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金木犀


 いつものように過ごしていると、少しずつ外の変化を感じ始めていた。

茹だるような暑い夏がようやく終わりを迎えたのか、最近は朝晩冷え込む日が増えてきた。

気付いたら暦の上ではすっかり秋に入っており、月日の早さを感じている。


 今日もまた、変わらずいつものバスに揺られながら彼を待つ。


 ただ今日はなんだかいつもと違うように感じた。

何が違うのかと言われると難しいのだが、何かモヤモヤするような、泣きたくなるような、そんな感じ。

特別なことがあったわけではないのに。この気持ちは祐希に気づかれたくないなと思った。


 あ、こんな風に思うのはあれかも。

夏休み期間は練習で忙しい祐希に全然会えなかったことや連絡もなかったこと。

極め付けは合宿?練習?で海外に行くらしく、またしばらく会えないことを、昨日お母さんが話していたのを聞いたからかもしれない。


 …もしかして、女心は秋の空ってやつ?

彼氏なんて祐希しかいたことないし、恋愛初心者なのでこの気持ちとの折り合いのつけ方を知らないのだ。


「怒ってるのかな、私」

気づいたら声に出していたみたいで、その感情が“怒り”なのか“寂しさ”なのか、自分でもわからない。


 バスの揺れがいつもより静かに感じた。


 「ーー高校前、ーー高校前」


 初めての自分の感情に向き合っていたら、高校前に到着しており、祐希が乗り込んできた。

いつものように隣に座ると、何も言わず祐希を見ている私のことを不思議そうに見ながら「どうした?」と問いかけてくる。

 

 …ハッ!気づかれちゃう!まだ心の整理もできてないのに!

「なにが?今日もお疲れ!ちょっと寒いよね」

「な、さすがの俺ももうニット着ないと無理だわ」

「もうすぐ11月だよ、いくらなんでも祐希は暑がりすぎでしょ…」

 さすがの祐希でも寒いらしい。他の学生はブレザーも羽織ってたりするのに…


「で、何?なんでそんな顔してんの」

「そんなって、どんな顔してるの私は」

「うーんなんていうか、好きじゃない食べ物を食べてる顔」

 どんな顔なの、それは。つくづく隠すのが下手だな私は…と少し落ち込みながら観念して話すことにした。


「祐希、サッカー順調なんでしょ?またどこか行くってお母さんが話してた」

「…おばさん耳早いな」

「いつ行くの?どこ行くの?海外?いいな〜私も海外行ってみたい」

 私はあまりサッカーに詳しくないんだけど、祐希はやっぱりすごいんだな。

将来プロのサッカー選手になったりして!よし、今のうちにサインもらわないと。


 なんて考えていたら、予想とは違った返答が返ってきた。

「行かないよ、それには」

 ん?

「なんで?」

 なぜ自らそんなチャンスを潰しに行くのかがわからず、祐希の顔を見る。

なぜだか彼はどこか居心地の悪そうな、バツが悪そうな、苦しいとはまた違う顔をしていた。


「サッカーはいつでもできる。今回のチャンスを逃したって、次のチャンスを掴むから別にいい」

「うん?すごい強気だね、それなら尚更行けばいいんじゃないの?」

「…お前がいるじゃん」

 え?!私?!

なんでここで私の話になってくるんだ。


「今回は前の時と違って、夏休み期間中とかじゃなく普通に学校もあるし、休みとか関係ない日程なんだ」

そうか、前回は夏休み中だったもんね。

うんうん。なんて頷いていると「それに」と祐希が続ける。

「期間も2週間くらいあるし、もちろん単位…もそうだけど、桜とそんなに会えないのも嫌だから」

 そう言い終えると話は終わりだと言わんばかりに、彼は窓の外の方を向いてしまった。


 まさか私も原因だったとは思わず、なんとも言えない気持ちになる。

祐希のサッカーや勉強、とにかく彼のやっていることは全て応援していた。

その気持ちは変わらないし、何より前を向いていつも頑張っている祐希が私は好きなのだ。

それなのに私が原因でチャンスを逃すなんてしてほしくないし、何よりやめてほしいと思う。


「祐希」

「何」


 だからこそ、これだけは言っておかないといけない気がした。


「私はまだ大丈夫だよ」

「…何が大丈夫なんだよ」

「とにかく大丈夫!私のことなんて気にしないで絶対に行って来なよ!行かなかったらそれこそ別れるよ」

もちろん、別れる気なんてないけれど。


「なんでそうなるんだよ、別れないし」

「そうだけど!それくらいなんだってこと。祐希にはいつでも前向いて、頑張っててほしいんだもん」

「なんだそれ」って言いながら、繋いでいる手をぎゅっと強く握られた気がする。


 今までだって長期間会えないこともあったし、いつも忙しくてまともに会えないのに。

ただそれほど私の存在が祐希の中で大きいことが分かり、どこか嬉しく感じる部分もある。


 気付いたら会う前に感じていた違和感はどこかに消えており、今はどこか暖かい気持ちだ。

 

 「ーー病院前、ーー病院前」


 いつものように病院前に着きそうになったので、念押しでもう一度祐希に伝えることにした。

「祐希、とにかく行ってきてね。私は待ってるから」

「だから行かないって」

「単位の問題もなんとかなるでしょ、チャンスは掴まないと。時間は有限だよ」


「…有限」

その言葉が、祐希の口の中でゆっくりと溶けていく。

どこか上の空のような顔をしながら同じ言葉を繰り返している。変なこと言ってないよね?


 バスが病院前に到着したのか、ドアが開いた瞬間冷たい風が差し込んできた。

車内は暖かいので忘れていたが、どうやら外は結構冷え込んできたらしい。

 風に吹かれてどこからともなく金木犀のいい匂いがする。金木犀の匂い、大好き。

 

 「考えとくわ」なんて言いながらバスを降りていく祐希。

「頑張っている祐希が私は好きだよ。また明日ね!」

くどいかな、と思いながらも笑顔で伝えると、先程まで難しい顔をしていた彼もはにかんで「また明日な」と手を振る。


 ドアが閉まり、彼の後ろ姿を見ていたらなんだか途端に眠たくなってきた。

 寒いけど、まだ冬じゃないこの季節の空気はやさしい。なんて思いながら、そっとまぶたを閉じる。



 いつもの日常。だけど、この日が祐希と過ごした最後の日常だった。


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