17話 研究
――翌日。
「おはよう……」
「おはよう。ソフィア、元気ないね」
部屋に入ると、椅子に深く腰掛け、項垂れているソフィアの姿が目に入った。昨日の酔いがまだ残っているのかと思ったが、顔色は悪くない。
「もしかして、お酒?」
「違う……」
即答だった。
酒でないとしたら、どうしてこんなに項垂れているのか。朝食が振る舞われていない訳では無いのに。
「じゃあ、なんで」
「――今日はイリスと一緒にいられないから、落ち込んでる」
正体は――昨日の一件にあった。
ソフィアは、素行の悪さを理由にイリスの保護役から外されたのだ。
あれから何度も謝罪を繰り返していたようだが、恐らく許してもらえなかったらしい。
「リーシャの奴、鬼だよぉ。1回酒場に連れて行っただけなのに」
「……」
不服そうに、彼女は椅子を限界まで後ろに引いて、机に伏せている。
イリスは何も言えず、その様子を見ていた。
「あれ」
ふと疑問が浮かんだ。今日、ソフィアが目付役でないのなら、誰が代わりの人間となるのか。
「そういえば――」
「――おはよう。もう起きていたのね」
その事を考えていた矢先、扉がこじ開けられる。扉の向こうからリーシャが姿を見せる。その背後には、少しだけ見覚えのある人物が立っていた。
背が高く、灰色の髪で、首にはソフィアと同じ徽章。昨日の朝にすれ違った人物だ。
「おはようございます。……あの、今日の予定は」
「その事だけど、今日はこの人に従って動いて欲しいの」
リーシャに挨拶がてら問い掛ける。すると、彼女は振り向いて、その男を指し示した。
「はい」
名前を呼ばれた男は一歩前に出て、イリスと目を合わせる。
「昨日は挨拶できず、すみません。僕はソフィアと同じ『星兵』の1人――シュベール・ナントです」
彼――シュベールは、名乗ってから深く頭を下げる。無駄のない、礼儀正しい所作だった。
「よろしく」
「よろしく……お願いします」
「あと、今日ソフィアは私と一緒に任務に出て貰う。公都に近い集落で、魔物討伐の任務よ」
「うげぇ……」
「何か不満?」
「ありません! もちろんご一緒します!!」
ソフィアとは、一日中完全に別行動になるようだ。公都の外に出るのなら、きっと帰りも遅くなるだろう。
「シュベール、後をお願いね。ソフィア、早く支度しなさい」
「へい! 直ぐにでも! ――じゃあね、イリス」
「うん、またね」
明らかに不満そうだが、そんな彼女もリーシャに連れられて部屋を出ていく。部屋にはシュベールとイリスだけが残った。
「……よし。今日は、あなたに協力して貰いたい事が2つあります」
「協力?」
少しだけ身が引き締まる。ソフィアとはまた違って、真面目な雰囲気だ。
「はい。どちらも、魔法を使う仕事です」
「……?」
話を聞いて、この場所が魔導院であることを改めて理解する。
魔導院というのは、やはり魔法を研究するためにある施設だ。
イリスが許された理由も、一部は研究目的でもあるのだろう。
断る事はできない。だがソフィアの同僚なら、信用しても問題ないはずだと思った。
「簡単な仕事なのでご安心を。ソフィアと違って、手荒な真似もしませんので」
イリスが頷いた、その直後。
――部屋の外で、誰かのくしゃみが聞こえた気がした。
それから、2人は魔導院の1階へと移動した。
「ここですね」
「……この場所は」
案内された場所には、簡易的な寝台が並び、数人が横になっていた。
包帯を巻いた者、咳き込む者。空気には、かすかに薬草の匂いが混じっている。
「救護所です。ちょっと簡易的ですけど」
「……救護」
救護所。
任務や戦いで傷を負った魔導院の人間が療養する際に使われる部屋である。
一度に5人が収容でき、今は3人が療養している。
シュベールがそのうちの1人の元に近付き、イリスを手招きして呼び寄せた。
「1つ目の仕事は、彼らの治療です」
何となく、呼ばれた理由が分かった。
「治療……魔法を使って、ですか?」
「はい。治癒魔法、と呼ばれる魔法ですね」
治癒魔法。
傷を癒し、消耗した魔力を回復する魔法。
「生憎、僕は使えません。なのでこんな手当しか出来ず……」
しかし、その習得難易度は極めて高い。軽傷を癒す程度でも、習得できている魔法使いは非常に少ない。
「なるほど……」
イリスは、自然と自分の手を見下ろした。
意識を失うほどの重傷や、病の治療まで可能なのは、大陸で数名程度に限られる。
魔王との戦いや弟子たちとの一戦の最中、イリスは自身がこれまでに負ったどんな傷も、瞬時に再生させてみせた。
「あなたには、アリス様から受け継いだ才能がある。是非とも力を貸して頂きたいのです」
――これだけの治癒能力があれば、他者の傷も治せるのではないか。という訳だ。
静かな声音だったが、真剣さが伝わってくる。
「もちろんです。 わたしの力が役に立つなら、喜んで」
「感謝します。ありがとうございます」
断る理由は無かった。イリスはそう答えて、寝台の横に立つ。
「まずはこの魔法使いから。足を骨折していて、自力で歩けない状態です」
「……こんにちは」
「こんにちは……魔法使い様」
シュベールの傍に立つ。そこには、まだ若い魔法使いが横になっていた。両足には包帯が巻き付けられ、少し動かすのも難しそうだ。
足に両手で照準を合わせ、魔力を込める。
「……」
「――高等治癒」
淡い緑色の光が、足元からふわりと広がった。
派手さはない。ただ、一定のリズムで点滅を繰り返す、穏やかな光。
「すごい魔力……まるで、大魔法使いみたいだ」
「動いたらダメ。もう少し」
魔力が一直線に流し込まれていく。
外から見て、劇的な変化は分からない。だが、青くなった痣が引いていくのが見えた。
――治す、というより。最初からそうあった形に戻しているだけの感覚だ。
「これで、かなり楽になったと思います」
「……どうですか?」
「……。おお、動かしても痛くない!」
――魔法による、奇跡のような所業だった。
「(本当に……他人が)」
「ありがとう、魔法使い様!」
改めて、自身に秘められた能力の底知れなさを実感する。
使い魔として、主の魔法の全てを継承しているとは言われていた。いざ実際その片鱗を見ると、恐ろしくも思ってしまう。
「……」
「この調子で、あとの2人もお願いします」
それから、もう1人の魔法使いにも同様の治癒魔法をかけた。
やはり、魔法を放ってから数分後には傷が塞がり、元々の調子に回復する所にまで至った。
「ありがとうな、魔法使いさん!」
「……あ、すぐに動かない方が、良いかも」
「……?」
1つ、気懸かりな事があった。
「無理やり治してるだけだから、当分の間は無茶せず、安静にしてください」
自身に治癒魔法を施して戦った時、完全に本調子に戻ったかと言われれば、そうでは無かった。
きっと、治癒魔法が身体に完全に順応するまで、時間が掛かるのかもしれない。傷の程度なども考えられる。
「おう! わかったぜ!」
「……」
「ありがとうございます。そこまでは、考えていなかった」
魔法は未知な存在で、ある種神秘的なものだ。だからこそ、その実体は掴めなくて、信じられない。
「……」
「さて。もうあと1人ですね」
ここまで、順当に2人を治療してきた。残すはあと1人。
窓際の寝台に横たわるその人物は、静かに外を見ている。眠っているわけでも、苦しむ様子も無い。それに呼吸は穏やかで、身じろぎ一つしない。
「こんにちはー……」
イリスはその人の元に近付いた。三つ編みを編んだ、魔法使いの少女だ。まだ子供のように見える。成人しているかどうかすら一目では分からない容姿だ。
「……」
――シュベールは、無意識のうちに眉をひそめた。
それはある意味、イリスに向けた疑念でもあった。
「……」
「――こんにちは。魔法使いさん」
イリスは彼女の傍に立ち、一度、静かに観察した。
そして、これまでと同じように、自然な動作で両手を差し出そうとする。
その瞬間。
「あれ」
彼女の表情を伺う。
窓の外から差し込む光が、寝台の人物の輪郭を淡く縁取る。
その横顔は、あまりにも落ち着きすぎていて――まるで普通に、元気そうな様子だった。
つまり――最初から、治す必要がないように見えたのである。
――――――――――
「……」
「?」
今一度、彼女の顔色を確かめる。瞳や呼吸まで念入りに観察し、治すべき所を調べようとした。
――健康体だ。
少なくとも、治癒魔法を必要とする状態ではない。
「何か、ありましたか?」
シュベールの問いに、イリスは小さく首を振った。
「わたしには……分からない。彼女は、別にどこも悪くない」
その言葉は、戸惑いよりも事実をそのまま告げる調子だった。
イリスには見えなかった。彼女が何に苦しんでいて、治すべき所は何処なのかを。
シュベールは、その様子を見てゆっくりと息を吐いた。
「……」
――やはり、か。
胸の奥に沈んでいた予感が、静かに形を持つのを感じた。
「……あの」
「うん。どうかしたの?」
「――過去、あなたは、何か病気にかかったとか、自覚できてるもの……ある?」
シュベールの顔を見て、イリスは再度恐る恐る彼女に問い掛けた。
だが、イリスが見て「何もない」と言うのなら、それが現状の答えだった。
彼女は必要以上に人を疑わないし、必要以上に誤魔化すこともしない。
「うーん、あんまり心あたり?ないんだよね」
だからこそ――この結果は、正直だった。
「……」
「彼女は、確かに治療が必要な状態です。――少なくとも、元気そうに見えますが」
その言葉は、言い聞かせるようでもあり、確認するようでもあった。
イリスが視線を向ける。
「それは……どういう意味?」
シュベールは、わずかに逡巡した。本来なら、ここで口にするべき話ではない。
「彼女は、魔族による“呪い”を受けた者です」
「……呪い」
室内の空気が、僅かに張り詰めた。
シュベールにとって、これは2度目の事であった。
「任務中、彼女は魔族との戦闘で自覚せず“呪い”を受けた。――3年前の事です」
シュベールの視線が、寝台の少女へと向けられる。本人は、相変わらず穏やかな顔をしている。
「それでも私には、本当に自覚がなくてね」
心当たりがない、という言葉は嘘には見えない。
「魔族の呪いは……必ずしも、身体を壊すようなものとは限らないようです」
シュベールは、静かに言った。
――治癒魔法では、触れられない領域。傷として存在しない以上、癒すことも出来ない。
それが、呪いというものだ。
「この事に気付いたのは、アリス様だった」
シュベールは、そう前置いてから言葉を選ぶように間を置いた。
「最初は誰も、異変に気付かなかった。実際、今も普通に会話ができるし、食事もできるし、魔法も使える」
「……」
「ですがアリス様は――“違和感”を見逃さなかった」
言葉にすると曖昧だが、それが、主が気付いた理由だった。
「“魔力の乱れ”と仰っていました。人間の魔力というより、魔族のそれに近い、と」
「え、まさか私、わるい魔族ってこと?」
「いいえ。あなたはちゃんとした人間です」
改めて、彼女を見つめる。しかし魔力の乱れなるものは視認できない。やはり、主にだけ見える何かがあるのだろう。
「アリス様は……この人に治療を?」
「勿論。だが、何度試しても結果は変わらなかったそうです」
主は、この世界の全ての魔法を知っている。
最高位の治癒魔法、古代の浄化術式、光属性による魔力洗浄――試せる手段は多かったはずだ。
それでも、届かなかった。
「ですが……完全に諦めた訳ではありません。アリス様も、実際諦める事はしなかった」
シュベールは、ゆっくりとイリスを見る。
――わたしの魔法なら、可能性はあるのだろうか。
「――もう1つの仕事とは、これです。アリス様の未完の研究を、あなたの力を借りて完遂させたい」
無理難題かもしれない。
だが、主のように試す価値はあった。
「そして、彼女を治療して貰いたいのです」
「……わかった」
再度彼女に向かって両手をかざし、静かに目を閉じる。
「お願い……します」
「任せてください」
治療でもない。浄化でもない。
――わたしがやり遂げるべき事は、主が出来なかった事だ。
「……」
自分の今できる事を引っ張り出す感覚。主の記憶を参考に、幻想を現実にする。
「――□□」
――きっと、この魔法が使えるのはわたしだけ。
「……」
「……なんと」
周囲の魔力が捻れて、イリスの元に集約される。世界の流れさえも、彼女の魔法でゆっくりと流れていくように感じられる。
この場所では、自身は未知の研究対象であると同時に、主――自らの魔法と向き合い、現実をひたすらに追究すべき立場にいる。
それが、魔法使いという存在だと思う。
「……く、っ。疲れた」
「……ん」
彼女が手のひらを握り、己の感覚を確かめる。
――何の変化は感じられない。しかし、何かが僅かに揺れ動いたような、そんな気分がした。
イリスも大量の魔力を一度に消費し、その場にしゃがみ込む。目眩がして、視界も砂嵐のようでよく見えない。
「……イリスさん、平気ですか?」
「あ、ありがとうございます」
しゃがみ込むイリスにシュベールが手を貸し、ゆっくりと立ち上がらせた。数度の瞬きと、戻っていく時間の流れが、彼女を元の調子に引き戻していく。
「どうですか? その……調子は」
そして、シュベールは彼女に問い掛けた。自覚できないから、どれだけの変化があったか確かめることも出来ない。
「わからない。けど――少しだけ、楽になれたのかもね」
そう思っていたが、彼女からの返答を聞いて、イリスは小さく息を吐いた。
完全に解けた感触はない。けれど、確実に“何か”に触れた。
きっと、今の自分の力では、ほんの僅かしか好転は見られないだろう。これからも継続して、何度も繰り返す必要がある。
「決して治せたとは言えないけど、やれる限りの事はしました。あとは、これを続けるだけです」
イリスは、まだ重たい頭を押さえながら言った。
「ええ。……ですが、これは大きな前進です。改めて、感謝致します。ありがとう」
魔族の呪い。人の身体を器として、静かに根を張る異物。
大魔法使いですら変化を与えられなかった呪いが、ほんの僅かとはいえ、反応した。
それは、解呪が不可能ではないという証だ。
「――お姉さん。今後もここに通ってもいいですか?」
イリスが、寝台の上の少女に問い掛ける。決して治せない呪いではない。せめて怖がらせないように、目線を合わせて話し掛ける。
「もちろん。いつでも待ってる!」
彼女は、柔らかく笑って答えた。
「僕からも、リーシャさんに伝えておきます。――主の魔法研究に進歩があったと」
「いやいや……そこまでの事では無い、ですよ」
シュベールは、深く頭を下げた。その仕草に、イリスは少し戸惑いながらも首を横に振る。
「では、今日の仕事はここまでです。あとは僕が見ておきますので、一度部屋で休んでください」
「はい。ありがとうございました」
イリスは一礼してから、静かに踵を返した。
救護所の扉を閉める直前、もう一度だけ振り返った。
――主の魔法と、わたしの可能性を追究する。それが、今自分ができる最大限の事だ。
そう胸の内で確かめながら、救護所を後にした。
――――――――――
――同時刻。
公都の中心には、魔導院と並び立つ建物がある。
それは高い天井と、過剰なまでに広大で華やかな宮殿を指す。
「ほう……」
壁にはこの国の紋章と、歴代の君主達の肖像画が並び、大きな窓の外には、整然と区画された公都の街並みが見下ろせる。
宮殿の最奥。玉座に、1人の男が座っていた。
「――使い魔の殺処分には、失敗したか」
大公――ジョン・クロフォード。
この公国の実権を握る、クロフォード家当主。
年齢は壮年に差し掛かった頃だろうか。整えられた髪と髭、上質な召し物。表情は鋭く、感情を奥に押し隠しているような威風が漂う。
「まだ生きている、……それどころか、この都に足を踏み入れるとは……」
男は一通の報告書に目を落としていた。報告書とは、使い魔を巡る一連の事件の顛末を書き記したものだ。
1年前。
大魔法使いが消え、公国の権力はようやく宮殿と、大公が掌握する事となった。――魔導院の存在がある以上、まだ完全な掌握という訳では無いのは事実だが。
どこまでも、魔法使いは行く手を阻む。
魔法使いには確かな実力がある。常人には扱えないような魔法を操り、彼らは自ずと人々の上に立ち、英雄として認められる。
目には見えない権力とは違って、魔法は目に見えて、確実で、存在自体が強い。
「それが……憎い」
――それが、堪らなく気に入らない。
必要なのは、君主としての絶対的な権力だ。それが何者かによって脅かされる事は、決して許されない。
――たとえそれが、大魔法使いであったとしても。
「……“大魔法使いの使い魔”イリス、か」
大魔法使いが消えたと思えば、次はその使い魔が現れた。“英雄”の帰還は、大公から権力を再び奪う事を意味する。
「ようやくこの手に収めた権力だ。貴様のような者に……2度と奪われる訳にはいかない」
※“呪いを受けた魔法使い”の描写を変更。




