13話 星の魔法使い
――朝焼けが、部屋の中を眩しく照らす。
「おはよう!」
「……おはよう」
強く瞬きをして、少しずつ目を慣らす。今日はいつもより目覚めが良くて、寝心地も悪くなかった。
「起きてくるのずっと待ってたんだよー。久しぶりに手作りシチューが食べたくて!」
彼女の手は相変わらず氷のように冷たい。冬の朝にこの手は堪える。
「……そう」
「いや! 二度寝しないでよ!」
毛布に包まって、起き上がるのを拒絶する。
だって今日は仕事が無くて、何もせずゆっくりとして居られる日なのだから。彼女の朝食も別に作る必要は無い。
「……」
「……はぁ。待ってるからねー」
それから数分、彼女は諦めたように部屋を出ていく。
彼女に厨房を任せて平気なのだろうか。調味料も分からない、芋の皮剥きでさえ大苦戦する彼女に。
「う……ぐっ」
きっと、後から後悔する。
そう思ってゆっくりと身体を起き上がらせ、後を追うようにして、部屋を後にする。
「あ、忘れてた……」
寝所の近くに置かれた――1つの徽章。少しだけ錆び付いた徽章を首から掛けて、部屋を飛び出す。
――1年ぶりの、ごく普通な朝が巡る。
ひんやりと冷え固まった手に、スープの温もりが伝わっていく。
「おいしー……」
「……」
この場所で朝食を作るのは、何ヶ月ぶりの事か。
長いこと外を回って、任務に明け暮れた日々では、他の都市に滞在し続けて、簡単に帰ってくることさえ出来なかった。
だからだろうか。この何でもない一杯が、ひどく重く感じられた。
「……ねえ」
「?」
「今日、何か予定あったっけ?」
「……無いわ」
匙を止めずに返す声は、あくまで平坦だ。
「だから寝てた」
「だよねぇ」
彼女は軽く笑って、またスープを啜る。その無防備な仕草に視線を落とす。
――いつまで、こうしていられるのだろう。
そんな考えが浮かんだ瞬間だった。扉が、叩かれた。
乾いた音。迷いのない、強い叩き方。訪問ではない。呼び出しだ。
「はい」
「俺だ」
扉が開く。その向こうには、スープの匂いを嗅ぎ付けた魔法使いと、もう1人の魔法使いがいた。
2人とも冬にはとても考えられないほどの薄着で、片方の魔法使いに至っては上裸だ。
「なんで上裸なの」
「寝付けなくてな。鍛錬をしていた」
「――暑い暑いと騒いで、次僕が気付いた時には上裸でしたよ」
姿を見て、女の魔法使いは呆れたように溜息をひとつ吐き、また視線を逸らす。この男の感覚が常識外れなのは、今に始まったことではない。
「で、なんか用事ー?」
「俺らにもそのスープをくれ。――寒くてかなわん」
「やっぱり寒いのね」
「あ、私おかわりー」
立ち上がり、鍋の方へ向かう。
器を追加で用意し、スープを注いでからひとつずつ手渡していく。そのついでに、自然と視線がこの部屋に集まった面々へ向いた。
「はい」
「ありがとー」
最初に受け取ったのは、冷気を纏う氷の魔法使いだった。
手が触れないよう気を付けて渡す。――彼女の掌は、相変わらず凍えるほど冷たい。触れれば指先の感覚が持っていかれる。
「はい」
「おう」
次は、上裸の魔法使い。
この寒さで平然とその格好をしている時点で、常識的な人間ではない。体格だけ見れば彼は前衛職にしか見えないが、魔法の才能は本物で、完全な力任せではないのが余計に質が悪い。
「はい」
「頂きます」
最後は、若い魔法使い。
受け取り方一つとっても、無駄がない。帝都の魔法学校を出ていると聞いたが、その所作には若干育ちの良さが滲んでいる。
「星兵」の中で最年少でまだまだ経験が浅いが、有望株だ。
「まだおかわりできる?」
「もうあと1人分しか無い。取っておくわ」
こうして並べてみると、本当に統一感のない面子だ。
――だが、皆揃って「星兵」だ。
星兵とは何者か。
――一言で言えば、かつて大魔法使いの私兵だった者達だ。
大魔法使い自身が弟子として拾い上げた者。
あるいは、公都魔導院の中で特別な魔法の才能を見出されて引き抜かれた者。
そうして集められたのが、この集団だった。
いずれも、実戦と戦闘技術に長けた魔法使いばかりだ。研究室に籠もらせておくには惜しい――そう判断される程度には。
主亡き今、彼らの進路は分かれている。魔導院へ戻り、研究に身を捧げる者。
大魔法使いの後継という立場を引き受け、度重なる激務と戦いの現場に残る者。
――そんな者達が、この小さな部屋に集まっていた。
「もうちょっと作っておくべきだった……」
「相変わらずおいしー」
「こうして一堂に会するのも、久方振りですよね」
「ああ。今までは各地を転々としてたからな」
それぞれ、今日は目立った任務が無い。
「……」
――あると思っていたものが、無くなったと言っても良い。
「どうしたのー? ……やっぱり、あの判断を後悔してるの、リーシャ」
リーシャが座ったまま、考え込む。
あれから数時間しか経っていない。それに、1年掛かった「大仕事」が、取り掛かってみたらたったの1日で終わった。寝ることができたのが不思議なくらいだ。
「後悔は……してない。――ただ、まだ自信が持てないだけ」
「気にしても仕方ないだろ。あれは、俺達全員が担うべき責務だ」
「そうです。まるで、かつての主のように1人で考え込んで完結するのは辞めてくださいね?」
「彼女」が公都の地を踏んだ瞬間から、この問題はリーシャとカイルだけのものでは無くなった。
この場所には、魔導院があって、「星兵」が居て、あるいは――
沢山の人間がいて、かつての大魔法使いも其処にいた。
偶然であったとはいえ、彼女の選択は、結果として彼女自身の世界を広げるきっかけになったのだろう。
――亡き主は、今の状況も見ていたのだろうか。
「……気持ちだけ、受け取っておくわ」
「おかわりはー……無いんだった」
関係ないように、スープのおかわりを要求するソフィア。
彼女の判断にも、リーシャはひどく驚かされ、頭を抱えた。
もっとも、彼女の行為はリーシャやカイルの選択を存分に躊躇わせ、選択の正しさを証明するための場を作るためのものであった。
「……」
よくその事を考えれば、彼女にはスープだけでなく、大好物の肉料理くらい作ってあげるべきだと思った。
――大魔法使いの弟子であっても、決して大魔法使いにはなれない。
主はきっと元から、大魔法使いになる運命だったのだ。故に、後継になると言ってみても実力でどうにか出来る問題ではない。
だが大魔法使い亡き今、この大陸は「代わり」を求めている。
――誰も彼も、自分の決めた選択とその結果に向き合うので精一杯だというのに。
「ソフィア」
「んー?」
「あなたは、もし自分の未来が見えるとしたら、どうする?」
と、意地悪な質問を投げ掛ける。ソフィアは、何か苦いものを食べたかのような渋い表情をしてから、「えー」と悩み、
「どうするも何も……楽しみは減りそうだよね」
「頭がおかしくなりそうです。寿命も縮みそうだ」
ソフィアの雑な評価に、男の魔法使いが付け足す。
未来が見通せる感覚は、想像がつかない。何がどこまで見えるようになるのか。常人には、今の景色に追い付くのにも一苦労だ。
未来視とは、果てしない世界と向き合うような感じなのだろうかと思う。
「アリス様は、よく考え事をしてた」
カイルが言うように、かつて主は頻繁に物事を夢中になって考え込んでいた。必死で何かを見つけようとする姿勢で、誰も邪魔できないような姿だった。
――そういう意味では、未来に苦しんでいたというのは正しい評価なのかもしれない。
「まあ、少なくともアリス様に迷いってのは無かったよね」
「……ええ」
主には思い切りの良さや、勘の鋭さとはまた違って、最初から全てを見通している感覚があった。
――私には、決して出来ない事だ。
というより、未来の自分が分かるのは怖いと思ってしまう自分がいる。
未来は果てしなく、終わりが無い。たった1回その魔法を行使すれば、それはきっと一生続く呪いになるだろう。
「星の魔法使いも、同じこと考えてたのかな……」
「さあ?」
「分からん。というか、誰だそれ」
ソフィアは主の話を聞いて、あの時語った星の魔法使いの事を想像した。
星の動き、流れを掌握するというのは、未来の星の運命に干渉できる事で、それはある種未来視の魔法とも重なる。
「今まで、星の魔法使いには憧れてたんだ。――凄い魔法使いだ。会ってみたい!って」
星の魔法使いの運命は、悲惨なものだった。それでも、魔法使いとしての理想の姿を映し出していて、「こうなりたい」と思えるような存在だった。
「でも今はちょっと違う。――星の魔法使いと、同じ末路は辿っちゃいけない、って思ってる」
今回の一件で、ソフィアの考えは変わった。
星の魔法使いは、確かに魔法使いが目指すべき理想だ。
――そして、この場にいるのは魔法使いだ。
普通の現実には有り得ない能力を持っていて、奇跡とさえ思える力を、まるで当たり前のように扱っている。まるで、話に聞く星の魔法使いのように。
リーシャは、卓上の空になった器を見つめたまま、静かに息を吐いた。
主がいた頃、選択肢は常に一つだった。
どれほど困難でも、どれほど理不尽でも、最後に決断するのは――あの人だった。それに従っておけば、万事うまくいった。
今は、違う。
「……アリス様は、さ」
ぽつりと、ソフィアが言った。
「何もかも全部、1人で背負おうとしてたよね」
誰も、否定しなかった。
「それで上手くいく人だったからこそ、大魔法使いだったんだろうけどさ。でも――」
言葉を切り、ソフィアは肩を竦める。
「同じことを、私達がやる必要は無いよ」
それを聞いたカイルが、鼻で短く笑った。
「そもそも、それが出来ないんだけどな」
「ですね……」
男の魔法使いは、そう言って視線を巡らせた。視線の先には、ソフィアの大して怖くは無い睨みがあって、すぐに目線を逸らす。
「――私達は、大魔法使いの代わりでも、後継ぎでもない」
リーシャは、胸元に下げた徽章に指先を触れた。重みは変わらない。その意味だけは、少しずつ変わっていっている。
「私は――」
一瞬、言葉に詰まる。
「アリス様とは違って、正しい選択をしたとは言い切れない」
正直な言葉だった。
「でも、完全に間違ったとは思ってない。――ある意味、間違いかけたのかもしれないけど」
リーシャの言葉の後には、僅かな間があった。それは否定ではなく、受け止めるための間だった。
「それで、今は十分なんじゃないか」
リーシャの手探りな言葉に、カイルが短く答える。
「未来が見えない以上、俺達は現実と向き合うしかない」
今と向き合う以上、取り返しがつかない失敗や、根拠のない選択をし続ける事になるだろう。
「選んで、ダメならまた選んで。その連続だ」
「おお……珍しい」
「ソフィア、横槍はよくないよ」
だが、根拠が無くても選ばなければならない時は必ずやって来る。選んでいられないほどに切羽詰まった瞬間だって、現れるかもしれない。
――だからせめて、選べる時に自信を持って、選ばなければならない。
「まあ、どーんと構えてりゃ良いんだよ。だって私達は、とっても強い『星兵』なんだからさ!」
リーシャは小さく息を吐き、ほんの僅かに口元を緩めた。
「……そうね」
かつての主は、未来に縛られていた。今、彼女達は違う。
――階段の方から、音がする。ゆっくりと、その音が段々確実になってくる。
「お、そろそろ起きてきたかな」
朝の光はすでに完全に昇り、窓辺を白く照らしていた。
静かな日常の中でも、何かは絶えず動いている。この一瞬にも、運命は回り続けている。
未来は見えない。だからこそ、選ばなければならない。
扉が開き、外側から光が一瞬だけ漏れ出す。それから、1人の少女が部屋に足を踏み入れる。
「おはよう!」
その姿を、ソフィアは賑やかな笑顔で出迎えた。首には彼女とお揃いの、龍の徽章が引っ提げられているのが見えた。
大魔法使いと、その使い魔の時代は終わった。
――だが、まだ終わりではない。
大魔法使いの弟子達と、1人の新しい魔法使い――昨夜まで、危険な使い魔と呼ばれた彼女の新しい時代は、既に始まりを迎えていた。




