、未来の中で、数え切れないほど繰り返されてきた景色。
――今更、驚く理由は無かった。
「な……ん、で……止める……?」
か細く、今にも死んでしまいそうな声だった。
振り返れば、痩せこけた少年が、斧を手に立っていた。
刃先は自分の首元に向けられ、振り下ろされる寸前――彼女は止めた。
「どうして……私を、私だけを」
首輪と、檻と鎖の中から、彼女はその少女を見つけ出した。
救い出されたというのに、今もずっとその手は震えていて、その手を握ると段々震えが和らいで――熱がこもっていく。
斧を掴み、血塗れになって、少年を止めた。
首輪を外し、鎖を断ち切って、少女の手を引いた。
――それらは何故か分からないが、必要だと思ったことだから。
数え切れないほどの未来をなぞって、大魔法使いは生きてきた。
「君は、今日から私の使い魔だ」
そうして最後に彼女は、1体の使い魔を作った。
魔法で核を造り、魔力を編みこんで身体を形作る。未来で何度も見た完成形を、寸分の狂いもなく再現する。
――名前はイリス。どうしても、それ以外の名前は浮かばなかった。
――どうして私は、私にそっくりの使い魔を作ったのか。
未来がそう言ったから。私の後釜とするため。
そんな理由では、どうしても納得できなかった。
数え切れない程の未来と、時間を生きて。私はその先にある答えを求めた。
――――――――――
玉座の間は、異様なまでに静まり返っている。
風の音すら聞こえない。
まるで、ずっと前からここに来ることが分かっていたような、そんな出迎えだった。
魔王城の中も、誰も居ないのではないかと思うくらいに静かで、誰も居ない割には広々としている。玄関広間を抜け、とても長い渡り廊下を進み、最後に待っていたのは大きな石扉。
「この先に、魔王がいる」
「……」
「緊張することはないよ。教えたことを、そのまま活かせばいい」
「はい」
2人がかりで押してみると、思いのほか容易に扉が開く。完全に開いた先は、赤い絨毯が敷かれた部屋――玉座の間が続く。
「……ようやく御出ましか」
「――ここまで、よくぞ辿り着いたものだな。『大魔法使い』アリス」
玉座に腰掛けて待っていたのは、他でもない――魔王だ。
他の魔物とは段違いの魔力に、身に纏う絶大な瘴気。間違えようがない。
「そして……これが貴様の使い魔か」
「……」
ゆっくりと口を開き、それからイリスの方を見た。所作1つ1つに瘴気が伴い、その邪悪さを体現している。
「そうだよ。逃げずにここで待っててくれたんだ。嬉しいね」
玉座の間には3つの影が立った。
1つは魔王。
もう1つは——大魔法使い。そして、大魔法使いの使い魔。
イリスは主の半歩後ろに立ち、その巨悪から目線を離さない。
視線の先には、魔王の赤い瞳がある。
「……!」
その瞳を見た瞬間、イリスの身体はわずかに硬直した。
――わたしの主と、同じ目をしているように見えた。
「貴様こそ、私を殺す為だけに、こんな使い魔を創り上げたのか?」
「いーや。少なくとも私は、魔王なんかの為にイリスは創らないよ」
「……」
両者の会話を聞いている余裕は、イリスに無かった。
恐怖ではない。それは命令を待つ時と同じ、思考が空白になるような感覚がする。
そして、イリスは確信した。魔王も主と同様に「未来が見通せる存在」だということを。
「……」
「何だ使い魔。この”眼”がそんなに羨ましいか?」
「イリスに気安く喋りかけないで。次やったら殺す」
その視線と、瞬間悟った感覚を読み取ったように、魔王は低く笑った。嘲るようでもあり、興味を示すようでもある声だった。
「与えられた命令に従い、動き、戦う。心も無い。――主そっくりの使い魔ではないか」
「……黙れ」
魔王は嗤う。そして、大魔法使いの静かな怒りが玉座の間に低く響いた。
大魔法使いが一歩前に出る。対して、魔王は大剣を手に取り、距離を詰める。両者のうちどちらかが魔法を撃てば、戦いが始まる。
「実際どうだ。この魔王を殺しに来たのも、本当に貴様自身の選択か?」
イリスは反射的に大魔法使いを見る。命令は、まだ与えられていない。
「――答えられない。それが全てだ」
場が沈黙する。
「イリス、……魔王を殺すよ」
「はい」
――命令。いつも通りはっきりとした、逃げ場のない言葉。
イリスは頷き、そのまま魔法を唱える。
「圧縮雷弾――」
「遅い。それに、既に読めておるわ」
だがその命令には、確かな揺らぎが燻っていた。
命令を受けてから攻撃を仕掛けるまでの時間に、僅かな間があった。未来を見通す者にとってそれは致命的な隙だ。
「――!?」
重厚で瞬発的な一撃。胴体を貫いた衝撃が、イリスを遥か遠く――魔王城の壁を突き破って、遥か遠くに吹き飛ばす。
「さあ、これで心置きなく――」
「深淵水牢」
イリスが吹き飛んだのと同時。次の攻撃対象がアリスに切り替わる前に、奔流の檻が魔王を取り囲む。
「イリス!」
「――遠雷」
叫びの先、魔王城の外に放り出されたイリスに向けて命令が届く。続けて、視界を奪われた魔王目掛けて、離れた距離から唱えられた落雷が直撃する。
奔流と落雷の一撃で、玉座は粉々に割れ、城の外壁も木端微塵になって崩れ落ちる。すかさず吹き飛ばされたイリスがアリスの元に駆け戻る。その間およそ15秒の攻防だ。
「申し訳ございません。不手際を」
「良いよ。それより前」
今度の攻撃は迷いなく、速度も、威力も完璧だった。
だが、目の前で奔流が弾け、代わりに瘴気が辺りを覆いつくす。
「中々に精密で、練り上げられた一撃だった。……だが、まだだ」
瘴気から出てきた魔王。何度も攻撃を加えたはずの姿は、あろうことか無傷。一連の攻撃を事前に察知していなければ、こんな事は起こらない。
「……やっぱり、千日手か」
「最初から分かっていた事だろう? ――貴様が寿命で死ぬまで決着が付かぬことも」
この場に居るのは、大陸最強の大魔法使いと魔族の頂点に立つ魔王。そして両者には未来を見通す万能の魔法もある。
――つまり、この戦いに決着は無い。
だが、万能の魔法にも限界がある。
どれだけ先の未来も見通せるとはいえ、その範囲は決して無限ではない。現に両者の未来視は、両者が戦い続ける場面で途切れてしまっている。
――この戦いの結果は、誰にも分からない。
打開の為に、アリスは自身の周囲に魔法陣を形成する。その額には汗が滲み、魔力の消費速度もいつも以上に速い気分がする。
「イリス、結界を張る。それまで時間稼ぎを――」
「はい」
詠唱の間は隙ができる。先んじてイリスに指示を送り、結界を張るまでは彼女が代わりに魔王と戦うべく、瞬時に命令を――
「■■■■」
「……あれ」
手足が動かない。主の声が、聞こえない。
「主の命令に縋り、絶対服従を続けるお前が、それを失えばどうなる? 使い魔よ」
主ではない存在の声が、届くはずの命令を阻害する。
――主の声も、姿も、見えなくなっていく。
そのまま、使い魔の意識は静かに沈んで――
「……様……」
――――――――――
――わたしの主は、未来が見えるらしい。
――わたしを創ったのも、未来の主がそうしたからだと言っていた。
「……」
意識が暗闇に沈む。感覚が断ち切られたようで、動けない。
魔法ではなく、呪いの類だったように見えた。
命令が通らなくなったことで、イリスは行動不能に陥った。
――わたしは、主の命令でしか動けない。
「……動、け」
「あの時」と感覚は全く同じ。イリスの周囲を取り巻くのは、他でもない無力感だ。
前も一度、同じことを考えては、限界を感じて引き下がった。その時の感覚に似ている。
――わたしは、なぜ創られたのか。それを考えた時のことだ。
あれから何度探しても、答えは見つからなかった。というより、初めからそれを考える事自体許されていなかったように思う。
それでも、考えずにはいられなかった。
「……アリス、様」
『私には、未来が見える』
――そう呟いた時の主は、何かを探し求めているような目をしていた。
主を絶対の存在として認識し、付き従ってきて、ずっとその目を追い掛けてきたからこそ感じる目線。
「……」
――暗闇の中で、わたしは手を伸ばしてみる。
やけに冷たくて、手先が凍るような感覚が伝わる。生きていなければ、この感覚は分からない。
「……」
何も見えないことは怖くて、何をするにも勇気が要る。教えられていないことをやるのは罪悪感もあるし、怒られそうでやはり怖い。
――でも、わたしが何もしないのはもっとダメだ。
命令を受けないと動けない使い魔であっても、果たすべき使命はある。
両手の感覚を取り戻し、すかさず魔力をかき集める。方向は分からない。ただ、やるしかない。
「……!」
主が何を考えていて、何が見えているのかは到底分からない。
「でも――」
その目は――きっと主は、助けて欲しいんだ。
瞬間。イリスの視界は大きく開け、戦い続ける主の姿と、倒さなければならない大敵を捉える。
――わたしを創った理由。それはきっと、主を助けるためだ。
「わたしは、アリス様を助ける――!」
命令が届かない使い魔は、自らの意思で魔法を放つ。それが主を助ける魔法だと信じて。
――未来を見通す魔法は万能で、極めて特異的で、世界で最も醜悪な呪いだ。
このような魔法を持つ者は、過去に誰1人として居なかった。居たかもしれないが、持ち主の実力に適さない未来視はただの幻覚と変わらない。
だが「大魔法使い」には、幻覚を現実にできる力がある。それ故に、無数の幻覚に縛られ続けた。
――私は、使い魔を創った。
勿論、未来の自分がそうしているのを見ていたから。
作り方は、未来に見た完成形と何1つズレがない。
「我ながら、完璧すぎる出来栄えだね。それに何度も夢見た念願の対面だ」
――自我が無いのは、私も同じだ。
そう言って、私は私を呪った。
私は自我のないまま、自我のない使い魔を作った。ちゃんとした理由も思いつかない。
理由が分かったとしても、それは分かったとは言えない。
幻覚に囚われ続ける限り、私が私で無い限り、私は私自身の使い魔だ。
――逃げられない幻覚を受け入れ続け、私は世界の終点に導かれた。
「■■■■」
そして目の前には、幻覚に抗う解答がある。
自分の命令が断ち切られて、魘され、倒れ込んだ使い魔を見て、長く夢見た問いの答えを掴み取ったのを確信する。
「だから私は、魔法が嫌いになれないんだ」
ずっと従ってきたこの魔法が、私を答えに連れて行ったのだろう。
――私が、使い魔を創った理由。その答えに。
「魔王。勿論、私はお前が大嫌いで、すぐにでも殺してやりたいと思ってる」
「……」
「だがそれ以上に、私はやりたい事がある。そして今――それは見つかった」
魔力を込め、自らの未来を再度見つめ直す。戦いの景色が永遠と広がるのを感じる。
「イリス。私はもう十分だ」
「何を、愚かなことを――」
――答えが分かったのなら、私は安心して戦える。
「時相停止」
時空が歪み、両者の周囲を真っ白な結界が包み込む。その結界の範囲から、イリスは弾かれた。
「これを十二分の成果にする為、ついでにお前には死んでもらうよ」
――千日手でもいい。あわよくば、勝つ。
「――来るが良い」
この結界は、外部と隔絶されている。時間の流れも止まっている。
無限に続く戦い。決着の付かない衝突。互いに死ねず、終われず、壊れもしない未来。それでもアリスの身には不思議と恐怖は無い。
「千日手、付き合ってもらうよ」
「望む所だ」
殴り合いが始まった。
「――ッ!」
互いの魔法と拳撃がぶつかる。骨が折れた所は瞬時に修復し、吹き飛ばされた顔面は死が訪れる前に元に戻す。
「此処でくたばれ。魔王ッ!」
「おのれ……貴様ァ゙ッ!!」
衝突が加速する。全てを投げ捨てて戦う。意識よりも、本能よりも速く、全てを置き去りにするぐらいの速度で――
「――!」
その瞬間、彼女は理解した。
戦いの速さが、未来視の範囲からも逸脱し――
「圧縮雷弾」
雷撃が走る。世界が白い光に包まれて、辺りの音が消えていく。
――これは、私の撃った魔法ではない。
その雷撃は、魔王の首から先と――アリスの心臓を同時に貫いた。




