23話 令嬢との密会
それから数日。
初任務を終え、公都へ帰還したイリス達。彼女は帰還してすぐ、ソフィアに手を引かれるまま、公都の中央区画へ向かっていた。
「こっちで合ってるの?」
「うん! 多分!」
衛兵達の詰所を通過し、中央区画に入ったは良いものの、ソフィアが走る先は貴族たちの邸宅の間、裏路地とも言える所だった。
夕刻ということもあり、どんどん視界が暗くなっていく。人の気配が無く、湿っぽくて少し怖い場所。
「んー……」
「ソフィア、お姫様は本当にこんな所にいるの?」
「ファウストからの案内状は、確かにこの近くを指してるんだよねー」
彼女の手には、適当ながら中央区画の片隅の図と、バツの印が加えられた紙切れがある。
路地裏を進んで現れた左右の分かれ道を前に、方向を確かめる為に再び紙切れを開く。
「次が右で……その次が」
「……どこを指してるのかな。こんな細い路地に、何かあるとは思えない」
「あ、なんか見えてきた」
バツの印は、この近くを指していた。貴族たちの邸宅に囲まれた路地、そのうちの1つ――聖堂の真裏に位置しているように見える。
「これは……聖堂かな?」
「えーっ……」
ソフィアは何故か嫌そうにしているが、目的地はすぐそこだ。
どうして、アストリアは宮殿ではなく聖堂の方に来るよう案内したのか。そんな疑問が浮かびつつも、段々と大きく見えてくる聖堂へと向かう。
「……狭い」
「あ、なんか踏んだかも」
「えっ」
狭い路地を一列になって進む。道を間違えた訳ではないはずなのに、人間1人がギリギリ通れるかどうかの狭さの場所もあった。
何か汚い物を踏んだかもしれない――そんな重苦しさを若干感じながら、2人は目的の場所へ辿り着く。
「あ、ファウスト!」
「――お待ちしていました。ソフィア嬢」
「うむ! 苦しゅうない!」
「イリス様も、ここまで御足労感謝致します」
「いいえ、大丈夫……です」
その場所で出迎えたのは、礼服に身を包んだファウストだった。深々と頭を下げ、それにソフィアが冗談も交えながら返答する。
「えっと、お姫様もここに?」
「はい。聖堂の裏にあるこの建物は、過去に異教者たちの秘密の地下礼拝所だった場所です。今は、私奴の管轄下に置いていますが」
「ほえー」
「大公様との遭遇を避けるため、ですか?」
「その方が、イリス様も気兼ねなくお話できるでしょうから」
外見ではとても見窄らしいが、それにも理由があったのだと理解する。
大公とイリスの間にこれ以上の問題が起こらないよう、アストリアが配慮してくれたのだろう。
とはいえ、こんな隠し小屋を用意する周到さには驚くばかりだ。
「人目につくのも何ですから、早速ご案内致します」
「よろしくー」
そう言って、ファウストは扉を開け、階段の下へと潜っていく。ソフィアがすぐ後ろに続き、イリスも辺りを見回しながら建物へ入った。
「おお、油断すると落っこちそう」
「っとと……」
腐食した木材で組まれた階段は一段一段が急で、踏み外さないように壁を伝いながら慎重に下る。
「……あっ」
「……!」
10段ほど下った先に、とある空間が見えてきた。そこには何か良い香りと、眩しいくらいの光があって――
「お待ちしておりました!」
イリス達の到着を見て、装いのフードを取って顔を見せたアストリアが、彼女達を笑顔で出迎えた。
――――――――――
「姫様ー!」
「ソフィア! 良かった、無事に帰ってきてくれて」
真っ先に飛び出したのはソフィアだった。待ち侘びた対面とばかりに、2人が固い握手と抱擁を交わす。
「道には迷わなかった?」
「大丈夫! 貰った案内状通りだったから!」
薄暗くて、天井も低くて、所々脆くなっている壁のある部屋。君主の一族であるアストリアがこの場にいる事自体疑わしく思えるぐらいだったが、確かに彼女は目の前にいる。
「イリス様も、任務が終わって帰ってきた直後だというのに来てくれて、本当にありがとう」
「いえ。約束……だったから」
「今日は時間の許す限り、お話ができたらと思っております。勿論、話だけだと退屈でしょうから――」
そう言って、アストリアはファウストに目配せした。彼はその意向を汲み取り、何かの準備を始めた。
程なくして、彼が数名を引き連れて部屋に戻ってくる。彼らは揃った装いで、それぞれの手にはクローシュが携えられている。
「……これは」
「おーっ! これを待ってたんだよ……!」
「粗末ながら、楽しんで頂く為の催し物です!」
机の上に、丁寧に人数分――よりも遥かに多い量の料理が配膳される。
「おいしそう……」
「もしも食べ切れなければ、我々で頂きますので」
「大丈夫! ファウストの分は無いよ!」
「……」
ソフィアの目が輝く。傍に座るイリスも同様、並べられた料理の豪勢さと彩りに目を泳がせた。
「ね……あの花も食べられるの?」
「食べられるよ。食用花、ってやつだね」
あちこち見回しながら、イリスが小声で料理の1つを指差す。これまで貴族との食事を全く経験していない彼女に、これ以上ないほど高貴な光景が刻まれる。
「冷めてしまうといけません。早速頂きましょうか」
アストリアが杯を取ったのを見て、他の2人も合わせて杯を手に取る。
「わたし、飲んでいいのかな」
「リーシャも許してくれるよ、多分」
躊躇いながらも、杯をアストリアの方へ向けた。
「では、イリス様とソフィアに、乾杯を」
「乾杯ー!」
酒場での一件以来、イリスが宴を経験するのは2度目だった。が、今は全てが新鮮で、僅かながら心が高揚していくのを感じた。
「おいしーっ!」
「お肉なんて、アリス様も滅多に食べてなかったものだ……美味しい」
「喜んで頂けて、何よりです!」
肉に関しては、主との食事でも滅多に見られなかったものだった。流石は大貴族、といった感想だ。
「……」
「イリス様、酒の類は初めてでしたか?」
イリスが杯を眺めて固まる。その様子にアストリアが気づき、声を掛けた。
「はい。えっと……リーシャ様に禁じられてて」
「身体との不調和による暴走を避けるためー、とか何とか言ってたね?」
「あら……そんな理由が」
「いいや。本当は、過去にアリス様が酒を飲んで気絶した事があったからかなー」
「えっ」
「あの時、リーシャは泣きながら看病しててねえ」
「そういえば……3年前の事でしたね」
イリスはソフィアの話を聞いて、表情に驚きを隠せなかった。
どうしてリーシャが厳しいのか、その理由は色々あると思う。だが、この事に限っては複雑な理由が単純な1つに絞られるような気がした。
「……」
「ほら、平気でしょ?」
少しだけ、杯を傾ける。――変な味がした。
「む……」
「苦悶、といった表情……ですね」
「イリスがそんな顔するの、初めて見た」
次第に変わっていくイリスの表情を、アストリアとソフィアが覗き込んだ。それから、まだ半分以上中身の残った杯をソフィアの方にそっと押し除ける。
「まだ早かったかー」
「……紅茶、ありますか」
「ええ。ご用意しますよ」
主が嗜んでいた紅茶なら、という考えだ。
――結局、紅茶も口に合わなかったのは数分後の話となる。
「イリス様には本当に驚かされます。父上からあれ程酷な仕打ちを受けても、へこたれず頑張り続けて……」
「そんな……わたしなんて、まだまだです」
「ん、このお肉おいしー」
「謙遜なさらないで下さい。今のあなたは、アリス様にも引けを取らない」
アストリアが褒めてくれるが、イリスはその目を直視できなかった。顔を少し赤くさせ、料理を口に運ぶ動きもぎこちなくなった。
「でももっと頑張らないと。わたしは、脆い信用の上に生きているから」
「脆い信用……ですか」
「はい。いつ捨てられてもおかしくない」
腹を決めて、フォークに刺した料理を口に運ぶ。思った以上に噛み切れなくて、飲み込めない。
「もぐ……っ」
「イリス様、平気ですか?」
見兼ねたアストリアが、水の入った杯を渡す。苦しそうにしているのが、誰の目から見ても直ぐに分かったからだ。
「何かあれば、私も力になりますから。そう無理をせず、困ったらどうか相談して欲しい」
「ありがとうございます。お姫様」
「ね、お酒のお代わりって無い?」
「ソフィア、飲み過ぎはリーシャ様に叱られてしまいますよ?」
「うーん……あと1杯だけっ!」
そんな会話を気にすることなく、ソフィアが卓上の物を次々に平らげ、何度も杯を空にさせる。イリスとアストリアの心配は彼女には全く届かない。
「……もぐ」
「アストリア様」
「どうかしたの、ファウスト?」
ソフィアの背中をさするイリス。その後ろを、ファウストが通り、アストリアに耳打ちをした。
「大公が、アストリア様のご帰還を待っておられます。返答は如何しますか?」
「……今は礼拝の最中、と伝えておいて」
「心得ました」
明らかに低い声調が気になって、彼女に問い掛ける。
「大丈夫……なんですか? 大公様に怒られてしまいます」
「問題ありません。その為に、この場所を選んだのですから」
「まったく! ちょっと娘が家に帰ってこないからって心配し過ぎなんだよ、大公の奴は!」
「ソ、ソフィア……」
さっきまでとは違って、アストリアは笑顔で返答した。ソフィアは顔を赤くして、まるで2人目の姫様が現れたような姿勢で残りの料理と再び向き合った。
「お姫様、お水の用意をお願いします」
「……もう準備させています」
卓を跨いで、2人が密かに手を打つ。イリスには、予想されるその先の光景が鮮明に浮かんでいた。
「……何これー、くれるの?」
「これも美味しいから、飲んでみて」
今のソフィアは単純だった。水の入った杯を手渡すと、これ以上ない笑顔で応じてくれた。
「……話は変わってしまいますが、初任務はどうでしたか?」
「……初任務、は」
一旦大人しくなったソフィアを傍に、イリスとアストリアの談話は再開する。当然、話題は先に行われたイリスの初任務のことだった。
「ソフィアに、助けられてばかりでした。わたしは本来、期待されてた働きは出来なくて……」
でも、お世辞にも良い土産話はできなかった。楽しみにしてくれたかもしれないが、イリスの話を聞くと、彼女の表情は段々と真剣なものに変わっていった。
「初めてであれば、仕方のないことです」
「そんな事ない! イリスはなんてったって――」
「ええ。分かってますから、まずはお水を……」
半ば無理やりに水を飲ませる。彼女の所作は、ソフィアが横槍を入れる隙すら与えさせない。
「改めて、アリス様はすごいって、思い知らされます」
「……私も、あの方に会う度に思いましたよ。――同じ世界を生きているとは信じられなかった」
蝋燭に目線を向けて、彼女はアリスの事を脳裏に過らせた。目を瞑って、イリスも頷いた。
「アリス様は、自分の未来を何でも見通せたとか。……ファウストから伝えられた事ですが、確かに思い当たる節はあった」
「……そうなんです。だから」
「でも、イリス様はイリス様です。やっぱり、そのままの自分を追究するべきだと思います」
芯のなくなった蝋燭を換えながら、彼女は、ぱっと目を見開いて言った。
「わたしを、追究?」
「はい。戦い方も、生き方も、アリス様と全く違う道を歩む、という意味です」
新しく付けられた蝋燭の火は、さっきのものより強く、確かにこの部屋を明るく照らした。
自分の言葉に苦笑したアストリアは、声色を変えながら話の続きをした。
「――それに、自分の未来が丸分かりってのも、あんまり楽しい物ではないでしょう?」
「それは……確かに」
「楽しみも、苦しみも、その時その時にぶつかってこそ意義がある」
「流石は姫様ー……すーっ」
合いの手を入れたようなソフィアだったが、イリスが彼女を見た時、既に椅子の背もたれに身を任せて、首をゆらゆらとさせていた。
――アストリアの言葉が、頭の中で何度も繰り返された。ソフィアをさする手が、無意識になって、力が入らないほどに。
「あらら……このまま眠ってしまいそう」
「ソフィア、まだご飯は残ってるよ。それに……食事の途中に寝るのは失礼だよ」
「うーん……」
「私達で、残りを頂いてしまいましょうか」
「……はい。ソフィアには申し訳ないけど」
少しだけ冷めてしまったが、滅多に味わえない料理を堪能しながら、アストリアの表情を静かに伺った。
「……その時その時、か」
主からしたら場当たりで、信じられないかもしれない感覚。胸の奥が締め付けられるような気分がする。
それから、卓上にあった料理は全てが食べ尽くされ、満腹感と余韻に浸りながら、イリスはしばらく瞼を閉じながら休憩をした。
どれだけの時間が経っていたのか忘れるくらいだったが、ファウストが再び部屋に現れたのを見て、長い時間が経ったことを思い出させた。
「もうお時間ですね」
「ソフィアは、わたしが連れて帰ります」
「魔導院まで、ファウストに送らせましょう」
「あっ……中央区画を出るまでで平気です」
最後まで丁寧な待遇に感謝しつつも、公都という場所をほぼ頭を叩き込んだ彼女に、そこまでの厚遇は不要だった。
「お忙しい日が続くと思いますが、機会があれば……また」
「はい。お姫様にそう言って貰えて、本当にうれしいです」
「アストリア様、そろそろ」
「わかりました。イリス様の護衛、お願いね」
「承知しました」
ソフィアを背中に乗せて、ファウストが先導する形で密会部屋を後にする。
「……お姫様!」
「!」
――忘れていた。ちゃんと、彼女に挨拶をしなければならない。
「おやすみなさい。また……いつか」
「ええ。――またいつか」
にこやかな笑顔と手振りで、アストリアは見送ってくれた。
部屋を出ると、外で吹く冬の風とソフィアの冷気で身体が直ぐに冷えた。それに、夕暮れだった空は真っ暗で、星々が天高く浮かんでいた。
「……」
「あの、ソフィア嬢は……」
「えっと……このままわたしが運んでいくので」
「アストリア様の我儘にお付き合い頂き、私奴の方からも感謝を」
「いえ……わたしも、おかげで楽しかったです」
「そう言って頂けて、何よりでございます」
横並びになって、ファウストが区画を隔てる門まで同行する。
表情は変わらず、相変わらずの背筋の良さと振る舞いで、彼は繰り返し感謝の言葉を伝えた。
「アストリア様は将来、国を纏められる御方です。いつか――イリス様にも、お力添えを頂く時も来るでしょう」
彼の言葉には、長くアストリアの護衛人として立ってきた重みが感じられた。だからこそ、真剣に彼の話に耳を傾けた。
「その時は、どうかよろしくお願いします」
「はい。わたしの方も、ファウスト様とお姫様に、よろしくお伝えください」
「ファウスト、で結構ですよ」
話をした後、2人は門に到着し、そこで簡単な別れの挨拶を交わした。
「あの門を出て、左が魔導院への近道です」
「はい。お見送り、ありがとうございました」
「……馬車の手配は」
「ソフィアはそのうち起きるので、歩かせます」
「……畏まりました」
見送りの最後まで、ファウストはイリスの様子を伺い、眠りこけるソフィアを見て少しだけ心配そうな表情をした。
「では、また」
門を潜り、イリスは教わった近道を通りながら、魔導院への帰路についた。
「……うーん」
「(ソフィア……意外と重たい)」
眠るまで飲み過ぎる癖には困ってしまう。が、彼女の任務での苦労を考えれば、許す気にもなる。
帰路の途中、先ほど食べた肉の味を思い出す。そして、アストリアの表情や声を浮かばせ、終わらない余韻に耽る。
「……」
星々はいつものように、こちらを変わらず見下す。一際目立ったのは、やはりあの月だ。
「すっかり真っ暗になっちゃった……」
「――ここに、居たのね」
月を見上げるイリスだったが、そこへ思わぬ方向から息を切らした声が聞こえた。
「……! リーシャ様」
「はあ……探したわ。公都中を走り回って」
――他でもない、リーシャだ。
アストリアとの食事の約束がある、という話はしたが、場所までは伝えていなかったのかもしれない。疲れ切った様子から、走り回った事が直ぐに分かった。
そして、珍しく彼女は焦っていた。
「何か、用事がありましたか?」
「ええ。――緊急の任務よ」
「!」
次に耳にした言葉は、イリスの背筋を凍らせて、近付いていた眠気を根本から打ち消した。
「――公都の北方、国境近くに魔族が率いる軍勢が現れた。領内に入る前に仕留めないと。こうして話してる時間も無い」
「……魔族」
――魔族。
魔物、魔獣と違って、意思や言葉を持ち、狡猾で明確な殺意を以て人間を脅かす存在。そして、種族の長である魔王に絶対の忠誠を誓う怪物達。
それが今、再び彼女に牙を剥いたのである。
「動ける者ですぐ出発するわ。ソフィアは留守、カイル、シュベールも後から向かわせる。……時間は掛かるけど」
「え……それって、つまり」
だがイリスが気になったのは、また別の事だ。彼女の問い掛けを待たずして、リーシャは話を続ける。
「つまり――先に私と、あなたで任務を片付けるって事」




