18話 刻印
人の倍以上はある巨体の魔獣が、集まった魔力の気配に反応し、一目散に突っ込んでくる。
地面を踏み砕くたび、雪と土が弾け飛ぶ。
「ガァ゙ァ゙ッッ!!!」
咆哮と同時に振り下ろされる前肢。その一撃の重さは、人間を容易く押し潰せるだろう。
相対するのは、2人の魔法使い。――召喚魔法使いと、氷の魔法使いだ。
「召喚魔法・腕――烈火龍」
詠唱が終わると同時に、掲げられた腕の先から赤熱した魔力が噴き上がる。
「いけ」
「グォォォオオーッ゙!!!」
烈火龍は咆哮と共に、灼熱の息吹を正面へと吐き出す。炎は一直線に魔獣を包み込み、その動きを強引に止めた。
「おらーーっ!!」
その一瞬の隙を逃さず、ソフィアが魔物の背後に駆け回る。
氷で形成された鎚を肩に担ぎ、炎の死角から跳躍。狙うは首元――敵の最も脆い急所。
鈍い衝撃音が響き、氷の鎚が魔獣の脊髄を打ち砕く。
「グ、ォ゙ァ……ッ!」
「――烈火龍。そのまま奴を焼き払って」
体勢を崩した魔獣がよろめく。間髪入れず、追撃の指示を飛ばす。
「まだまだ! ――氷星塊!!」
炎と氷が、前後から同時に解き放たれる。
龍の火炎が魔物の胴を焼き焦がし、空中に散った氷の結晶は無数の刃となって全身に突き刺さった。
悲鳴を上げる間もなく、その巨体は崩れ落ちる。
「……」
「ふぅ……! 勝てたー!」
土煙が収まった時、そこに立っていたのは2人の魔法使いだけだった。
リーシャは小さく息を吐き、周囲へと視線を巡らせた。
「……反応なし。周囲に魔力の残滓もないわ」
「はぁ〜……やっと終わったぁ」
ソフィアは氷の鎚を霧散させると、その場に腰を落としかけてから、慌てて立ち直った。
「……あ、だめだ。リーシャに怒られる」
「怒らない。けど、油断はしないで」
「同じじゃん」
そう言いながらも、ソフィアの表情には無意識に余裕が戻っていた。先ほどまで張り詰めていた空気は、もうどこにもない。
やがて、集落の方向から人の声が聞こえ始める。
様子を窺っていた住民たちが、恐る恐る顔を出してきたのだろう。
「……終わった、のですか?」
「ええ。もう大丈夫よ」
「魔物はぶっ倒したから、ここは安全だよ!」
リーシャとソフィアが人々にそう告げると、安堵の息があちこちから零れ落ちた。
相次ぐ礼の言葉と、共に差し出される水袋を受け取って、それから簡単な報告を済ませる。
――任務は、滞りなく完遂された。
「疲れたし、さっさと帰ろ!」
「ええ。後の報告もあるし、魔導院に戻りましょう」
2人は集落を後にして、公都への帰路についた。
日暮れ前に差し掛かり、空は僅かに淡い色を保っていた。
「リーシャの魔法が羨ましいよ。直接戦わなくて済むんだからさー」
道を歩きながら、ソフィアが肩を回す。
氷の魔法を使った反動が、まだ腕に残っているのだろう。
「誤解しないで。私だって楽じゃないから」
「頭は使うからね。大変だよね」
「馬鹿にしてる?」
「いやー? ほんの冗談です」
軽口を叩き合いながらも、2人の足取りは自然と揃っていた。
召喚魔法は、確かに直接刃を振るわない。
だがその分、召喚にかかる魔力の制御、状況判断、召喚対象への適格な命令――
リーシャが担っているものは、目に見えにくい。
「でも」
「?」
リーシャは、少しだけ声を落とす。
「私が前に出なくて済むのは、あなたが前衛に出てくれているからよ。感謝してる」
珍しい言葉を聞いたソフィアは、一瞬だけ返事に詰まり、少しの間そっぽを向いた。
「……そういうの、今言っちゃう?」
「ええ」
「まったく。ありがたく受け取ってあげよう!」
そう軽くあしらいながらも、ソフィアの表情はどこか嬉しそうだった。
「何してるの。置いていくわよ?」
「はーい。すぐに行くよー」
夕暮れの街道を歩いていると、段々と公都の城郭が見えてくる。
リーシャが先に歩き出し、砂利を踏む足音が街道に規則正しく響く。ソフィアも遅れて歩調を速めて、彼女に遅れないように距離を狭めた。
夕暮れの街道は静かだった。
空は赤から紫へとゆっくり色を変え、日も街道の彼方へと傾いていく。
足元が砂利から石に変わる。
そしてやがて、道の先に影が見え始める。高く連なる城壁――公都を守る城郭だ。
「公都まで、あと少しね」
「だねー。お腹すいたー」
「そうね。帰ったら――ん、あれは」
「リーシャ?」
真っ直ぐ、平らな道。――その先に、誰かの姿が見える。
夕暮れの逆光で、その人影はまだ輪郭しか持たなかった。が、確かに姿があって、リーシャにとっては見覚えのある人物のようだった。
「……」
「ただの商人じゃないの?」
リーシャが足を止める。ソフィアもそれにつられて歩くのを止めて、視界の先に見える人影をじっと見つめる。
その姿が誰なのか。目を凝らすと、はっきり見えてきた。
背中に背負った斧、魔法使いの外套ではなく、戦士の鎧を纏った立ち姿、それでいて並外れた魔力の気配。
「……」
相手も、こちらに気付いたのだろう。こちらの方を見返す。
「――カイル」
「おう。誰かと思えば、お前らか」
名を呼ばれ、魔法使い――カイルは一瞬だけ目を見開いて、こちらの方に近付いた。
「カイルじゃん。えーっと……何してたの?」
「任務だ。公国の北で、魔物達と一戦やり合ってた」
イリスとの一件の後、カイルは公都を離れた。
本来なら大魔法使いが片付けていたはずの魔物討伐の任務を引き受け、北方の街道や集落へ出張っていたのである。
大魔法使い亡き今、公国で魔族との戦いの最前線に駆り出されるようになったのは、弟子の1人であるカイルだ。
「ふーん。一段落したの?」
「ああ。粗方片付けたから、一旦戻ってきた」
余裕そうに話す彼だったが、鎧や顔面には血の跡や傷が多く見えた。それを見て、黙って話を聞いていたリーシャが口を開く。
「……北は、やっぱりまだ大変なのね」
「そうだな。むしろ奴らは……増えてるようにすら感じる。楽な任務じゃねえ」
短いやり取りの後、リーシャは一度言葉を切り、カイルの顔を改めて見つめた。
「……そう」
「……」
それ以上、彼は何も語らなかった。
――公都に、戻りたくないのだろうか。
リーシャ達が魔物を討伐し終えるより前に、カイルは既にこの街道に立っていたはずだ。
それでも城門へ向かわず、魔導院に足を運ぼうともしない。その選択は、偶然とは思えなかった。
「……カイル」
名を呼ぶと、彼は少し遅れて視線を向けた。
「イリスの事だけど」
「――俺には、関係ない事だろ」
即座に返ってきた短い返事。それだけで、彼の心のうちは何となく理解できた。
「あの時、何を理由にお前が躊躇ったか知らねえが、まだ……俺はあいつを信じられない」
彼の中では、イリスは今でも“使い魔”だ。
「……帰る。置いてくぞ」
「私も、まだ信じた訳じゃないわ」
離れる背中を、リーシャはそう言って留めた。
「なら、何だ」
「確かに、イリスは危険よ。一度制御を失えば、公都の人間は全員死ぬ。もう殺処分どころの騒ぎではなくなる」
空気が張り詰める。ソフィアも呆れた顔をしながらも、リーシャの話を聞く。
「でも――少なくとも私は、アリス様の選んだ選択を信じたい。“使い魔を創る”……そう決めた選択を」
あの日、イリスはこの場にいる3人に告げた。――主には未来が見える、と。
何処まで見通せていたのか、それはきっと永遠に分からないままだろう。
だがそれでも主は選んだ。使い魔という存在を創り、魔王との決戦の時に至るまで、共に人生を生きることを。
「それが今の答え。その選択がダメだったなら、再度命懸けで戦うわ」
リーシャの言葉に、カイルは振り返らなかった。
「だーかーら、イリスはそんな事しな――」
「そうかよ。……勝手にすればいいさ」
ソフィアの軽口を遮って言い残してから、彼は夕暮れの街道を歩き出した。
徐々に遠ざかっていくその姿を止める気は、彼女達には無かった。
「……行っちゃったよ。まったく」
「ええ」
ソフィアは一度伸びをして、いつもの調子に戻ったように笑った。
「ま、カイルらしいよ。簡単に首を縦に振るような奴じゃないし」
「……そうね」
リーシャは一言だけ返し、ただ夕焼けに染まっていく城郭を見つめていた。
――主の選択も、自分自身の選択も、まだ終わっていない。
「私達も帰ろ! 暗くなっちゃう!」
こうして2人は再び歩き出す。イリスの待つ、公都魔導院へ。
――――――――――
――3日後。
眠い目を擦りながら、扉を開ける。
「おはよう! イリス!」
「うん、おはよう。ソフィア」
部屋には、まだ早朝にも関わらず元気なソフィアの姿と、朝食を作るリーシャ、それから魔導書を読んでいるシュベールの姿があった。
「まだその魔導書読んでるの? それ偽物だって言ったじゃん」
「違うよ。これは正真正銘本物の魔導書だ。それにソフィアこそちゃんと本を読むべきさ」
2人のやり取りを聞きながら、イリスも空いている椅子に座る。スープの匂いを感じながら、朝食を密かに待ち望んでいた。
リーシャが作る朝食よりも美味しいご飯は無い。そう言い切れる程の絶品を、今か今かと待っていた。
「お待たせ。はい、これはあなたの」
「ありがとうございます」
「はい」
「やったー!」
「はい」
「ありがとうございます。今日も頂きます」
それから数分、木の器に盛られた朝食が卓に並ぶ。
焼いたパンと、野菜の入った温かいスープ。ほぼ毎朝並ぶ特別なものではないが、朝の身体にはちょうどいい。
「いただきます」
イリスはスプーンを手に取り、そっと一口運ぶ。
柔らかな温度が、眠気を連れて身体の奥へ染み込んでいく。
「んー、やっぱりリーシャのご飯は落ち着くね」
「静かに食べなさい」
「はいはい……おいしー!」
ソフィアは嬉しそうにスープを頬張りながら、向かいのシュベールをちらりと見た。
魔導書を机の隅にやり、ゆっくりと静かに食事をしている。
「で、その魔導書は本当に役に立つの?」
「役に立つさ。――これは魔法・奥義の書といって」
「ん……?」
そんな他愛のないやり取りを聞きながら、イリスは食事を続ける。
この場所で迎える朝にも、少しずつ慣れてきた。顔触れにも何となく慣れてきて、張り詰めていた部屋の空気も少しずつだが和らいでいくのを感じる。
――そんな事を考えていた時。
「……あ」
「ようやく起きたみたいね」
廊下の奥から、硬い足音が響いた。一定の間隔で、迷いのない歩調。
誰がやって来たかは一瞬で分かった。
扉が強く開かれる。
「お。おはよう!」
「おう」
カイルだ。既に鎧が着込まれていて、腰には2本の長剣が着用されている。実戦用の装備だ。少し歩くだけで、金属が微かに擦れる音がする。
「……おはようございます」
「……」
挨拶に反応は無い。声が聞こえなかったのかもしれないと思いながらも、彼の様子を伺う。
「今イリスの挨拶無視したー。 それに、朝っぱらから鎧姿なんかしちゃってさ」
「ああ。もう“仕事”は始まってるんでな」
「……」
そう言って、カイルは一歩部屋に入り、それからイリスの方に一瞬視線を向けた。
彼の手には、1通の書状が握られている。
――厚手の紙。封蝋には、公国の紋章である龍の刻印。
「カイル。――それは何?」
リーシャがそれを見て、僅かに目を細めた。
カイルは懐から一通の封書を取り出す。封を切らず、それはそのままイリスの前に差し出された。
「名指しの書状だ。――大公から」
「え、イリスに?」
呼ばれた名に、イリスは手を止める。自分の驚きは、丸々ソフィアが代弁してくれた。
「……わたし、ですか」
「ああ。出頭命令、といったところか」
カイルは視線を逸らし、淡々と告げる。部屋の中が静まり返る。
「“使い魔”は本日中に、宮殿へ出頭すること。同行者は――魔導院から選出し見張り役とする。以上」
書状の言葉をカイルが読み上げると、ソフィアはゆっくりと息を吐き、シュベールは目を瞑って、リーシャは一度腕を組んでから、イリスの方を見た。
「……とうとう、直接動いたようね」
――大公、と言っていた。
イリスにとって、それが何者を意味するか。全く見当がつかないが、1つだけ分かっている事がある。
殺処分。その響きが鮮明に浮かび上がってくる。
朝食の匂いは、まだ残っている。
けれどその場にあったはずの緩やかな時間は、確かに終わろうとしていた。
「どうするの? それに同行者だって」
ソフィアが真っ先に書状の内容を確かめる。だが、それよりも早くに、リーシャが答えを出す。
「――イリスを謁見させる。そして、私が同行する」
まるで、前々から準備していたような対応だった。
「……え、リーシャだけ?」
「ええ。宮殿の人間と対等な立場と発言権を持つのは私しかいないわ。――逆に、それ以外不要よ」
そう言ってから、彼女はイリスを見る。リーシャの目は、いつも通り――わたしを使い魔として見ているように映った。
宮殿の人間。
それはきっと、“大公”という人間に近く、立場のある存在なのだろう。
だからこそ――逃げてはいけないと思った。
「すぐに支度して。他は此処で待機していて」
「……はーい」
「承知しました」
声の他に、扉の傍に立っていた男も無言で頷き、それに従う。
イリスは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。木製の脚が床を擦る、かすかな音が室内に響く。
スープはまだ温かい。
先ほどまで、何気ない朝を過ごしていた場所だというのに、もう見る影も無いのを感じる。
宮殿。大公。殺処分。どれもまだ、輪郭がはっきりしないままで、頭の中を駆け巡る度に震えと恐怖を覚える。
「……行きます」
「何かあったら、私も行くからね! 気をつけて!」
それは誰かに向けた言葉ではなかった。イリスは一度、深く息を吸う。ソフィアの言葉は無言で受け入れた。リーシャも小さく頷き、踵を返す。
そして、宮殿へと足を踏み入れる。
――イリスを“危険な使い魔”だと信じて疑わない、大公のもとへ。




