10話 使い魔と公都
戦いの形跡が、次第に消えていく。
「……」
カイルは黒い煤を拭き取り、草原に座り込む。
――やはり、使い魔を殺せなかった。その意識に飲み込まれながら。
悔しさを表情に強く示したのは、リーシャだった。
「もっと早く……もっと前から、動いてれば」
あれだけの事をして、やり尽くして、それでも使い魔には届かなかった。
――戦うこと自体無駄だったと、結果は示していた。
「リーシャ」
「……」
「イリスは、“あっち”に向かった」
「あっち、って」
魔力の残滓と、撒き散らされた血飛沫の方向から、イリスがどこに向かったか。カイルは辺りを見回して辿った。
夕暮れ時はとっくに過ぎ、明かりのない周囲は真っ暗闇だった。それでも、使い魔の魔力は正直に、はっきりと爪痕を残している。
リーシャが、カイルの指差した方向を見る。
そっちに逃げても無駄だ。麓の町は正反対の方向で、あの方角には何も――
「――いや。あっちは」
彼女は、頭を抱えた。
――考えあっての行動か、考え無しにこの結果を生んだのか。
あの方向には、大陸西部最大の都市・公都リリーアがある。
――追い掛けるのは簡単だ。でも、使い魔を追い掛けても、簡単に殺す事は出来なくなった。
「何をしだすか分からない」未知の使い魔が、よりによって、容易に戦闘行為が出来ない都へと逃げ去った。
「どうする? 俺は追い掛けるが、リーシャは」
こんな時、主ならどうするのか。
公都の門に立ち、ゆっくりと歩を進める使い魔の姿が浮かぶ。
何かあってからでは遅い。かといって、何もしない未来だけは絶対に有り得ない。
「私も行くわ。すぐに準備する」
――使い魔と、もう一度対峙する。今度は、自分の全てを賭けて。
「……」
高い城壁が、規則正しく並び、真っ暗な夜更けにも関わらず、門の前にはまだ人の列が散見される。
商人、旅人、兵士。――それぞれが、それぞれの目的を抱いて、都へと吸い込まれていく。
それだけで、状況は理解できた。
騒ぎを起こせば、すぐに兵が動く。剣を抜けば、無関係な人間を巻き込む。下手に魔法を使えば、正体を隠しきれない。既にこの魔力でさえもかなり怪しまれている。
公都の門前に立ち、まだ誰からも襲われていないのが奇跡だと思った。
イリスを狙ったあの攻撃は、ずっと前から練り上げられた策だった。辛うじてあの場から逃れられても、此処にも何らかの策が仕込まれている可能性は否定できない。
「……」
進むも引くも、全てはイリス自身の決断に懸かっていた。
――主なら。
「いや、わたしなら」
城の門をゆっくりと潜り抜ける。躊躇いは無かった。
――門を抜けた途端、音が変わった。
人の話し声は低く抑えられ、足音は石畳に吸い込まれるように消えていく。
街路には等間隔に街灯が灯り、闇は完全には許されていなかった。明るいのに、どこか冷たい。
店の軒先、閉じられた窓、巡回する兵士の影。すべてが秩序立ち、そして――ここは城門以外の逃げ場がないことに気付く。
ここでは、剣を抜く前に終わる。魔法を使えば、使った瞬間に囲まれる。
戦場とはあまりにも違った光景に、イリスは歩調を落とした。走る理由はもう無い。
――ここから先は戦いでは無く、向き合うしかない。
城門から続く大通りは、都の中心へと真っ直ぐ続いている。
城郭が幾重にも重なる、公都リリーアの心臓部。商業区、貴族街、兵舎と枝分かれする道からは、公都の全てが見える。
通りには、まだ人がいた。
店仕舞いを急ぐ商人、夜番に向かう兵士、酔いを帯びた声を隠さずふらふらと蹌踉めく市民。
麓の町の時と同じように、あらゆる視線が向けられる。
――身を隠せるようなフードは無い。隠すような事は、何処にもない。そう言い聞かせた。
「おい、そこの者! 止まれ!」
公都リリーアの中央区画の城壁を潜り抜けようとした時、衛兵たちが辺りを取り囲んだ。
リーシャ達の追っ手かもしれない。視線を逸らさず、次の言葉に注意して――
「魔法使いとお見受けする! 通行証を提示せよ!」
衛兵の言葉は、予想外なものだった。
「……通行証?」
思わず、聞き返してしまった。
衛兵たちは武器を構えたままではあったが、殺気はない。訓練通りの動き、訓練通りの視線。敵意ではなく、職務としての警戒だった。
「この時間帯に、単独での区画入城は認められていない。特に――魔法使いはな」
魔力を完全に抑え切れていない事は、最初から分かっていた。 隠すつもりも、誤魔化すつもりもない。
魔法使いによる、公都リリーアの中央区画への入城には、通行証を求めている。
心臓部なこともあり、素性が分からない魔法使いが潜入し、城内で爆発でも起こされれば忽ちこの都市は壊滅する。
近年、魔族による復讐攻撃が絶えない。この時間帯に1人で彷徨く魔法使いは、勿論警戒される。
――だが、わたしとそれ以外を見極めるものが、たったそれだけの物だったなんて。
「……持っていない」
正直に答えると、衛兵の一人が小さく息を吐いた。
「やはりな。では同行してもらう。抵抗はするな」
剣は抜かれなかった。その代わり、退路を塞ぐように立ち位置が変わる。
衛兵に取り囲まれる。どこに連れて行かれるか分からない。
――わたしが抵抗すれば、都市は吹き飛ぶ。
「……」
衛兵の1人がしめ縄を持って門の向こうから出てくる。拘束用だ。
「よし、連れて行け――」
「あー待って待って!! 連れてかないで!」
場違いなほど明るい声が、張り詰めた空気を切り裂いた。
「……何だ?」
衛兵たちが一斉に振り向く。イリスも、声がした方に目を向ける。
夜気の中、軽快な足音とともに現れたのは、女性だった。外套の裾を邪魔そうに走りつつ、息を切らして手を振っている。
背は低く、身体つきも華奢だ。だが、彼女の周囲だけ、空気が僅かに冷たい。
吐く息が白くなるほどではない。それでも、肌の奥を撫でるような冷気が、確かに周囲を覆った。
「連れて行かないでー!!」
暗闇から、その女性が飛び出してくる。衛兵の一人が一歩前に出る。
女性はイリスの目の前でぴたりと足を止め、胸を張った。
「……あなたは」
衛兵の視線が、首飾り――下げられた龍の徽章へと集まる。
その首飾りは、大魔法使いも身に着けていたものと同じ意匠をしていた。ただし色は金ではなく、冷たい光を宿した蒼銀。
「公都魔導院・『星兵』の1人――。夜間巡回中の魔法使いです!」
名前を名乗った気がする。が、それ以上に――極寒。凍える寒さだ。
「う……っ」
傷跡を貫く寒さに、身が震え上がる。衛兵とてそれは同じようで、踏み込んだ足は後ろに引き下がった。
「通行証の確認なら、私がやる!」
「え、ですが……」
そう言ってから、ちらりとイリスを見る。氷のように冷たい視線――だが、敵意は無い。面白そうな奴が現れたと、観察する目だ。
「おー……相当な魔力だね! 抑えてるつもりなんだろうけど、正直隠しきれてない」
「……」
「でもね」
その女性は一歩、イリスに近づく。膝を折ってしゃがみ込んだイリスの手を引いてもう一度立たせる。
「衛兵たちが拘束するより、私の管轄下で話を聞いた方が……うん、色々と安全だと思う!」
言い切りだった。命令ではない。提案でもない。これは――彼女なりの判断だった。
――――――――――
凍える冷たい手と、気配に引っ張られ、中央区画から離れていく。
剣を向けられることも、声を荒げられることもない。進路を示され、従うよう促されるだけだ。
「〜♪」
深夜の沈黙にはあまりにも不釣り合いな、軽快な鼻歌だった。
その調子は、先ほどまでの戦いなど最初から存在しなかったかのようで――
「……」
「あれ、君手とか……腕もだ、怪我してるじゃん」
軽快な歩調が急に止まる。彼女が気付いたのは、イリスの傷だらけの左手と左腕。
しばらくその傷を見つめる。それから、「うーん」と小さく呟いた上で、
「無理だ! 魔導院に着いてから治そう!」
彼女はどうやら治癒魔法を使えないらしい。諦めるような口振りと共に、歩く速度が速くなっていく。
「行こっか! ここで立ち止まってても寒いし」
「……あ」
先ほどまでの緊張が嘘のよう。歩き出す合図はあまりにも軽い。石畳を踏む音が、不規則に鳴る。
中央通りを外れ、明かりの数が減るにつれて、空気が一段冷えた。
――この寒さは、魔法だ。
彼女の周囲だけ、薄く冷気がまとわりつく。凍えるほどではない。ただ、周囲の熱を奪っているような気配がした。
「寒くない?」
「……少し」
震える手を、彼女はただ引っ張る。
イリスは、その背中を見つめながら、視界の先――ひと際異彩を放つ白色の建物を目指していく。恐らく、今向かっている場所はそこだろう。
「あれがうちの職場? 帰る場所?…の――公都魔導院だよ!」
――公都魔導院。
クロフォード公国は、大陸西部に位置する小国だ。そしてヴァルカンが仕える、フィーリア帝国の属国でもある。
他の公国の中では最弱で、領土も最も小さい。それでいて国土の大半は山脈や丘陵――そんな何も無い田舎の小国が誇れるのは、「魔法」だった。
公国に突如生まれた「大魔法使い」の存在と、公都リリーアに構えられた魔導院。その両者が公国を支えてきたのである。
特に公都魔導院は先進的な機関で、大陸でも類を見ない珍しい魔法を所有する魔法使いや、独自の魔法技術を多数抱えている。
魔法の仕組みが未だ完全に解明されておらず、魔法使いも大陸では希少とされる現在では――公都魔導院もまた“異質”の存在だ。
それが、結果として公国を守ってきた。
大魔法使いという“異物”すら、この国では排除されなかった。公国の意思であり、生き残る為の選択だったと言える。
「そういえば、徽章とか……そうだ、通行証! 本当に持ってないの?」
そんな公国の魔法使い達には、徽章の装備が義務付けられている。
その気になれば、魔法使いが一度暴れただけで、この都は木っ端微塵になる。
だから――管理される。
名前を刻み、素性を記し、大公への忠誠を形にした徽章を、常に身につける。――意味があるものかどうかはさておいて。
それは保護であり、同時に首輪でもあった。
衛兵たちの視線の理由が、ようやく腑に落ちる。
「……持って、ない」
その一言で、自分がこの都にとって何者なのかが、はっきりした。
「あー……持ってない、んだ」
女性の表情が一瞬固まる。それから、少し考えるように、目を瞑った。
「まあいいや! 魔導院を案内するよ、そのまま付いてきて!」
――それでも、彼女の反応は軽かった。
魔導院の門をこじ開け、イリスはそのまま中へ通される。
深夜ということもあり、中は無人のようで、人の気配はしない。
「寝てる人もいるかもしれないから、静かーにね」
「……はい」
冷気に導かれるまま、目の前の魔導院――はっきりと見える白く、高く聳え立つ建物へと続く。
「ここで問題です!!」
「……!」
「おお……そこまで驚かなくても」
――振り向きざま。びっくりした。
「気を取り直して問題です! 魔導院の階段は全部で何段あるでしょうか!」
そう言った女性は、階段を下から上へと指差す。どこまでも続いているようで、終わりがない。
見たことも、聞いたこともない場所だ。何もわからない。
「……」
「んー?」
「――100段」
「ちょっと少ないかな!」
魔導院は、公都に存在するどんな建物よりも高い。公都の城壁よりも――大公の住む屋敷よりも。
「正解は……236段でしたー!」
正解が告げられる頃には、女性は既に階段の3段目に居た。
手には――どこから持ってきたのか、灯籠が引っ提げられていた。
「あ、あの……」
「登れーー! 朝になるぞー!!」
階段中に彼女の声が響いた。灯りの方に従って、階段を走り抜けていく。
考える暇は無かった。236段の階段を、一段飛ばしで駆け上がる。
「速いね! もう追い付かれそう!」
「はぁ……待っ、て!」
治癒魔法で足は治っているとはいえ、回復直後にこの運動量は身体に相当な負荷だ。
何段目になったか分からない。光の方向に、音のする方へ、無我夢中で走る。
「176……178……180!」
「――っ!」
ようやく、その背中に追い付く。
走り出したら止まらない――人を気遣うという発想はそこにない。
「……っ、はぁ……!」
息が切れる。さっきまでの寒さはとっくに忘れ、脚は鉛のように重い。
振り返りもせず、軽い調子で言う。 階段を踏む足音に、乱れはない。
――おかしい。
この高さ、この速度。息一つ切らさず、足取りも変わらない。
「平気ーー? もう少しもう少し!」
――いや、天真爛漫なだけだ。
「220……222……!」
長い長い螺旋階段も、そろそろ終わりが近づく。足取りは段々と遅くなり、最後の階段で止まるつもりなのだと分かった。
上を覗く。螺旋階段の先――1つの扉が見えてくる。
「はい! 最後ーー!」
「2……36っ」
最後の階段を登り切る。
階段は終わり、白い回廊が静かに続いている。高所特有の風か、女性の魔法か、両方の冷気が冷たく頬を撫でた。
女性はくるりと振り返り、満足そうに頷く。
「236段。ちゃんと全部、自分の足で登ったね」
「……」
「まあ、空を飛ぶ魔法なんて持ってないから仕方ないんだけどさ!」
息を整えながら、イリスは彼女の冗談を聞き流した。
階段の下はもう見えない。真っ暗で、1人で引き返すことすら怖くなるくらいの高さ。
段々と呼吸が整う。横に向くと、女性は身体を伸ばし、それから欠伸をした。
――そういえば。
「……あれ」
――考える暇がなかったけど、わたしはどうしてこんな所に。
逃げ場のない高さ。引き返すには、あまりにも遠い階段。
何かを悟ったように、イリスは振り向く。そこには扉を開けようと試行錯誤している女性の姿があって。
「……」
――彼女が此処に連れてきたのは、何か理由が合っての事なのだろう。
「あ、待っててね! ――今君に、すごいものを見せてあげるから!」
世界が、開けていく。世界に――投げ出される形で。




