14話 朝焼け
食器は既にほとんどが片付けられ、残るは1つだけとなった。
「ゆっくり食べてねー」
先程まで部屋にいた魔法使い達は、各々非番の日々を謳歌すべく、公都に散った。
自室に籠もった者、鍛錬に出た者、研究棟へ向かった者もいる。
最終的に残ったのは、やけに魔力量の大きな魔法使いの少女と、朝から変わらず元気な氷の魔法使い。
少女――イリスは、スプーンを持つ手を止めかけて、慌てて動かした。
――彼女を、待たせてしまっている。
「……もぐ」
「喉詰まらせないでね?」
向かいの席から、柔らかな声が飛んでくる。魔法使い――ソフィアは肘をつき、頬杖をついたまま、楽しそうにその様子を眺めていた。
――わたしは、殺されなかった。
朝方に程近い深夜、許されたばかりの身。「使い魔」としては処分を免れ、今は1人の魔法使いとしてこの部屋に身を置いている。仮にも。
ソフィアが止めた訳では無い。寸前で、殺処分をする事に躊躇った、リーシャとカイルの判断だった。
「……できない」
――リーシャがそう言ったのは、鮮明に覚えている。
視線を上げると、ソフィアと目が合った。逸らそうとして、しかし思いとどまる。
「……」
「おいしい?」
イリスの事を責めるでもなく、疑うでもない。ただ、スープを啜る姿を興味深そうに見つめている。
スープを一口、もう一口と口に運ぶ。
温かさが喉を通るたび、胸の奥に溜まっていた何かが、この間だけゆっくりと解けていくような気がした。
「運良く助かったんだから、もうちょっと豪華なご飯を食べさせてあげたいけど、生憎私は料理が下手くそで……」
と、ソフィアは楽観的に昨夜を振り返った。羨ましそうにするその目は、今イリスが食べているスープに向けられている。
このスープを作ったのはリーシャだ。几帳面で真面目な彼女だからこそ、ここまでの絶品が出来上がるのだと思う。
段々と底が見えてくる器を見つめる。無くなってしまうのは惜しいと、匙を持つ手を止めた。
「ん、食欲ない?」
「……いいや」
イリスの身体は食事をせずとも生きられる。食欲という概念も無い。
――ただ、わたしは本当にここにいていいのか。
その疑念が湧き上がってくる。事実を、まだうまく受け止められずにいた。
器の中身が、ほとんど空になる。
最後の一口を飲み干すのを見届けてから、ソフィアは満足そうに息をついた。
「ごちそうさま、だね」
「……」
イリスは空になった器を見つめたまま、小さく頷いた。
「私はこの後、研究棟に顔出してくる予定なんだけどさ」
何気ない口調で、ソフィアは立ち上がって身体を伸ばし、話題を切り替えた。
「一応報告もあるし。――昨夜のこと」
報告。
その一語で、イリスは真剣な表情で固まる。
――何を意味するのか、考えるまでもなかった。
魔導院では今も、使い魔の処遇について意見が割れている。
貴重な研究対象として残すべきだと主張する一派。危険因子として、速やかな殺処分を支持する一派。
ソフィアは、そのどちらにも属していない。
だからこそ、彼女はこの件において微妙な立場に立たされている。表立って言葉にすることはないが、少し肩身の狭い思いをしているかもしれないのも事実だ。
――それでも。
彼女が提出する報告には、確かな重みがある。
使い魔に意思があること。そこには、思考があり、判断があり、そして――心と呼べるものがある可能性も見出だせる。
その事実は、魔導院の人間たちに再考を促すには、十分すぎる材料だ。それに勿論、再考を促すのは彼らだけに留まらない。
「ここは仮にも魔導院だから。でも、すぐにイリスも“歓迎”されると思うよ!」
――歓迎。
イリスは、胸の奥に言葉にできない違和感を抱えながらも、静かに頷いた。
「わたしは……やる事ない?」
恐る恐るソフィアに尋ねる。ソフィアは少しだけ目を瞬かせて、それから、いつも通りの笑顔に戻った。
「あー、今日は……皆非番だからなあ」
「非番?」
「そう。普段は任務とか、依頼を片付けたり、研究の手伝いしたりしてるんだけど、今日はお休み!」
屈託のない声音だった。本当に、ただの休日であるかのように。
「……休み、なんだ」
イリスは小さく復唱してみる。それでも、今日が休みであることに現実味は帯びてこない。
「だからね、よいしょ」
「?」
器を洗い場へ持って行ったソフィアは、それまで自分が座っていた椅子に戻り、深く腰掛け直す。
「――今日は、君に公都を案内してあげよう!」
その言葉に、イリスの胸が僅かに波立った。
朝焼けの時は既に終わりを迎え、太陽は高く昇り始めていた。
――――――――――
「……」
イリスとソフィアが食事をとるその隣室では、リーシャが1人、机に広げられた書面と向き合っていた。
「――リーシャ様」
「入って」
そこへ、誰かの声が部屋の向こうから響く。
返答の後、男が部屋に入ると、足を踏み入れる場所もないように肩をすくめながら、辺り一面を見渡した。
「失礼します。……相変わらず、すごい書物の量だ」
「仕方ない事だから」
リーシャは視線を上げる事なく、淡々と言葉を返す。
机の上には、報告書や記録、命令書や伝令の写しが幾重にも重なり、何枚かは床にも侵食している。
部屋いっぱいに配置された本棚には、隙間なく書物が保管されている。――大魔法使いただ1人による、大陸随一の知識の集積だ。
今、それらはリーシャが管理の役を担い、実に1000冊を超える書物の所蔵を引き受けている。それぞれの書物の記述・内容すらも、彼女は受け継ぐ立場にある。
「リーシャ様に、これを」
男は慎重に歩を進め、手にしていた封書を机の一角に置いた。
「これは?」
「宮殿からです。――恐らく、大公の」
言葉を切り、静かに彼女の返答を待つ。
似たような封書がこれまで何通も届いているが、その内容は彼にも分からない。
中身を知る立場ではないにしても、その重みと様式で、差出人は何となく察せられる。
「……そう」
「用はこれだけなので、また」
「待って。――イリスの様子は?」
用事が済み、部屋を出ようとした男を、リーシャが手を伸ばして止める。その要件とは、使い魔のことだった。
「ああ、元気そうです。今は……多分ソフィアと一緒に」
彼はそう言って、リーシャの表情を窺う。
人のことを心配していられるほどの余裕は無い様子で、これまで以上に切羽詰まった表情で書物の山と向き合っている。
――それでも。
リーシャが心配するのも、無理はない。
あの使い魔は、単なる魔法の産物などではない。意思を持っている可能性があり、言葉を選び、他者との関わりを求めている存在だ。
魔導院にとって、それは歓迎すべき研究対象であると同時に、極めて扱いづらい問題でもあった。
「わかった。……シュベール、ありがとう」
「はい。それでは」
目の前の魔法使い――シュベール・ナントも、大魔法使いの「星兵」の1人である。
ソフィアやシュベールは、一連の問題に対して中立の意思を取っている。少なくとも、表向きには。
だが、それが本心なのかどうかまでは推し量れない。
同じ主を持った「星兵」同士でも、彼女たちが魔導院という組織にも身を置いている以上、完全な中立などあり得ない――リーシャは、そう理解していた。
イリスを「単純な興味」で見ているのか、「心を持った個人」として見ているのか。その立場は曖昧なままだ。
「……」
――そんな事を言う私にも、イリスをどう扱うべきか分からない。
殺処分に踏み切ろうとしたのは、彼女を「危険な使い魔」として認識していたから。でも「心を持った存在」だとすれば、扱い方は根本から変わる。
理由もなく他人を殺すことは、大罪だ。だからこそ、感情に流されず、慎重に向き合い続けなければならない。
――それに。
彼女を生み出した主の魔法を――主の正体を、なんとしてでも突き止めなければならない。
本棚の書物、特に魔導書は、これまで読める限り目を通してきた。主だけが解読した古代の魔法や、失伝の魔法も全て。だが、その悉くが理解できなかった。
――そもそも理解するための手掛かりも、器量も、まるで無かったのだ。
リーシャは思考を断ち切るように、窓の外へと視線を向ける。
そこには、ソフィアに手を引かれ、魔導院の外へと連れ出されていくイリスの姿があった。
今はただ、その姿を見ていることしか出来なかった。
「どうしたのー! 置いてっちゃうよー!!」
「ま、待って……!」
手を引いていく速度に、イリスは追い付けず、思わず足がよろける。
慌てて姿勢を戻すが、ソフィアは軽やかな足取りで歩き続け、振り返った頃にはずっと前にいた。
真っ暗だったあの時とは違い、魔導院の外には、公都リリーアの街並みが、鮮明に立ち並んでいる。
イリスの単独行動を禁ずる――それを条件に、ソフィア達は魔導院からの外出を許可してもらった。
許可が出るとすぐに、彼女はイリスを引き連れて、同行や保護という名目を忘れて一目散に飛び出した。
その背中がいかにも楽しげなのに対し、イリスはすでに疲れ果てた表情を浮かべている。
「まずはどこ行く? どこへ遊びに行こうか!」
「え……あ、えっと」
どこに行くかと問われても、イリスには即座に思い浮かぶ場所などなかった。
「あ、そうだ! イリスはさ、魔法杖持ってる?」
突然投げかけられた問いに、イリスは一瞬だけ思考を巡らせた。
杖を持たされたことはない。魔法使いには必須の道具と聞くが、使ったことも、必要としたこともなかった。
「持ってない」
「よし! じゃあ杖を作って貰おう!」
それを聞いたソフィアは、ずっと待っていたかのように目的地を定めた。足取りはすでに、その方角へ向いている。
公都では多くの商人が行き交い、そこには魔法使いの為の魔法杖を扱う行商人もいる。ソフィアの中には、当てがあった。
「あ、待って……ソフィア!」
――ソフィアから少しでも離れれば、単独行動と言われてしまう。彼女にだけは、これ以上疑われたくない。
段々と遠ざかっていく背中に置いていかれないように、イリスは必死になって走った。




