1話 使い魔の誕生
「君は、今日から私の使い魔だ。よろしくね」
――目覚めたわたしに、主はそう言った。
小さな木造の部屋。辺りには無数の書物や紙切れ、文字が乱雑に書かれた木版が散らばっている。
無数の書物の中には、魔導書や古代の文献もある。
そんな事は気に留めず、目覚めた「その存在」は、部屋の中心で何もせずじっと立ち尽くしていた。まるで、主からの命令をずっと持っているかのように。
――わたしは、使い魔として生まれた。
「……」
静かな部屋で、1人の女性と、使い魔が目を合わせる。
金色の髪に、白いローブ。首には龍を模った首飾り。使い魔は初めてこの姿に対面した。
だが、使い魔にあらかじめ刻まれていた本能は、この女性が何者であるかをすぐに理解した。
「私はアリス。――魔法使いだ」
「……アリス、様」
――わたしは、主の声を初めて聞いた。
彼女は魔法使いである。といっても目の前にいるのは、ただの魔法使いではない。
――「大魔法使い」アリス。それがこの女性の名前と二つ名であり、この使い魔の主だ。
彼女が大魔法使いと呼ばれる理由は、その超人的な魔力の量と記憶している魔法の多さにある。魔法に至っては、彼女はこの世界全ての魔法を習得している唯一の魔法使いだ。
アリスに匹敵する魔法使いは、歴史上にも他に見つからない。「唯一の欠点」を除けば、彼女は正真正銘世界最強の魔法使い。――というのがこの世界の評価だ。
そんな大魔法使いが、わざわざ長い年月を掛けて使い魔を創り出した。
人々は、何か理由があるのだろうと読んだ。
彼女の唯一の欠点とは――ずばり、人間としての寿命があること。
アリスが保有する魔法の中に、不老不死の魔法は無い。それは即ち世界にそんな魔法は存在しないことを示す。
かといって、彼女の他にこれほどの数と量の魔法を一身に習得できる人間がこの先現れる保証も無い。
仮に彼女が世界から消えた場合、幾つもの有能な魔法が過去の伝説上のものとなり、2度と復活することのない魔法も生まれることになるだろう。
だからこそ、彼女が考案し、体系化させた現在のこの世界の魔法――それを次の時代に継承させる必要がある。
その為の「器」として、使い魔が創られた。
他の魔法使いには習得できないほどの情報量を保存でき、人間のような寿命も実質無いとされている使い魔は、器としても最適。
魔力と、命令を与える主体がいれば、あとは寿命の概念も無いため問題なく機能する。魔力の問題は人間の魔法使いと同様に、魔力を取り込むことのできる身体器官が動いている限りは自動的に取り込まれるため簡単に解決する。これにより、人間の欠点を実質的に克服できたと言えるのだ。
――というのが、表向きの理由だ。
「魔力の取り込みも問題なし。……何か違和感とか、体調に問題は?」
「ありません」
「よし」
この簡単なやり取りで、アリスは使い魔にあらかじめ組み込んだ会話能力に問題が無いことを確かめた。
使い魔をじっと見つめて、それから満足したようにアリスは何度も頷く。
魔力も正常に取り込めていて、身体構造も問題ないことが確認できた。的確な命令を与えれば正確に稼働する。完璧な使い魔だ。
「我ながら完璧すぎる出来栄えだね。……何度も夢見た念願の対面だ」
「……」
そう言って、アリスは使い魔の頭を撫でる。
使い魔は無反応のままだが、その髪は揺れ動き、人間のような温かみも感じ取った。
使い魔は1回瞬きをした。
――でも、わたしは主と違って人間ではない。
「……あ、忘れてた。君が目覚めた時、もう一度言おうと思っていたことがあるんだ」
1つ。使い魔には、大魔法使いから設計段階より受けた「絶対的な命令」と、自力だけで覆すことのできない「ある特質」がある。
「それはね――」
大魔法使いは使い魔を指差し、それから目を合わせて、はっきりと言い切る。
「君に意思とか自我ってものは無い。――使い魔だから、私の命令に従って動いてもらうよ」
それは――主の命令には絶対に従えという命令。そして、使い魔には自我がない。という性質だ。
―――――――――
使い魔とは何か。
古代より、使い魔は「魔法使いの眷属」「魔法使いの操り人形」と呼ばれ、戦場は勿論のこと、生活の場でも広く使用されてきた。
その系統は大きく2つに分けられる。
1つは、妖精や精霊・魔物などが、魔法使いと主従契約を結んだことで生まれる使い魔。より強い魔力を持った魔法使いほど、より高位の対象と契約を交わすことができる仕組みだ。
もう1つは、魔法によって創られた「核」を中心に、主が身体を組み上げて創造される使い魔だ。
「魔力の結晶」とも言われるその存在は、完成に長い年月と膨大な魔力量を必要とするが、完成した使い魔は主により忠実な使い魔になるのである。
契約を結んだ使い魔といっても、裏切ったり、主従の関係を勝手に外したりと、使い魔側の勝手を許す可能性がある。
その点、このような使い魔は主によって創られるため、生まれつき主従関係を結んでいるに等しい。
そして後者――特に魔法使い自身が「核」の部分から創って生まれた使い魔は、その設計過程で主の習得する魔法体系をほぼそっくりそのまま継承する。
ゆえに、主が強大な魔法使いであるほど、その使い魔も同様に強力な能力を継承して生まれる。
今回のように大魔法使いが主ともなれば、引き継がれるのは現世に存在する全種類の魔法と、超効率的な魔力運用の技能、そして計り知れない魔力量。
言い換えれば、この使い魔は世界最強と号しても差し支えないほどの能力を継承していると言える。
「まあ、そんなことを教えても君には関係ないか」
「……?」
どんな生い立ちを持つにせよ、使い魔自身に「意思や理性」が与えられることは無い。
思考も理性も、使い魔の立場には全くもって必要とされないし、そもそも思考回路の設計自体、現時点では生成不可能だった。つまり、今は命令を通じて、主の意思が使い魔の意思になるのだ。
「ちょっと手足を動かしてみて」
「……」
大魔法使いの命令に従い、使い魔は手を握って、開く。それに続いて足先を軽く動かす。
――わたしの身体は、主の思いのままに動く。
「うん。次は窓の外、えっと……あの木に向かって適当に魔法を撃ってみて」
「はい。――遠雷」
命令を受け、使い魔はすぐに椅子から立ち上がり、アリスが指差す方向――窓の外に聳える頑丈な木を視界に捉える。
短い詠唱の直後、雲一つない晴天にもかかわらず、窓の外の巨木目掛けて一発の強烈な雷が直撃する。
直撃を受けた対象は真っ黒に焼け焦げて、幹の半ばでへし折れて倒れ込んだ。音を立てて倒れ込む様子を眺めて、アリスは小さく「よし」と呟く。
「命令への応答も基本問題ないね。もう1回、そこの椅子に座って」
「はい」
立て続けの命令を完遂し、使い魔は再度、動き始める前まで座っていた椅子の元に戻る。アリスが使い魔の視線の高さに合わせて屈んで、もう一度じっと使い魔を見つめる。
――主は、わたしを見つめる。瞳の奥に、わたしが映った。
「やはり最高の出来栄えだね。意思を宿らせることは出来なかったが、他は完璧」
「……」
使い魔の両肩を軽く叩いて、それからアリスが屈んだ姿勢から立ち上がる。
その時はっとしたように使い魔を見て、これまで忘れていたことを告げようとした。
「あとは……君に名前を付けてやらないとね」
使い魔にないものは、自我の他にももう1つ――名前だった。
仮に、この先どれだけ使い魔が使役され続けようとも、名前を持ってはいけないという理由は無い。逆に、名前があった方が命令が通りやすいとさえ思えてしまうが、それはともかくアリスは暫く座り込んで考えた。
「私の……名前」
考え込む姿を見て、先ほどの言葉の返答も兼ねて、使い魔が小さく呟いた。
「そうだ。使い魔であっても、名前は必要だよ」
「……」
「でもあの名前は納得いかないんだよね……変えても問題無いかな」
アリスがあれこれと独り言をしてから、両者の間にはしばらくの沈黙が生じた。
書物の著者や、大陸の英雄たちの名前――幾らでもその案は出てくるが、彼女はどこか納得のいかない様子で、あれこれ言葉にしてみては首を傾げて却下する。その繰り返しだった。
「うーん」
「……」
それからもずっと、アリスは使い魔の名前について考えた。
日が暮れてしまっても関係なく、弟子たちが様子を見にやって来ても関係なく、むしろ彼らにも幾つか案を出させて、その返答を貰ってはまた考え込んだ。
大魔法使いの、どんな物事も考え出したら止まらない性格がそれを許した。
使い魔は、椅子に座って主の動きをじっと見ていた。人間とは違って食事をする必要なども無いため、命令がなければ、このまま永久的にそこに座っていることもできる。
どうして考えるのか。いったん考えるのをやめたらどうか。そんな質問は使い魔にはとても投げかけられなかった。
――真夜中に、わたしの名前は決まった。
「決めたよ。君の名前は――イリスだ。……ごめん、眠いから寝る」
「はい」
長く考えていた割には、とてもあっさりとしていて、端的にその名前は告げられた。
睡魔に耐えられなくなったアリスは一目散に部屋を後にした。少しの間だけいなくなったが、彼女は何かを思い出してまた戻ってくる。
「あと、隣の部屋が君の寝室だ。自由に使っていいからね」
「承知致しました」
使い魔――イリスは一瞬で寝室の位置を把握して、アリスが再度部屋を後にする姿を見届ける。
「じゃあ、おやすみ」
見届ける中で、イリスは一度だけ瞬きをする。
アリスがこの部屋から居なくなれば、イリスは一晩1人だけになる。命令が無ければ動けない使い魔は、寝室に行って横になれば、次の命令がない限り、それっきり動けなくなってしまうだろう。
もし命令が無ければ、イリスはただの置物と化す。
――それは、どうしてかこの使い魔にとって引っかかった。
――わたしは……
その姿が完全に消えてしまう前に、使い魔は手を伸ばして、言葉を探す。
――わたしは、主の使い魔だ。
「――ご主人様」
――でも。
不意に投げかけられた言葉に、アリスは少しだけ驚き、「ん?」と短く反応して振り向いた。そこには、彼女と瓜二つの見た目をした――イリスの姿があって。
「おやすみなさい。また明日」
その言葉に、眠気が限界になっていたアリスの目が開く。イリスには、そんな主の青色の目が真夜中の真っ暗な部屋の中で少しだけ輝いたように見えた。
「うん。また明日ね」
これは決して――事前に主が使い魔に対して、「挨拶をしろ」というような命令をしていた訳では無い。
「……」
ただ1つだけ、言える事があるとすれば――
――この挨拶は、何故か分からないが、わたしがやらないといけないと思ったことだった。




