20話 初任務
部屋には、既にシュベールとイリス以外の顔触れは全員集められていた。
「連れてきました」
「すみません、遅れました」
リーシャの執務室。本棚が圧迫する狭い空間に、カイルやソフィア、そしてシュベールとイリスが肩を並べる。窓は閉じられ、外の気配は遮断されている。
「構わないわ」
短く告げてから、リーシャは全員を見渡した。これで、全員だ。
「イリス、お仕事お疲れ様ー!」
「……うん」
ソフィアの軽い声が響くが、それに続く者はいない。
――この場に集められた理由を、全員は薄々察している。
イリスは既にシュベールから聞かされているが、まだ確定はしていない。とはいえ、急に集められるような要件は、最早1つに限られる。
「……早く本題を言ってくれ。こんなむさ苦しい部屋に集めやがって」
「ちょっとー、別にむさ苦しくは無いでしょ」
「さあな。だが隣の奴は、そう思ってるんじゃないか?」
「むっ」
軽口の応酬に、部屋の空気が一瞬だけ緩む。
「――そこまで」
だが、リーシャの一言で、余談はぴたりと止まった。その声音は低く、冗談だと戯ける余地はない。
「すぐに本題に入るわ。集めたのは、これから任務に取り掛かって貰うためよ」
全員の視線がリーシャへと集まる。ソフィアもカイルも、先ほどまでの軽口を忘れ、誰も口を挟まない。
「――早速、任務の内容を説明するわ」
――星兵達に、与えられた任務。
それは、魔物によって占拠された砦の制圧だ。
「ん? ちょっと身構えたけど、別に普通じゃん」
言葉だけを聞けば、ありふれた討伐任務の1つに過ぎない。
だがその砦は、公国と南方の王国を繋ぐ要衝に位置しており、一部の交易路や街道が封鎖されたまま長く放置されているという。
「軍が手を出せないほど強力な魔物がいる、という報告も受けた」
そして、強力な魔物の存在。
魔物の原生地である北部方面からは離れているにもかかわらず、そのような魔物が棲み着いているという。
――魔物が運良く警戒の薄い地域に生息地を移し、長い年月をかけて魔力を蓄え続けた結果なのかもしれない。
「だからこそ――私たちが引き受けた」
軍が手を出せない魔物となれば、これまで請け負ってきたような任務とは少し違うのだろう。
「今回はイリスにも来て貰う。実戦投入よ」
何より、今回の任務からはイリスも参加する。討伐軍以来の実戦。命令を下す存在がいない分、前線においては自分の判断で戦わなければならない。
「……」
もし戦場で判断を誤れば――その現実が、静かな緊張となって場に走った。
「まさか緊張してる? イリス殿ともあろう御方が、怖気付いたかな?」
「いや……違う、緊張なんか」
「緊張しなくていいよ! 私も居るんだから」
心の内を読んだように、ソフィアが肩を叩き、張り詰めていた思考を少しだけ現実に引き戻した。
「アリス様みたいにはなれないけど、最低限の指示は出せるからさ!」
「ソフィア、指示を出すのは私。あなたはイリスと共に前線に立って戦ってもらう」
「うーん……まあいっか」
深く考え込むこともなく、ソフィアは肩をすくめて引き下がった。
「……」
1人だけ、やはり納得のいかないような顔をした者がいるが、反論する気を起こすことは無かった。
「出発は3日後。距離が遠いから、事前に準備しておくこと」
「はーい」
「承知しました」
ともかく、これが今回の任務の全容だ。他の反応を聞くに、「強力な魔物」が居ること以外はいつもやっている任務と変わらない。
助けを借りながら、着実に任務をこなそう。その思いで、イリスは任務に向き合おうとした。
「以上よ。仕事が残っている人は戻って」
「だって! イリス、行こ!」
「う、うん。……失礼しました」
短い呼び出しの末、イリスはソフィアに連れられて部屋を後にして、シュベールも彼女らに続いて部屋を出る。
「……」
この場所にはリーシャと、カイルの2人が残った。というより、他の全員が出ていくのを目で追いながら待っていた。
「今回の任務……さては大公の差し金か?」
扉が閉まってから暫くしてから、カイルが口を開く。
彼は疑わずにはいられなかった。謁見の翌日という、時期的に繋がりがあってもおかしくない状況だ。リーシャも少し考えた後、応答する。
「表向きは公国軍からの依頼となっているけど、その可能性も否定できないわ」
「……そうか」
魔導院が、ある程度イリスを管轄できていると知った途端の行動とも考えられる。
殺処分が仮にも中断となっている現在、大公は星兵も含めて使い魔を「使い倒す」方法を選んだ、という可能性もある。
「使い魔も災難だな。そのうちまた北の果てにでも送られるんじゃないか?」
使い倒しにした挙句、最終的には大魔法使いのような末路を辿って貰う。そうすれば、自身の権力を脅かされなくて済む。そんな思惑も窺える。
「……仮にも主の死を間近で見た者として、同じ徹は踏まないと信じたいけど」
「どうだか。それほどの事が、あれに出来るとは思えないけどな」
だが一方のイリスも、ただ使い倒されるだけの状況は望まない――少なくとも昨日の謁見で大公と張り合った彼女の発言は、それを表明している。
「……主と違って、魔導院1つまとめられないのに、本当に虚勢ばかりね」
と、嘆いた言葉はいったい誰に向けられたものか。
今、彼女を巡っては3者がそれぞれ別々の思惑を抱いている。
単独で自身の権力を転覆できる存在――が故に警戒し、使い倒す事で主導権を掌握しようとする大公。
研究や利益の為に彼女の主導権を握り、用が済めば後は殺処分されようと構わない――と都合よく扱う魔導院。
そして、大魔法使いの使い魔として、疑いながらも――向き合うべき相手と考える星兵。
これに対し、イリスはいったい何を思うのか。自身はどうするべきと考えているのか。――無数の選択肢を持つ存在として。
「俺は巻き添え食らうのは御免だ。――身の振り方は考えさせてもらう」
カイルの態度は変わらない。彼にとっては、大魔法使いが主なのであって、それ以外は何でもない。使い魔も「それ以外」の一部だ。
「そう。勝手にすれば」
「……止めないのかよ」
「あなたの事なんて、別にどうでもいいわ」
「でも、後悔しない選択をしなさい。――それが大魔法使いの弟子としてやるべき事よ」
「全く……どの口がそれを言うのか」
「うるさい」
ただ、今はそれぞれの選択が浮かび上がっていく。その中心には、星兵が居て――彼女がいる。
――――――――――
3日後。
「……」
「――支度が出来ました」
朝焼けを反射し、光り輝く宮殿。その正門前に、装飾を抑えた1台の馬車が静かに停められる。
貴族用の紋章が刻まれているが、過度な主張はない――公務であることを示す、最低限の意匠だけが施されていた。
「……ありがとう」
姿を見せたのは、一人の“令嬢”だった。
淡い色合いの外套に身を包み、背筋を真っ直ぐに伸ばしたその立ち姿。年若さの中にも育ちの良さを滲ませている。装飾を抑えた服装でも、高貴さは隠せない。
「どうして、急に見送りを? 今でなくとも問題はありませんが」
「一目、すぐにでも会っておきたい人がいます」
彼女は一度だけ宮殿を振り返り、視線を正門の奥へと向ける。
「その為に、早起きしたのですよ」
「……確かに、過去に類を見ない早起きですね」
やがて彼女は小さく息を整え、馬車へと足を運んだ。
ここで話をしていたら、もう出発してしまうかもしれない。そうすれば、次いつ会えるか分からなくなる。
「行きましょう」
「はい」
向かう先は、公都の南門。――尊敬する“あの人”のような、絶大な魔力の気配がする方へ。
「ね、眠い」
「イリス、早くしないと遅れちゃうよ!」
魔導院の階段を駆け下り、他の皆が待つ外へ向かう。
夜明けを迎えたばかりの公都は寒くて、身体もあまり動こうとしない。ソフィアに引っ張られる形で集合場所へと走る。
「早くしないとリーシャにまた……あ」
「……っ」
外に出ると、すぐに3人の姿を見つけた。
腕を組んで壁にもたれているカイル、馬車に乗り込み積荷や装備を確認しているシュベール、そして――
「結局来るのね」
「あ? これは任務だからな」
「……そう」
「良かった! まだ遅刻じゃないみたい――」
「遅い。それに、バレていないと思ったの?」
リーシャだ。いつにも無く怖い顔をしていて、表情も張り詰めている。
「……う、わぁ」
「ご、ごめんなさい……」
本能的に謝罪の言葉が出てくる。彼女の視線がイリスを捉え、一瞬だけ、何かを確かめるように留まる。
「すぐに支度しなさい。10分後に出発よ」
「は、はいっ!」
ソフィアが先に大きな声で返事をし、イリスも小さく頷く。
早朝の魔導院前の広場には、既に2台の馬車が並んでいる。
1台は積荷や装備、食糧を載せた馬車。もう1台は移動用。主の家にあったような馬車とは違って、少しだけ簡素な見た目だ。
ソフィアが残りの積荷を大急ぎで運び込む。イリスもすぐに駆け付けてそれを手伝った。
「……」
目的地までは、どれだけ急いでも数日を要する。5人分とはいえ積荷の量は1つの馬車を埋め尽くすほど。
「こっち持って!」
「うん」
任務への出立は、予定通り進められていった。
「カイルも少しは手伝ってよー!」
「……」
そう声をかけるソフィアだったが、カイルからの応答は無い。
諦めたのか、彼女も暫くした後彼に背を向けて、重い荷物を1人で持ち上げようとするイリスの方へと走る。
こうして積荷は全て馬車に収まり、装備の最終確認も終わった。シュベールが馬の手綱を確かめ、リーシャが簡単に周囲を見渡す。
「準備完了です」
「――わかった。出発よ」
――余計な声掛けは無かった。
それぞれが馬車に乗り込み、1台をシュベールが、もう1台をソフィアが操縦する。
早朝ということもあり、公都の街道にはまだ人がいない。
「ソフィア、馬車はゆっくり移動させて」
「え、なんで」
「騒音になるわ。走り出すのは門を出てからにして」
「えー……了解っ!」
リーシャの行き過ぎた配慮を聞き入れ、馬車はゆっくりと城門へ進む。
馬車に会話は無い。リーシャは持ち込んだ主の魔導書を読んでいて、カイルは腕を組んで居心地が悪そうに眠っている。
「……」
ふと、彼女が読んでいる魔導書の題名が目に入る。――古代魔術総覧。
今の時代に見る文字ではない。きっと、遥か昔に書かれた魔導書なのだろう。
「……なに」
「……! いえ、別に」
じっと見過ぎた。鋭い目線が返ってくる。
「こういう時にも魔法に触れていないと、いつまでも強くなれないでしょ」
そう言って、リーシャは魔導書を1ページ捲った。馬車の揺れに合わせて、黒髪が僅かに揺れる。それでも彼女の視線は、文字から離れない。
「……あなたとは違って、私には才能が無いから。こうしないとダメなの」
「……」
「だからって、読めない文字と向き合うのは違うよーお嬢さん」
「……うるさい。これが私のやり方なの」
「へいへい……」
聞き耳を立てていたソフィアがすかさず横槍を入れる。それに対して相変わらず鋭い返答をするが、ちょっと間があったように思える。
「……」
「……」
これで、馬車はまた静かになる。行路ではきっとこの繰り返しなのだろうと思いながら、気が少し遠くなったような気がした。
「……ねえ」
「!」
と思ったが、沈黙を破るように、リーシャがイリスに小さく話し掛ける。
「あなた、古代の文字は読めるの?」
「えっと……読めます」
「……そう」
意味ありげな表情。――聞き返してみるべきか。
「……?」
「いい。やっぱり何でもないわ」
取っ掛かりが、イリスの躊躇いによって抜け落ちる。無意識に、視線を馬車の外――ソフィアの背中に向ける。彼女は退屈そうに、馬車馬の手綱を握っている。
「……」
「あれ? リーシャ、誰かいるよー」
――そんな彼女だったが、1台の馬車が停められているのが見え、はっと驚いた。
ソフィアの声に、馬車の速度がわずかに落ちる。
前方――城門の手前に、人影が2つあった。
早朝の街道にしては不自然だった。通行人や門番にしては、全く様子が違う。
「……停めて」
「え? あ、うん」
リーシャが短く指示を出す。馬車が止まり、軋む音が周りに響いた。
イリスは馬車の進路上に立つ、2つの人影をじっと見つめる。
「――よかったです。すれ違う事にはならなかったみたいで」
「ええ。早起きの甲斐がありましたな」
その人物は、こちらに気付くと一歩だけ前に出た。
淡い色の召し物。公都の朝の光を受けて、柔らかく揺れる布地。顔立ちはまだ若いが、華奢な立ち姿は妙に――誰かに似ている。
リーシャは魔導書を置き、馬車を降りる支度をする。カイルも目を覚まし、状況を把握するように目を細めた。
――それに、あれはただの貴族ではない。
魔力の気配がする。魔法使いだ。
「イリスも一度降りて。――あれは御令嬢よ」
「……令嬢?」
――令嬢と名付けられた、彼女の正体。
城門の前で待つ彼女は、イリス達の乗っている馬車を真っ直ぐ見据えていた。
まるで、前々からこの一行が通るのを知っていたかのようだ。ずっと待っていたのだろうか。
一同が馬車を降り、城門の前――彼女が待つ場所へと歩み寄る。
「――リーシャ。出発前に会えて良かった」
「アストリア様。――御足労、感謝致します」
リーシャと「令嬢」が対面し、互いに挨拶を交わす。両者の後ろには馬車もある。きっと見送る為にわざわざやって来たのだろう。
「え、姫様だー!」
アストリア――と呼ばれた令嬢は、リーシャに一礼すると、自然な流れでその視線を横にずらす。
「ソフィア! 会えて嬉しいです!」
「……姫?」
そこでは、ソフィアも手を振って呼び掛ける。が、姫という呼び方にどこか引っ掛かった。
「どうして、わざわざお見送りに来てくれたんですか?」
「あー……それは」
「――アストリア様が、見送りに行くとゴネまして」
ソフィアの問い掛けに対して、令嬢のものとはまた違う軽い足音と声が、城門の方から、ゆっくりと歩み寄ってくる。
――令嬢とやらの、護衛だろうか。
「……ん?」
ただ、護衛にしては何処か――
「ファウストだ! 来てたんだね!」
「実に2ヶ月ぶりですね。ソフィア」
――“ファウスト”と名乗る令嬢の護衛人。彼からもまた、魔法の気配がする。
「リーシャ様。……お久しぶりです」
「来てくれたのね。ファウスト」
「ええ。謁見の際に一度会えればと思ったのですが、機会に恵まれず、このような時に」
ファウストは丁寧に一礼し、場の面々へと挨拶をする。その様子から、リーシャやソフィアとは旧知の間柄であることが窺えた。
「それに、此度はアストリア様の強い要望で参りました。――お会いしたい方がいるそうで」
「――イリス、でしょ」
ファウストが無言で頷く。それから、令嬢は一歩前に立ち、イリスに近付く。
「……あなたは」
「ご挨拶が遅れてしまいましたね。改めて、はじめまして。イリス様」
自然と場の中心は、再びアストリアと、イリスへと戻っていく。
恐れることなく、至近距離で対面する。――少なくとも彼女は、イリスを「危険な存在」だとは思っていない様子だ。
「私はアストリア・クロフォード。――大公の家系、クロフォード家の血を引く者です」
イリスの初任務を見送るのは、大公の一族――それも、権力と魔法を同時に手にする者だった。




