4話 使い魔と戦場
大陸極北 魔王城。
「魔王様、人間どもが兵を挙げました」
「……ほう」
「最前線では、すでに戦闘が発生しています」
魔王の城は、大陸の最果ての地に築かれている。
極寒と絶え間ない猛吹雪に晒されるこの地は、人類のみならず魔族ですら滅多に立ち入らない無人の領域だった。
かつて行われた討伐軍の侵攻によって、魔族の活動領域はこの最果ての地まで押し込まれている。生き残れなかった魔族は死に絶え、数はここ10年で半減した。
「魔王城が包囲されるのも時間の問題です。何か、ご指示を」
大きく劣勢に立たされた魔族側も、今回の一戦が種族の存亡を懸けた一戦であることを理解していた。
「……」
だが、それすら魔王は意に介さない。
――魔王の関心は、別なところにあった。
敵軍の規模も、指揮官の名前も、どうでもいい。
「『大魔法使い』は?」
「従軍しています。しかも、奴は1体の使い魔を連れていると」
本当に知りたかったのは、自身にとって最大の脅威となり得る存在――大魔法使いの有無。そして、予期していた「第二の脅威」だった。
「やはりな。大幹部を全員ここに集めろ。決戦だ」
「はっ!」
大魔法使いが従軍している以上、人類側の戦力は飛躍的に跳ね上がる。
魔族側も、魔王に加え、腹心である五人の大幹部を擁する。そして魔王が自ら戦場に立って、ようやく互角――それが魔王の判断だった。
「……私の “眼” は、正しかったようだな」
瘴気に淀んだその眼は、魔王城の眼前に広がる戦場すら越え、遥かな距離と時空を超えて――「大魔法使い」と対峙していた。
――魔王の眼は、未来を見通す。
1000年後も、1万年後の未来すらも。
降り掛かる脅威も、選び取るべき最善の道も、この眼は全て明らかにできる。
言わば、全てを授ける万能の魔法。
魔王が持つ能力や魔法の中でも、最も凶悪なものだ。
それは100年前、ただの魔物に過ぎなかった彼を「魔族の王」へと押し上げた力でもある。
「……」
――万能の魔法を持つ者は、もう1人いる。
「未来を見通す者同士の戦い……望む所ではないか。――アリスよ」
――――――――――
大陸北方 戦地最前線
「押し出せ! 騎馬隊は敵側面を突け!」
戦いが繰り広げられているこの地は、大昔より「呪いの原野」と呼ばれている。
かつて、人類が近付くことすら忌避していた場所だ。
一帯には、魔力とは根本的に性質の異なる、魔族の放つ有害な「瘴気」が漂っている。
「この場所デ……奴らを返り討チにしてやレ」
「ヴォ゙ォオオオォォォ!!!!」
瘴気とは、腐蝕した魔力のことを指す。
人間の魔法使いは魔力を糧に魔法を行使するが、瘴気を取り込むことはできない。それどころか、耐性が無いまま長く瘴気に触れていると、次第に精神や身体が汚染されていき、やがて死に至る。
対して魔族は、瘴気を取り込むことで魔法を操る。
この一点だけでも、人間と魔族が根本から異なる存在であることを示している。
その瘴気の満ちる地で、戦いは苛烈を極めていた。
装備も旗印も異なる兵士たちと、姿形も知能もまるで異なる魔族・魔獣が入り乱れた乱戦が続く。
「魔族2万、こちらの先鋒は3万。互角だが、このまま数と勢いで押し込み――ゔッ!?」
「甘イな。魔法を使うまでモ無い」
数、士気、統率――それらでは人類が優位に立っている。
だが、それだけでは魔族を討ち切れない。
「ぐ……っ」
乱戦の中、背後から忍び寄った魔族により、指揮官の一人が斬り伏せられる。振り返る間もなく、馬上から崩れ落ち、地に倒れる。
「そもそモ、我ラ魔族相手にほぼ同数で挑ミ、勝てると思っていルのか」
魔族は狡猾だ。
闇討ちや奇襲、魔法による隠密と暗殺。多彩な手段で敵を倒す。
大小、強弱、系統様々な魔獣や魔族が混ざる分、集団戦は不得手だが、個の戦闘力と各々独自の戦法で欠点を補っている。
「報告! 先鋒部隊の指揮官が1名、戦死――」
「……なんと」
討伐軍の先鋒部隊の後方では、更に数万の本隊が控えている。
その中央で、帝国騎士隊総指揮・ヴァルカンは動揺していた。
先鋒が崩れれば、軍の三分の一以上を失う。
それは、魔王城攻略そのものの遅滞を意味していた。
「(予想はしていたが、かなりの抵抗だな……)」
視界の先で、先鋒は指揮系統を失い、魔族の攻撃に晒されている。
展望は、思いのほか早く暗雲に覆われ始めていた。
「魔族め……追い詰めたはずが、ここまでとは」
「ヴァルカン様、このままでは先鋒が総崩れに。援軍を!」
「いや、ここで兵を失えば魔王城の陥落は遠のく! 一度後退させ、立て直すべきです!」
ヴァルカンの側近達が、この後の指示を巡って論争を激化させる。
「出陣は亜人族が先ではないのか!? なぜ帝国兵が率先して損害を――」
「黙れ。我らの兵は使い捨てなどではない」
口論は周囲に波及し、亜人族と帝国兵、その幹部同士の口論も始まった。
討伐軍は多種族・多国籍の連合軍。それゆえ、統制を失えば一瞬で瓦解しかねない。
ヴァルカンは表情を崩さず、ただ目の前の戦況を見据えている。だが彼の内心は、解決策を見出せず焦りを強めていた。
「(このままでは……)」
指揮官が誰であっても、この状況を一人で収拾するのは困難だ。
この軍には軍勢の規模でも、種族間の団結でもなく――根本的な“力”が足りていない。
「――随分と、苦労されてるみたいだね。ヴァルカン殿?」
その時。――戦場の空気が変わった。
瘴気に満ちていたはずの大地が、一瞬だけ澄んだように感じられる。肌を刺していた圧迫感が、嘘のように薄れる。
「……あれは」
最前線で剣を振るっていた兵士たちも、後方で戦況を眺める本隊も、無意識のうちに動きを止めた。魔族たちも同様だった。咆哮が途切れ、視線が一斉に一点へと向けられる。
何が起こったか。そして、ヴァルカンは納得した。
「なんダ、貴様――」
「はい。これで戦況は元通り」
「で? 何を言い争っているの。こんな大事な時に」
その声は、戦場から離れた場所からも、不思議なほどはっきり響いた。
「……アリス」
遠くから、直接彼の脳内に語り掛けたのは、他でもないアリスだ。
それでも――彼女の周囲だけ、戦場から切り離されたかのように静寂が生まれている。
「言い争うよりも、まず先にやることがあるでしょ。ほら」
それから、ヴァルカンの真横に瞬間移動した彼女は、その両手に敵魔族の首を抱えていた。いずれも敵の主力の首級だった。
「だが、反撃の手数が――」
「イリス」
ヴァルカンの返事を待たず、アリスは一歩後ろへ下がる。そして――その背後に立つイリスへ、静かに声をかけた。
声を掛けてすぐ、少女が前に出る。無表情で、絶大な魔力を帯びている彼女に、周囲の兵士たちの視線が一斉に集まる。
「これが戦場だ。どう、怖気づいた?」
「いいえ」
それは感情の無い使い魔の、淡々とした返答だった。
アリスは一瞬だけ、何かを考えるように目を細める。それから、眼前で戦っている兵士たちの方向を指差し、一言告げた。
「命令だ。――前方の魔族を殲滅しろ」
「――承知しました」
たったそれだけの事だった。
「おい、何を――」
「静かに。まあ見てなよ」
彼女は防具も、剣も、杖も持っていない。
そんな彼女が一歩踏み出した。その瞬間――周囲の魔力が一手に集まり、瘴気が渦を巻く。
「……な、何だ」
「魔力反応……いや、これは」
戦っていた兵士たちも、揃って動きを止めて空を見上げる。先ほどまで瘴気で淀んでいたはずの空が、渦を巻いて発光する。何度も、強く、空が点滅する。
「……?」
「……何ダ」
同じく、魔族たちも周囲の異変に気付き、ざわつき始める。
「リーシャ。――この戦い、もう終わるな」
「ええ。悔しいけど、圧倒的ね」
戦場を一望できる場所で、大魔法使いの弟子たちがじっとその光景を見つめる。この場所に来た理由が、分からなくなるほどに。
イリスは高く飛び上がり、遥か高みから全てを見下ろす。
彼女の天井には矢の雨も、魔法も、届かない。
「――広域殲滅雷」
短い詠唱。
そして――空が裂ける。
「だから、こんなに兵は要らないと言ったのに」
「……これは」
雷光が幾重にも分岐し、瘴気に満ちた戦場に叩きつけられる。
魔族も、魔獣も、例外なく薙ぎ払われ、爆発と土煙の中に消えていく。
先鋒の兵士たちの前にいたはずの“軍勢”が、一瞬で消え失せた。
「……」
戦場は、一瞬にして静まり返る。
人類の勝利――それはたった10秒の顛末で訪れた。
「――アリス様。ご命令、完遂しました」
「うん。ご苦労様」
「……」
その様子を見て、ヴァルカンはその場で立ち尽くしたまま、動けなかった。
「ヴァルカン達には、引き続きこの場所の制圧をお願いするよ」
「ああ。だが……アリスは」
問い掛けた言葉の途中で、ヴァルカンは口を閉ざした。
そんなこと、問うべきではない――という直感が喉元を締めつけたからだ。
「私?」
アリスは振り返らないまま、軽く首だけを傾ける。
「――魔王の城に行く。で、魔王を殺す」
そう言った時には、既に彼女は歩き出していた。
戦場の中央――雷が焦土へと変えた場所。その先へ。
「おい、待て」
「ここから先は、私の役目だから」
振り返って、発せられた声は穏やかだった。しかし、彼にとってその一言には、どこかはっきりとした”線”が引かれているように錯覚した。
「……」
余計な事をするな――それが、大魔法使いの本音だったように思えた。
「付いてきて」
「はい」
そう言って、イリスはアリスの半歩後ろに、歩調を乱さずぴったりと付き従う。
あれほどの雷撃を放った直後だというのに、彼女の魔力は全く減っていなければ、呼吸も何一つ乱れていない。
「ヴァルカン様、行かせてよいのですか」
「……ああ」
――彼は「大魔法使い」を、理解した気になっていた。
「魔力切れはしてない?」
「はい」
離れていく2人の背中を追いかけ、止めることは出来なかった。彼は2人の姿が消えていくまで、その場でじっと立ち尽くしていた。
――――――――――
2人の歩みは、どこまでも続いた。
草木はとっくに消え、雪原が何処までも続く。辺りを遮る物は何もない。
「大魔法使いアリス、貴様を魔王様の元へは行かせん」
「我ら『大幹部』が相手だ。この場で使い魔共々殺してやる」
凍えるほど寒い地獄の雪原で、瘴気と魔力が衝突する。アリス達の目の前にいる魔族は魔王直下の幹部だというのに、動揺する様子は皆無だった。
「この場は、俺とリーシャで対処します」
「――魔王城で。すぐに合流しますから」
そんな5人の幹部相手に、2人の魔法使いが相対する。その様子を眺めるでも無く、大魔法使いは歩みを止めず進み続ける。それに使い魔は付いていくだけだった。
猛吹雪で、視界も感覚も無くなっていく。主の姿を見失わないように、イリスが歩幅を合わせて進む。
――そんなわたしに、主は呟いた。
「――私には、未来が見える」
――わたしの主は、寒さでおかしくなってしまったのか。
「君の名前も、使い魔を作ることも、今この場所にいることも。最初から決まってた事なんだ」
――わたしは、黙って頷くしかなかった。
真っ白な世界で、時間が流れているのかも分からないこの世界で、2人は歩き続ける。いくら足を速めても主には何故か追い付けない。そしていつしか、追い付くことを諦めて後ろにぴったりと付き従う。
「でもね。私には、分からないことがある」
――わからないのは、わたしも同じだ。
「……アリス、様」
真っ白な世界が解ける。巨大な城郭と、渦巻く瘴気が、上を見上げた2人を待っていた。
「アリス様、私は――」
――わたしを創った、本当の理由は?
「行こうか。ここが、世界の終点だ」
猛吹雪を抜け、2人は遂に魔王城へと辿り着く。
刻々と動き続ける運命と、運命を見通す主には、逆らえないままで。




