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2.スタートライン

()()の俺は、日本のとあるブラック企業に勤めていた。趣味はゲームと、ラノベを読むことぐらいだった。


社会人になってからはほとんど時間をとることができていなかったが…………


ともかく、初めから全ジャンルを制覇しよう、なんて息巻いていた訳ではないが、有名どころのRPGから始まり、シューティングや経営ゲーム、果てはギャルゲーなんてものにも手を出していた俺は、ふと全く手をつけていないジャンルがあることに気がついた。


それが乙女ゲーだった。


俺は何かに集中すると周りが見えなくなるきらいがある。


成人男性が乙女ゲーを遊ぶなんて、はたから見ればあまりにも奇異なものであるが、未知のジャンルに心を踊らせていた俺は、そんな事に気づく余地はなかったのだ。


月に一、二回あるかないかの休日。悲しいかな、すっかり早起きが日常化してしまった俺は、朝の5時頃に目が覚め、前日の夜に買っておいたコンビニの惣菜パンをインスタントコーヒーで流し込んだ。着替えもそこそこに、パソコンを起動すると、某ゲーム用プラットフォームから、乙女ゲーム、人気順でソートした1番上のものを購入し、そのまま全ルート制覇までぶっ続けで攻略を進めた。



主要ルートを全て攻略した俺は、窓から差し込んだ()()の中で、唐突な胸の痛みにあえぎ苦しみ…………気付いたら、こうなっていたという訳だ。


まあ、死因は心臓発作か何かだろう。


俺の死について、妙に客観視しているのは転生という形で今も生き続けているからなのだろうか。


生来の俺の気質ということもあるだろうが、異世界に転生を果たした人間に前世の死についてはどう感じていますか、なんて聞くアンケートがあるべくもないので、これが普通かどうかは分からないが、まあ意外とこんなもんなんじゃないかとも思う。だって生きてるし。


両親は悲しむだろうが、元々疎遠で、碌に実家にも顔を出せていなかったので日常が激変することはないだろう。


職場?同僚?俺の仕事場はここだ。


そういえば、使用人を束ねる立場にあることを踏まえてか、俺には個室が与えられている。噂によると、数代前の執事長が逆上した部下に刺される事件があったのだとか。それ以来、この家では俺のような立場の人間に個室が与えるようになったらしい。ありがたいことだ。


そんなことを考えながら朝の支度を済ませ、鏡で姿を確認する。

この前のシミはすっかり落ちていた。


転生して、はや1週間が過ぎた。

屋敷のことにも、この世界のことにも、だいぶ慣れてきたと思う。


自室を出なければならない時間が近づいてきた。


深く呼吸をして、集中力を高める。


今日はヴァレンヌ家主催のパーティーが開かれる。

それが()()の開始地点だ。


俺はこの機会に、どうにかして主人公に、クロエ・ド・モンフォールに接触しなければならない。


ポケットに入れた紙包の感触を確かめる。

いわゆる、媚薬というやつだ。


これを彼女のドリンクに仕込み、()()を申し出るのだ。


……もし真実が発覚したら、重罪なんてものじゃない。

それこそ、即刻死罪になるだろう。


しかし、俺のような立場の人間で彼女に接触するには、そうする以外思いつくことが出来なかった。


呼吸が苦しい。罪悪感と緊張に胸が締め付けられているようだ。


何かをしなくては結局死ぬんだ。


決意を固めよう。


俺は、俺だけは迷ってはいけない。

これ以上、彼女(クロエ)を貶めることにならないように。



パーティーが始まった。


燃えるような赤を基調とした絢爛な装飾が会場を覆い尽くす。

舞台の上では著名な交響楽団が軽やかで美しい旋律を奏で続け、並べられた長机の上には数十種にもおよぶ高価な料理が食欲をくすぐる匂いを漂わせていた。


手に持った銀の盆の上には、例の薬を仕込んだカクテルが載っている。カモフラージュのため、仕込みのないものも準備済みだ。


さり気ない仕草で会場を見渡していること数分、端の方で所在なさげに微笑を浮かべている彼女を見かけた。


クロエ・ド・モンフォール。モンフォール伯爵家の長女だ。


柔らかく光る翡翠の瞳、流れるような光をたたえた金色の髪。落ち着いた、言ってしまえば地味な、萌葱色のドレスに身を包んでいる。


瞳と髪は、奇しくも俺と同じ色の取り合わせだ。


それにしても、これは僥倖だ。

見つけるのに時間がかかったせいで、内心先にイザベルに絡まれているかもしれないと危ぶんでいたが、どうやら間に合ったらしい。


偶然を装って、途中で声をかけられた貴族の方々へドリンクをいくつか手渡しながら、彼女の方へと向かう。


背後で驚いたような声が聞こえる。


惚れ薬の効能を、酔いとしてある程度の誤魔化せるよう、強めの配合にしてあるためだ。


多少不自然に思われるだろうが、ここヴァレンヌ家のパーティーにおいて、まさか酒が強かった、なんてつまらない理由で貴族が文句を言ってくることはないだろう。


そうして歩を進めていくと、ようやく彼女の前についた。


平静さを保つように、と気を張っていた俺の口からは、驚くほどに穏やかな声が発せられた。


「こちらドリンクをお配りしております。1杯、お召になりませんか?」


彼女はぴくりと肩を震わせると、その薄桃色の唇を開き、鈴の音のような声で言葉を紡ぐ。


「ええ、頂きましょう。」


()()()()綺麗なそれを手渡すと、彼女は可憐に微笑みを寄越した。


「では、引き続きパーティーをお楽しみください。何かございましたら、どうか私にお知らせを。」


軽く微笑みを貼り付けて、そう言葉を返す。


じくじくとした胸の痛みを無視して、この場から離れる。

心を、痛めている余裕はない。


あとはしばらくこの辺りを巡回していれば……


そう思っていた矢先、背後からあの高慢な、それでいて悔しいほどに美しい声が聞こえてくる。


「あら、そこに居るのはクロエ様ではありませんか?」


深紅のドレスに身を包んだ、イザベル・ド・ヴァレンヌその人だ。


隠そうとした緊張がにじみ出る声で、クロエが答える。


「お初にお目にかかります、モンフォール家()()、クロエ・ド・モンフォールです。あなた様は……」


言いかけた言葉を、居丈高な声が塗りつぶす。


「ええ、ワタシはイザベル・ド・ヴァレンヌと申します。ご両親のことは、お悔やみ申し上げますわ。」


まるで、()()()心から悲しんでいるかのような声色で、言葉が発せられた。






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