2話 使い魔と世界
大魔法使いが使い魔を創ってから、1ヶ月の時が経った。
「イリスー、町まであとどれくらい?」
「30分ほどです」
今は食料品の買い出しの為に、アリスの家から、山々を越えて麓の町まで向かっている最中だった。
使い魔を創った翌日から、大魔法使いは人間の基本的な感情や、人間界で生きる上での基礎知識などを詰め込めるだけ詰め込んだ。どこまで情報を詰め込められるかは未知数であったが、教える側のアリスに限界が来るまで、ありったけの知識を与えた。
その1つが、馬の乗り方。
馬車の操縦も教えたが、こうして馬に乗れればイリスを遠い地域まで動かすことができるようになる。――というのは建前で、本当は買い出しの手伝いをさせるために教えたものだった。
イリスが完全に馬車を操縦できるようになってからは、彼女が馬車を操縦し、アリスが荷車の中で魔導書を読みながらゆったり寛ぐという有様になった。
「おかげで買い出しも効率的だ。助かるね」
「……」
2人が山々を越えている理由は、大魔法使いの邸宅の立地にある。邸宅は近くの人里からは遠く離れた、小高い山の中に密かに位置している。
アリス自身が町に居を構えることを嫌がったのもあるが、別な理由もある。
例えば、気兼ねなく魔法の実験をするため。大魔法使いの元を訪れようとする挑戦者や敵達から姿を隠すため。現に、アリスの家の場所を正確に知る者は数少ない。
「邸宅っていっても、弟子たちに作らせた小さな小屋に過ぎないけど」
おまけに大魔法使いの邸宅は、人目につかないほど小さな小さな小屋だ。小屋から溢れ出る莫大な魔力が無ければ、人が住んでいるとさえ思わないだろう。
「あ、今後書庫も増やしたいから増築手伝ってね」
「承知致しました」
使い魔が暮らすようになったことでより手狭になり、改築の必要性も高まった。弟子たちを酷使させて憤慨させるより、使い魔への教育という名目でやらせる方が都合がいいと思ったアリスは、イリスに対してしれっと命令を下した。
そんな事をしている間に、2人を乗せた馬車は山をゆっくりと下り、微かに麓の町が見えてくる距離にまで進んだ。
1ヶ月という月日があっても、その間にイリスが自分から主に話し掛けるなんて事は無かった。先に主が動き、それに応える形で使い魔が従うという光景も、最早当然のものとなっている。
「……ねえ」
「はい」
話し疲れた事による沈黙が続いた馬車では、どんなに小さな呟きも透き通る。
――ふと、聞いてみたい事が浮かんだ。
「――使い魔として生きるって、どんな感じなの?」
聞こえないぐらいに小さい呟きだったが、アリスの声は全て漏れなく聞き取られる。
顔色を変えることも、そして溜めの時間といったものもなく、イリスは端的に質問に返答する。
「……わかりません」
「わからんと来たか」
そんな突拍子もない質問に、イリスは無愛想で、実に機械的に答えた。頬を膨らましたアリスは、一度頭を抱えて、それから更に問い掛けを続ける。
「じゃあ質問を変えるよ。――君は、自分で意思を持ちたいとは思わないの?」
「……わたしは、アリス様の命に従う使い魔です」
――イリスは、実に機械的で、模範的な使い魔だ。
自身の生き写しに対してそう思うと同時に、心の奥底でどこか突っ掛かる。
彼女は呆れたように馬車の外を眺め、それから更に掠れた声で、遠くの景色を見ながら尋ねた。
「それが、君が意思を持たなくていい理由になるのかな」
我ながら意地悪な質問だと思った。
――いや、意地の悪いことをしてやりたいと思うほどに憎たらしくて、気掛かりであるのだろう。
「……わかりません」
2人を乗せた馬車は、町に着くまで物静かで、落ち着けるようで落ち着けない、そんな雰囲気を漂わせた。
「今日は、君にこの世界のことを教えよう」
「はい」
それからまた数日。何冊もの書物を抱えた大魔法使いが、使い魔にそう話し掛けた。
目覚めた時点では、使い魔は使い魔としての絶対的な命令と、大魔法使いの習得している魔法以外に会得しているものがない状態だった。
「君にはまだ常識ってものがない。……私も別にある訳じゃないけど」
「……」
それはつまり、使い魔がこの世界のことや当たり前の常識や倫理観を理解していないということであり、命令による統制が無ければ、使い魔はたちまちただの極悪な怪物になってしまう可能性もある。
アリスはその暴走を危惧し、イリスに対して「何かあったら困るから」と様々な事を教えた。
「基本は命令に従うだけで良いが、最低限学んでもらいたいこともあるからね」
「……」
だが、まだ教えていないことが残っていた。
大魔法使いは本棚から一冊の本を取り出し、使い魔に対して「読め」と命令した。ページを捲り、1ページずつ丁寧に読み込む。
――わたしは、この世界のことを教わった。
この世界について。
アリスとイリスは、フェンディア大陸という地で生きている。
3つの王国と、5つの公国からなる帝国がある大陸で、他の大陸とは外洋と呼ばれるどこまでも続く広大な海が隔てている。
そんな大陸と国々の中でも、2人が暮らすのは大陸中央の帝国に属する5公国の1つ――クロフォード公国。
帝国に属する5つの公国の中では最弱で、領土も最も小さい国だ。人口や資源も豊富ではなく、しばしば凶作や災害にも見舞われる地域に位置している。
そんな小国がこれまで瓦解せず平穏を保ってきたのは、大陸内で最も卓越した規模の魔法研究とその運用――そして10年ほど前に現れた「大魔法使い」の存在によるものだった。
「私のおかげで、この国はやってこれてるって訳よ」
アリスはそう言って誇らしげに笑う。
彼女の部屋の中には、数々の魔導書や文献の他にも、あちこち適当な所に沢山の紋章が飾ってある。
イリスは以前掃除を命令された時、ついでに乱雑にばら撒かれていた紋章たちを拾い集めていた。
そのどれもが龍を模ったものであり、アリスの首飾りにもその紋様が見られる。
龍の紋章は公国の旗印で、首飾りは公国の英雄の証。アリスはクロフォード公国の英雄で、国の第一の柱石なのである。
そして――「大魔法使い」が公国と、大陸に無くてはならない存在である理由は他にある。
「――この大陸には、『魔王』がいるからね」
「……魔王」
「そう。私たち人類にとっての災厄」
大陸を襲う凶悪――魔王。
それに対抗できうる者が、大魔法使いただ1人であるからだ。
人類と魔族の戦いは、1000年以上続いてきたと言われている。それは人類の歴史と魔族の歴史のどちらの史書にも記述が残っている。
その戦争の魔族側の主導者として立つのが魔王だ。魔王自体は100年前に現れた存在で、他の魔族と比べると若輩者の魔族ではある。
だがその魔力の強大さと駆使する魔法、呪いの強度はこれまでの魔族も含めた中で最も高い。
魔王はどのようにして魔族の頂点に立って、どうして魔族の王を名乗ったのか。その理由は分かっていない。ただ分かっていることは、人類の不倶戴天の敵筆頭であるということだけ。
「とにかく、魔族の中の王だから魔王ね。で、私たち人類はずーっとその魔族と戦ってきた」
勿論戦いは現在も終結していない。帝国の内部でも、他の王国でも、今2人が暮らすクロフォード公国でも、魔族は手段を選ばず何度も人類に攻撃を仕掛け、民や貴族の土地・農地での略奪から王族の殺害に至るまで、とても無視できない甚大な損害を与えてきた。
こうした暴挙に対する人類の決起という形で、魔族との戦闘は何度も行われた。
戦局は一進一退の状況が続いた。互いに領土を奪い合い、殺し合い――そうして1000年の時が流れたのだ。1000年という年月で見れば、人類は劣勢に立ち続けていたのかもしれない。
だが今。「大魔法使い」が現れた10年前を境に、戦いの形勢は次第に人類に傾いた。
「私は、これまで数え切れないほどの魔族や大魔族を討伐してきた。魔王の腹心とかいう奴もね」
各国の軍隊が集まった連合軍の中に、「大魔法使い」を始めとする魔法特化の兵隊が加わったことで、戦闘は魔族側の独壇場というこれまでの状況は覆った。
帝国では、「大魔法使い」が登場してからたった10年の間に14回も連合軍が結成され、それによって帝国が奪われていた領土も、人類の活動領域も大きく拡大した。
公国を救い、隣国を救い、大陸を救い――その結果としてアリスは「大魔法使い」となった。
「別に、理由はそれだけじゃないけど」
「……?」
アリスは一冊の本を閉じ、机の隅に追いやる。その本に題名は無かったが、これを著した人物の名前はアリスの弟子だ。日記や自伝というものだろう。
「これが魔族と、魔王の話。――イリスがいてくれたら多分もっと楽に勝てるようになるかな」
「……はい」
イリスの反応に、アリスは強く頷き、顔を強張らせた。
「魔族を0匹にするまで、この戦いは終わらない」
そう話す彼女の声も、目つきも、いつだって魔族との戦争の最前線に立ってきた英雄の姿だ。
彼女に言わせれば、魔族は人間とは根本的に違う種で、風貌が同じようでもその本質で両者は対極に位置する。だから、永遠の戦争を繰り返すのだ。
「でもまあ、魔族を0匹にできる奴なんて、私と未来の君ぐらいなんだけどね!」
そう戯けた大魔法使いに、使い魔は無表情で頷き、本の表紙に目線を向けた。
「だから早く勉強を終わらせて、私の役に立ってね。――イリス」
――わたしは、主に期待された。
「……」
沈黙を貫き、机の隅にやった本をまだじっと見ているイリスに対し、アリスは気を取り直し、話を変えようとして一度手を叩いた。
「さて! 次は私の身の上話を――」
そんな時、この部屋の扉を叩く音が聞こえた。「入って」とアリスが言うと、すぐに扉が開き、外の廊下から――1人の男性の姿が見えた。
「ん」
「失礼致します」
赤い髪に傷の入った顔面、身体には鎧を纏っていて、まるで兵士のような見た目をしている。
継ぎ接ぎではあるが、魔法使いというよりはむしろ、戦士のような容姿をしている。
「……」
「なんだカイルか」
「アリス様。帝国から手紙が届いております」
その男性の名はカイル・デファンス。「大魔法使い」アリスの弟子2人のうちの片方だ。
その手には1通の手紙を携えていた。
____
「なるほど、皇帝からの手紙か。3ヶ月ぶりだね」
アリスが手紙を簡単に読み、その文面と様式から、彼女は直ぐに手紙が帝国の皇帝によって書かれたものであることを理解した。
「……」
初めての手紙を見つめるイリスの視線に気付き、読み終えたアリスはその手紙を手渡した。
「イリスも読みな? ――皇帝からのお手紙」
「わかりました」
そう言われてから手紙を受け取って、傷つけないように丁寧にもう一度中を開く。紙の一番上には鷲の紋章が描かれていた。
「上から文字を読むんだよ。読み終わったら教えて」
「承知致しました」
命令を受け、イリスは上の行から漏れなく、正確に素早く文章を読み込む。文字を読み込む能力も、あらかじめ備わっているものだ。
「……」
「その使い魔、イリスと名付けたのですね」
「あーそう言えば、君の案は即却下したよ」
「なぜ?」
「名前が『豚の王』と同じだったから」
「え」
アリスとカイルのそんな会話を他所に、イリスは尚も手紙を読み進める。手紙の冒頭には、以前教わった定型的な挨拶の一文が丁寧な字で書き綴られていて、それからしばらく読み進めて中盤へと差し掛かる。そこではこのように書かれていた。
――大魔法使いアリスと貴下の魔導兵には此度、第15回魔王討伐連合軍への従軍を命令する。救国の英雄として、貴殿の活躍を大いに期待している。
アリスは先程、魔王討伐の連合軍は過去に14回結成されたと説明した。その続きとして今回、またアリス達に従軍を依頼した形だ。
イリスは手紙を最後まで読み進め、もう一度簡単に全体を見渡し、渡された時と同じ状態に戻し、アリスに返却した。
手紙を返した時、イリスはアリスの目を少しだけ見て、目が合った所で視線を外した。彼女は珍しく物静かで、何かを見通すような目をしていた。
「手紙は従軍依頼だったのか……ずっと気になってはいたけど」
「アリス様?」
「ああいや、何でもない。考え事してた」
独り言をして、あれこれと考え事をしている様子のアリスに、カイルは遮るように声を掛けた。
「大魔法使い」は、王様や皇帝から何度も依頼され、国に仇なす魔族や敵を葬り去ってきた。
私怨が原因の戦争にだって、命令を受ければ直ぐに駆け付けて解決に導いた。どんな理不尽な劣勢の中であっても、彼女は命令1つで簡単に状況を覆してみせた。
いつだって、アリスは命令に従い、忠実に、正確に遂行してきた。
わたしの主も、多分――
「……」
イリスと目が合うとアリスは微かに微笑み、それから目線を逸らして窓の外を眺める。
窓の外では、半ばでへし折れた木が曇天の空の下で今日も聳え立っていた。
「君を実戦投入する機会が、こんなにも早かったなんてね。びっくり」
イリスの目には、主がどんな表情をしていて、今何を考えているのか、伺うことが出来なかった。
その後ろに立つカイルが手紙を回収し、窓の外を見つめる師の姿に向かって声を掛ける。
「1ヶ月後の参陣です。リーシャと、『星兵』にも伝えます。あとは――」
「……いや」
「え?」
そう言って、アリスはただ一点――カイルではなく、その隣に立つイリスの方に振り向く。
自分が創り出した使い魔を強く信頼し、期待している目だ。勝利を確信しつつも、どこか考え込んでいる形跡のある、そんな雰囲気に見えた。
「魔王を殺すのは――私と、この『最強の使い魔』イリスで十分だよ」
「……アリス様」
「まだ教えられてない事も多いけど、順番を変える」
イリスはまだ対人・対魔族の戦闘経験がない。魔法もどこまで使用できるか判断できない所もあるし、付け焼き刃でも、アリスの下位互換にさえならないかもしれない。
だがアリスはこの機会に、イリスに戦闘の仕方を教えることで今後自身の負担軽減に繋がると考えた。
「君には先に、実戦というものを教えてあげる」
「はい」
「では、俺達は」
「リーシャと2人で、護衛に付いてくるだけで良い」
「……承知しました」
「イリス、初の実戦だけど、私の命令に従ってくれれば大丈夫」
「はい」
どこか不満そうなカイルに、相変わらず無表情なイリス。それぞれを見て、「よし」と一言アリスは呟く。
「命令だ。――私と一緒に、魔王と魔族一派を皆殺しにするのを手伝ってくれ」
こうして、使い魔は主の命令を受け、大陸の災厄たる魔王との決戦に挑む事となった。




