3話 使い魔の目線
魔法について。
この世界で魔法を使える人間は、人類全体の100分の1程度に限られる。それは1つの町で1人魔法が使える人間がいるかどうか、という位の数だ。
魔法の才能は、基本的に生まれつき備わっているものであり、それから一生を掛けて形になっていくとも言われている。
若いうちから魔法を物にする者もいれば、年老いてから魔法が使えるようになったという者もいる。
だからこそ、大魔法使いは「異例」の存在であり――現世に生まれた奇跡の存在だった。
そんな彼女には、この世界はどのように写るのだろう。
それは当人にしか分からない。彼女が創った使い魔でさえも、その光景は想像できない。そもそも想像する事さえ許されない。
「……」
――わたしは、主と同じ力を持っている。
――でも。
――わたしは、どうして。
「生き写し」は、どうして「生き写し」なのだろうか。どうして「わたし」は必要なのか。
「わたしは……何故」
考えようとした。でも、いつもその思考は止められる。拒まれる。禁じられる。
――それでも、考えずにはいられない。
―――
帝都・玉座の間
「陛下に拝謁致します。――私と他3名の魔法使い、ただいま参上しました」
アリスとイリス、そして弟子2人はこの時、魔王討伐の連合軍の元に合流するため帝都を訪れた。今は宮殿にて、帝国の皇帝に謁見している最中だ。
「楽にせよ。遠い公国から、わざわざご苦労」
「はっ。勿体なき御言葉」
大陸最大の連合国家――フィーリア帝国。クロフォード公国を始めとする5公国からなる帝国で、今回の魔王討伐の盟主だ。
連合軍には帝国と直属の公国の他にも、公国の隣に位置する異種族の王国や、遠方の王国も参加している。
総勢8万の連合軍が、魔族を討つために剣を取り、それに「大魔法使い」を加えて結成されたのである。
それに、今回の連合軍はある意味重要な局面の中で結成された。
「半年前の遠征では、魔族を大陸北方に追い込み、残すは魔王城のみとなった。此度はその魔王城へ攻め入って、魔王を討ち取る為の戦だ」
と、皇帝は一行に告げた。
――前回、第14回魔王討伐連合軍の遠征では、魔王城以外の魔族の拠点を全て陥落させる戦果を収めた。
魔族の活動領域を大陸北方の極地に押し込み、魔王城の目前でも激しい戦闘が繰り広げられた。
その時は城への突入は果たせなかったものの、アリスらが魔王の腹心を名乗る魔族を複数討ち取るなど、大きな戦果を挙げて帰還した。「大魔法使い」の貢献が、魔王を討伐寸前の所にまで追い詰めたのである。
そういった経緯から、今回の連合軍の結成は「大詰め」とされた。
「おぬしがいれば、必ずや魔王を討ち取れるであろう。人類の為に力を尽くすのだ」
「……眠たい事ばっか並べやがって」
「カイル、静かに」
「はっ! 陛下と大陸の為に、全力を尽くす所存であります」
皇帝の言葉に対し、弟子たちは小さく不満を口にしたが、一方でアリスは平身低頭し、いつもの砕けた様子と打って変わった謙譲の態度を示した。
「……」
最大限の敬意を見せる彼女に対し、頭を下げる訳でも無く、皇帝の姿を一目拝む訳でも無く、ただ一点、宰相の禿げた輝く頭を見つめるイリスの姿があった。
「うむ。……ところで、隣の其奴は? いったい何者だ?」
皇帝はそう言って、アリスと瓜二つの容姿の使い魔を指差す。指を差されて、話題が自分に移ったと悟ったイリスは、目線を宰相から皇帝、それからアリスに移した。
「私の使い魔、イリスでございます。私の魔法と魔力を受け継ぐ、大陸最強の使い魔です」
「ほう……大陸最強とは。確かに凄まじい魔力の量だ。大魔法使いとほとんど変わらぬ」
魔力を持たない人間には通常魔力を観測、察知することは出来ない。
この2人の魔力は誰であっても簡単に感じ取れるほど強大で、規格外なものであることを意味する。
「此度の遠征に『星兵』を参陣させていないのも、このイリスと私だけで十分な戦力と判断した為でございます」
「……」
「よかろう。どんな形であれ、魔王を倒してくれればそれで良い。期待している」
だが、皇帝の関心はイリスにも、アリスにも向けられていない。魔王を今回の遠征で討ち取ってくれさえすれば、それ以外はどうでもいいという考えだ。
「はっ」
「……」
何度も頭を下げるアリスに対して、イリスは相変わらず無表情のままで、そればかりか冷ややかな目をして皇帝の姿を見つめ返す。それが気に入らないように、皇帝は次第に表情を険しくする。
「ほら、イリスも頭下げて」
「はい」
イリスにとっては、皇帝もただの人間に見える。皇帝に従うという意識すら無く、主の方が遥かに大事だ。
言われた通りに頭を下げるが、勿論敬意は無い。
見え透いた行動に、皇帝は明快に不機嫌さを顕にして、「下がれ」と短く強めに命令し、そのまま謁見は終わった。
「全く……誰だよ、イリスに礼儀作法を教え忘れたのは」
「ご自身でしょうが……」
「……」
現場でイリスに礼儀作法を教え込むアリスと、皇帝への度重なる無礼に困惑し、ざわめく重臣たち。2人の弟子はアリスを責めつつ、向けられた雰囲気を苦々しく受け止めていた。
「では、失礼致します」
「……」
そんな雰囲気の中で、一行は玉座の間を後にする。
外は晴天に少し雲が紛れ込むくらいで、そよ風も適度に吹いている。身体を伸ばしたアリスは、待ち望んだ外の景色に解放感を感じながら、弟子たちとイリスに話し掛けた。
「さーて、皇帝への謁見は終わったし、屋敷に帰ろうか」
「はい。明後日の出陣までに、できる限りの準備と身体を休めましょう」
「馬車を手配します。しばしお待ちを」
宮殿を出て再び剣を装備するカイルと、馬車の手配に向かった、長い黒髪の女性。
リーシャ・ガルシア。アリスのもう1人の弟子である。普段は彼女の身の回りの世話を務めたり、対処しきれない雑務を片付ける役目を負っている。
首と腕には、それぞれ魔晶石を埋め込んだ特徴的な首飾りと腕輪を着けている。曰く「特注品」だという。
「ありがとう。にしても疲れたね。イリスには驚かされるし」
「本当に冷や冷やさせられました。処刑されるかと」
「いざとなれば、カイルが盾になります」
カイルとリーシャ。アリスの弟子になってから数年の時が経ったが、両者の仲は相変わらずあまり良くない。口論や喧嘩騒ぎも頻繁に起こる。
「……? 処刑台にはリーシャが先に行け。弱えから」
「なんですって?」
「ああ。だってお前――」
「はいはい、そこまでね。イリスは1つずつ覚えてくれれば良いんだよ」
「わたしは、迷惑を掛けましたか?」
「いいや。大丈夫」
弟子2人の絶え間ない口論を宥めつつ、イリスに過度の責任が押し付けられないように擁護する。イリス自身も何となく状況を察したのか、弟子たちに頭を下げ、形ばかりではあったが反省の態度を示した。
イリスはアリスの命令だけに従う使い魔だが、他人の言葉が全て雑音と片付けられている訳ではない。会話の流れや雰囲気も、何となくは感じ取る。
「うちの使い魔はまだ箱入りだからね。優しくしてやって」
「……」
「はい、お騒がせしました」
と、主としての務めを果たそうと振る舞うアリスを傍に、2人の口論も自然に終息した。
「馬車も着いたね。さ、帰るよ」
それからすぐに屋敷に戻るために呼んだ馬車がやって来た。アリスが真っ先に乗り込み、あとから3人が続く。
「リーシャ、これちょっと狭くない?」
「……実は2人乗りの馬車のようで」
手配された馬車は4人が乗り込むにはかなり手狭だったが、それでも無理やり帝都を駆け抜け、郊外の屋敷までは10分程度で到着した。
屋敷はクロフォード公国の国主である公爵の別邸でもある。
「はー……肩痛い」
「……」
「あれは、公国の兵士か」
「そうみたいね。こんなに大勢」
連合軍には公国の軍隊も参加している。なので屋敷では兵士の出入りが絶えず、昼夜問わず騒がしかった。
戦い自体は「大魔法使い」がいれば戦力上の問題は無い。出陣前、アリスは自国の兵士が投入されることに対して不満を示した。
しかし、当の公爵が出陣の意志を曲げず、長い説得の甲斐もなく今に至る。
「何のために私が居るんだか。兵士の動員だってタダじゃないんだから」
「全くです。兵が何人居たところで、結局は強い魔族の餌になるだけだってのに」
戦闘では、魔法を持たない兵士たちは接近戦に持ち込んで戦うしかない。それに対し、魔族は基本誰でも魔法が使用できる。単純な近接攻撃だけでは不利であり、足手まといにもなりかねないのである。
「イリスはまだ教える事があるから付いてきて」
「はい」
「私達は遠征の支度を」
「うん、任せるね」
屋敷に戻ると、アリスはイリスの戦闘前の準備に取り掛かった。カイル達とはここで一旦別行動になる。
戦闘前の準備とは、魔法の詠唱と、使用する魔法の区別と用途が身に付いているかどうかの確認だ。
「行こう」
「はい」
「どう? 帝都は広いでしょ」
「……綺麗で、沢山の人がいる場所だと思います」
「確かに。公国みたいな辺境の田舎とは何もかもが違うよね」
並んで歩いている途中、アリスは屋敷の窓を見ながらイリスに話しかけた。
帝都は大陸の中央に位置し、対して公国は大陸のずっと西の方に位置する。移動には1ヶ月近く要するほどの距離がある。
帝都ということもあり、人の往来も多ければ、建物の数や城壁の高さも他の都市と大きく違う。イリスにとっては全てが物珍しく、新しいものだった。
「そうだね。私はこの場所が大っ嫌いだけど、大陸一の大都市だ。色んなものを見せてあげたいけど時間が無い。また今度かな」
こうして帝都のような遠い場所に連れて行くのも、イリスにとっては十分良い教育になる。遠征のために時間がその無いのは本当に惜しい事だった。
「惜しいなー、仕方ないけど」
「……」
「いかんいかん。よし! 今日は君が実践に使えるか、確かめるよ」
「お願いします」
魔王討伐連合軍の出陣――魔王との決戦は、あと2日に迫っていた。
―――――――――
帝都 出陣当日
大小、赤青白黒金、様々な色と紋章の軍旗があちこちで上がる。
「必勝!必勝!必勝!!」
遠征開始当日。帝都の城門に集結した8万の軍勢は、魔王との決戦を前にして士気が最高潮に達していた。
「すごいね。こんなに軍が集まったのはいつ以来か」
アリス達一行は、その様子を城壁から眺めていた。特にイリスは初めて見る光景を前に、あちこちに視線を動かし、特に金色の旗に対してはその視線が固まる。
「……」
「あれは帝国騎士隊の軍旗。皇帝の懐刀って言われてる隊だよ」
よくよく見ると、金色の旗を持った兵士たちは完全武装で、銀色に輝く鎧と騎馬隊は他の兵士よりも格別に目立っていた。
「奴らは単純な肉弾戦でも、強い魔族相手に十分にやり合える。優秀な騎士たちだ」
「お褒めに預り、光栄だ。――大魔法使い殿」
「……?」
彼らを指差して、称賛の評価を下したアリスに、思わぬ方向から返事が返ってくる。
「――ヴァルカンか」
「久しぶりだな。参陣、感謝する」
彼は帝国騎士隊隊長のヴァルカン・エッセント。今回の連合軍総指揮官だ。
面倒事を避け、最前線での戦いに集中したいアリスに代わって指揮を取る。アリスとは年齢もそう変わらず、数少ない旧知の仲でもある。
「何度も苦労を掛けるが、今回は魔王との決戦……お前の力が必要だ」
「思ってもないことを」
「……全く。変わらんな」
労いの言葉も程々にいなし、「やる事があるから後でまた会おう」とヴァルカンは場を後にする。
その様子をずっと追いかけていると、彼はそのまま城壁を伝い、軍が一望できる鋸壁によじ登ったのが見えた。
城下から見れば勇ましい姿なのだろうが、彼の足の震え具合をよく見れば、それは直ぐに虚勢だと分かった。
「……」
「今にも落っこちそう。真似しちゃダメだよ」
「皆の者、よく聞け!!! ――此度の遠征で、魔族との戦いにケリを付け、魔王を必ずや討ち取ってやろうぞッ!!!」
「おおおおおおーッ!!!!!」
ヴァルカンの激に、兵士たちが忽ち大きな雄叫びを上げる。場の雰囲気につられて弟子達も声を上げ、片腕を高らかに天に向ける。
雄叫びが響く中で、イリスはただ1人沈黙を貫く主の姿を見つけた。
――わたしの主は、いま何を考えているのだろう。
「……アリス様?」
「……」
「いざ!!!出陣ーーッ!!」
イリスの問い掛けを無視してしまうほど、何かに集中した彼女の目線――彼女の姿は、戦場よりも遥か遠くにあるような気がした。




