16話 酒場
――朝方。
イリス達が出発する、数十分前のこと。
「……入れ」
「失礼しまーす」
魔導院の2階。
何度かノックをした後、ソフィアが部屋の中へ入る。
使い魔の殺処分。一連の事件の報告を行うために。
「ソフィア。ノックは3回だ」
「あれ、私確かに3回……」
「2回だったぞ。それだと便所だ」
ノックが出来ただけでも珍しいと、ため息を吐きながら、その老人は彼女を出迎えた。
余計な話をする間もなく、即座に本題へ入った。
「それで、殺処分は」
「失敗しました。――これが報告書です」
彼女によって渡された報告書を、老人が時折目を近付けながら読み込む。
「……ふむ」
部屋を見渡す。お飾りのような杖、所々隙間が目立つ本棚、手入れの行き届いた書斎。
――魔導院の“長”に相応しい、実に清潔な部屋だった。
「リーシャと、カイルでも無理じゃったか」
「彼女達は、あくまで“命令”に従っただけ。本気になれば、命懸けでも遂行したでしょう」
一通り目を通した“長”が、報告書を折り畳み、分かっていたような口振りで言葉を零す。
「まあ、公国でも最高戦力の2人が無理となれば、“あの御方”も、多少は納得してくれるだろうて」
「ええ」
対するソフィアは、目の前の嘆きを聞き流しながら、買い物として寄るべき場所とその道のりを考えていた。
「後は、説得次第というわけか」
「……ですねー」
殺処分が寸前で回避――中断された今、次の問題は使い魔を誰が管轄するかという点にある。
魔導院の立場としては、いずれまた殺処分が下される可能性があるにしても、それまで最低限彼女を「保護」し、魔法解析や研究、その他諸々の用途に利用したいと思っている。
だが、それを面白く思わない者達がいるのも事実だった。
「説得は上手くいくとして、次はアレをどうするかな……」
「アレ……」
――大魔法使いの弟子のことだ。
少なくともリーシャは、使い魔が魔導院の手に渡ってしまう事を避けたがっている。
仮にも主が苦労して創った生き写しだ。彼女なりに何か思う所があるのだろう。
しかし、これは感情だけでは片付けられない問題なのもまた事実。
中立の立場を保つソフィアにも、状況は何となく理解できている。
このままでは、イリスの処遇を巡って弟子達と魔導院の間で争いが起きてしまう。
――そうなれば、得する者はいない。
「(いるとしたら……宮殿の連中くらいかなあ)」
「そこで、ソフィアには弟子達を説得して貰いたい。――君の言葉なら、交渉の余地がある」
「えー……」
何を言われるか、予想はしていたが、いざ言葉にされると困惑は隠せなかった。
「これは、ソフィアにしか出来ん事だ」
中立とはいえ、やる事は与えられる。
リーシャに取り入って、イリスのお世話係兼保護者の役をもぎ取る。
「……」
「使い魔と直接話をした事もあるのだろう? 交渉が無理でも、監視役ぐらいは簡単に任されるはず」
監視役――どうにも気が進まなかった。
外でイリスを待たせている。早く話を終わらせなければ、誰かが1人の彼女を見つけて連れて行ってしまう。せっかくの休日が台無しになる。
「これは儂だけでなく、魔導院にとっても必要な事なのだ」
「長」がソフィアに問い詰める。その表情は面白いほどに切羽詰まっていて、焦っているのがすぐに分かった。
「……はい。じゃあリーシャを説得すればいいんですね?」
「ああ。勿論、こちらの動きは悟られぬようにな」
「分かってますって」
魔法の研究でさえ大苦戦するのに、内々の調略なんて芸当が自分に務まる訳がない。
「本当に分かっとるのか。大体……」
そう思いつつ、話をすぐに終わらせるために、結論に持っていこうと相槌を打ったり、頷いたりを繰り返す。
「はあ……頼むぞ。ソフィア」
「お任せください!」
これ以上部屋に残っていると、次はとても長い世間話に移ってしまいそうな気配がした。
「ああ、そういえば――」
「では! 失礼します!!」
半ば強引に切り上げ、部屋を飛び出す。その背中を見て、「長」は呆れたような表情を見せる。が、彼女の知った事ではない。
――ソフィアは、リーシャ達と同じ「星兵」であり、魔導院の末席に加えられた立場でもある。
全てと向き合う事は、すごく難しい。自分が何者であるかさえ、見失ってしまうほどに。
「……まったく」
今は、この迷いを隠すことしか出来なかった。
――――――――――
公都・三番街。
「乾杯!!」
酒場の扉をくぐった瞬間、ソフィアの空気は一変した。
先ほどまでの辛うじての落ち着きはどこにいったのか。杯を煽る勢いは止まらず、空になった酒杯が次々と机上に重ねられていく。
「お! ソフィアも来てたのか! 久しぶりだな!!」
「おおー! 傭兵さん! 3日ぶりだねー!」
その上、彼女は周囲の客にも気さくに声を掛け、見知らぬ冒険者や常連らと笑顔で言葉を交わし始めていた。
この喧騒こそが、彼女の本来の居場所であるかのようだった。
「……ごく」
使い魔の身体構造は、酒の成分も問題なく消化できる。とされているが、実際の所未知数でもあった。
ソフィア曰く、毒物や瘴気などに一定の耐性があれば酒も全く問題ないらしいが、それでも若干の不安があった。
その為、イリスは水を飲んでいる。暴走の危険性があるからと、彼女自身が杯を手にする前に自制したのだ。
「ソフィアは、よくここに来てるの?」
「うん! 基本1人で来るけど、ここには皆いるから!」
ソフィアはそう言って、楽しそうに酒場の中を見回した。
周囲には、重たい装備や武器を所持した兵士や傭兵が席に着いている。
鎧の意匠も、剣の形もまちまちで、この国の者ではない風貌の者も少なくなかった。
彼らは皆、酒を傾けながら、戦場や旅路の話を交わしている。
――ここは酒場であると同時に、噂や情報が行き交う場所なのだろう。
「あれ、ソフィアじゃないか!」
「ん? え、おじさん! 来てたんだ!」
その時、イリス達の元に、1人の男がやって来た。
鎧は年季の入った革製で、所々に補修の跡が見えた。腰には使い込まれた剣。
いかにも「傭兵」と呼ぶに相応しい身なりの男だった。
低く掠れた声に、ソフィアは一瞬きょとんとした後、ぱっと顔を明るくした。
「生きてて良かったよー!」
「おいおい……死んだと思われてたのかよ」
苦笑いしながら、男は近くから椅子を適当に引っ張ってきて、近くに座った。
相変わらず、ソフィアの人脈の広さには驚かされる。
「おじさんは何処で戦ってたの?」
「北方だ。公国の境界線を越えた先のな」
ソフィアの問いに、男は酒を一口あおってから、少しだけ表情を曇らせた。
「あー、もしかして魔族?」
「ああ。でも数が多過ぎて、うちの傭兵団は撤退する事になってな」
「そりゃ大変だ……」
イリスは2人のやり取りを、黙って、時折小さく頷きながら聞いている。
男の話によると、北方では傭兵団も魔族との戦いに駆り出されているという。それでも、数が多いと漏らす彼の言葉からは、まだまだ戦いが終わらない事を実感させられる。
「極北では帝国の騎士様も戦ってるんだってよ。クソ寒い所で、よくやるよな」
「うーん。私は寒い所好きだけど、ずっと居たら嫌になりそう」
騎士という言葉を聞いて、1人の騎士が脳裏に思い浮かぶ。元気にしているのだろうか。戦いの様子からは、次再び会えるのはまだ先の事になりそうだ。
「あと! 最近は魔物が多くて稼ぎも良いんだ。お陰でたくさん飲める!」
屈託のない声が、現実へと引き戻した。
「じゃあ酒の1、2杯でもご馳走になろうかなあ?」
「なっ、それは話が違――」
「酒追加で1つ!!」
「……」
2人のやり取りを横目に、イリスは黙って杯に口を付けた。
中身は水。喉が潤うだけで、ぬるい。
魔族の話を聞くと、やはり1年前のことが思い出される。
魔物が多いというのは、決して良い話ではない。それは討伐が追いついていない証であり、それだけ各地で被害が積み重なっているという意味でもある。
「この嬢ちゃんも、ソフィアの仲間かい?」
「そうだよ! すんごく強い魔法使い! まだ新入りだけどね」
「えっと……イリスです」
「おう! よろしくな!」
傭兵の視線は、イリスへ向けられた。
興味本位――それだけの、よくある視線。
「新入りでこの魔力とは、将来有望だな!」
「そうなの?」
「ああ。自分で気づいてないのか?」
使い魔であるということは、自分から明かさなければ絶対に分からない。
身分を明かすことは禁じられている。殺処分を受けた身が出歩いていると知ったら、公都の混乱は免れない。
ソフィアもそれを分かって、何となくの調子で話してくれている。
「でしょー!」
「ソフィアの何倍も強そうで、信頼できそうだ」
「それは聞き捨てならないなー?」
強い、という評価はこれまで何度もされてきた。
イリスは、自分の内側に意識を向けた。魔力は、いつも通り静かに満ちている。
特別なことは何もしていない。威圧するつもりもない。
ただ、この場にいて初めて思うこともある。
「イリス……だっけか、ソフィアを頼むぞ!」
「うん」
「何だよそれー」
冗談めかした声に、真面目に応じるイリス。それから、水の入った杯にまた口を付けた。変わらずぬるいままだ。
それから、傭兵の厚意で料理を貰ったり、旅人から旅の話を聞いたりしながら、酒場での時間は流れていった。
既に日は暮れ、深夜に差し掛かりつつある。だが、酒場の喧噪が静かになることは無かった。
「うう……」
「ソフィア? どうしたの」
ふと彼女の方を見ると、机に頭をぴったりくっつけて、苦しそうにしている様子が目に入った。
「飲み過ぎたんだろう。たまに、こいつを魔導院まで運ぶこともあってな」
「運ぶ……」
ソフィアはどうやらぐったりと眠っているようだ。身体を何度揺さぶっても起きない。
傭兵の言葉によると、これは珍しい事では無いらしい。――飲み過ぎ、という所か。
「……ったく」
机の上に置かれた空の杯の数を見て、傭兵がため息をついて呟く。
「激務、なんだろうな」
「?」
「日に日に酒の量が増えてやがる。今日なんて、今までに無いくらいだ」
確かに、傭兵が飲んだ酒の倍以上はありそうな量だ。
――酒は百薬の長、なんて言葉を以前聞いたことがある。だが、これほどの量はかえって身体を壊しかねない。
「おい! イリスが困ってるぞ、起きろ!」
「んー……揺らさないでぇ」
「大丈夫です。……起き上がるまで、待ちます」
「そうか?」
この調子だと、しばらく起きそうにないのは確実だ。無理に起こせば、機嫌を損ねて暴れかねないし、待つことにした。
「……きっと、ソフィアも何だかんだで大変なんだ。面倒見てやってくれ」
心配そうに、傭兵がイリスに告げた。イリスも頷いて、ソフィアの肩に弱く触れながら答えた。
「はい。出来る限りの事はします」
「頼もしいな! ――おっと、俺はもう時間だ。じゃあまた会おうぜ、イリス!」
「……また」
傭兵の男も、そう言って宿を後にした。
――酒場に行けば、また会うことができるだろうか。
別れの挨拶を、もっとちゃんとしておくべきだった。という後残りがした。
「……」
「う……うぅ……」
「ソフィア?」
ソフィアも少しだけ目を覚ます。
熟睡されると困る。この期に起こすことにした。
「ほら、わたし達も帰らないと」
「うぅ……帰る、帰るから」
そう言って彼女が立ち上がるまで、実に1時間ほどの時を要したのだった。
「……ここで熟睡しちゃダメだよ?」
「うー……」
ふと握り締めた彼女の手は、いつもよりもずっと暖かいような感じがした。
――真夜中。
星や月のみが、公都を照らしている。
「ごめんねー……肩貸してもらっちゃって」
「いいよ。もうすぐ魔導院に着くからね」
ソフィアの半身を支え、魔導院までの道を行く。身体はとてもひんやりしていた。
「うーん、そこ左」
「いや、真っ直ぐだよ」
道はこの1日で大体覚えることができた。魔導院から広場、そして酒場と見知った場所も増えた。
まだ1人では行動できないが、いつかまた公都を散歩できたら良いなと思うほど、今日は楽しかった。
「……ん?」
「んー、どうしたのー?」
魔導院まで、あと少しの距離となった時。
――視線の先に何者かの姿が見えた。
「誰か立ってる」
「誰かなー……――あ」
段々と、その姿が大きく、はっきりと見えてくる。
「……今は、会いたくないよぉ」
「あれは」
「――遅い。いったい、どこで道草食ってきたの」
姿の正体は――リーシャであった。
「リーシャ……様」
「げぇ……」
彼女はイリスとソフィアをそれぞれ一瞥し、ソフィアの方から感じる酒の臭いと、真っ赤に染まった顔から全てを察した。
「まさか、酒場に?」
「……」
リーシャの顔が、段々と怖い表情に変わっていく。
「答えなさい。飲んだの?」
「飲みました……」
それから、視線はイリスに向いた。睨みつけるその目はとても怖い。
「……あなたも飲んだの?」
「いや、わたしは……」
「イリスは飲んでないよ! 水を飲ませました!」
ソフィアの言葉を聞いて、リーシャは半分疑いつつも、呆れた顔をし、腕を組んだ。
「――ソフィア。私はあなたを信用して、イリスの保護役を任せたのよ?」
「……はい」
「それなのに、まさか酒場に連れていくなんて」
「うぅ……ごめんなさい」
組まれた腕にしがみついて、許してもらおうと取り入るソフィア。だが、その冷気を嫌がるように、しがみついた手を振り解いた。
「明日の保護役はシュベールに任せるから。反省したら、さっさと戻りなさい」
「ごめんってばーー! 許してリーシャー!」
「わかったから、その手を離して」
今にも泣き出しそうな顔で、ソフィアが何度も許しを請う。が、効果はないようだ。
「まったく。――イリス」
「は、はい」
1人で下を向いて、先に魔導院へ戻っていくソフィアを前に、さらにリーシャはイリスの名前を呼ぶ。無視かと思ったが、簡単に見逃してはくれないようだ。
「勘違いしないで。別に、あなたを許した覚えはないから」
――と、彼女は頬を膨らませながら言った。
「仮にも心があるというのなら、節度ある行動を心掛ける事ね」
「気をつけます。ごめんなさい」
鋭くて、怖くて、至極真っ当な指摘だ。
彼女は背中を向け、寒そうに身体を震わせながら魔導院へと帰っていく。
「早く来なさい。門を閉めるわ」
「今行きます……!」
イリスはリーシャの言葉に従い、早足で彼女の後に続く。
イリスが殺処分を免れてから1日。夜の三日月は、昨晩よりも少し光量を増やして、彼女の姿を鮮明に映し出していた。




