静かなる決意
ギルドでの報告を終えた頃には、日もすっかり傾いていた。
ミレーナからは「報酬については精査が必要になった。明後日には確定するから、明日は休んでいなさい」と通達があった。
一連の戦いで魔力も精神も削られていたセラたちは、頷くとそのままそれぞれの宿へと向かっていった。
だが、クロスはその場に残った。
あの黒装束の斬撃――目にも止まらぬ剣の軌道、読みきれなかった一歩、振るわれる殺意――すべてが脳裏に焼きついて離れない。
今、この感覚が薄れないうちに動かなければ――。
「少し、稽古場を借りたいんですが」
そう言ってギルドの訓練場に向かったクロスは、人気のなくなった砂地の中央に立ち、深く息を吐いた。
愛剣を手に取り、静かに構える。
(……あの動きについていけなかったのは、予測も反応もすべてが遅れていたからだ)
剣を振る。
最初はゆっくりと。黒装束の斬撃――あのスピードに少しでも近づくため、頭の中で再現しながら剣筋をなぞる。
踏み込み、斬り返し、跳び退く動き。
(動きが遅い。頭では分かってるのに、体が追いつかない……)
自分に言い聞かせるように呟くと、クロスは剣を振るい始めた。
一太刀一太刀に、黒装束の斬撃の軌跡をなぞるような、殺意を思い出すような鋭さを込める。
クロスは苛立ちを押し殺しながら、何度も、何度も、同じ動作を繰り返した。
(“思考”と“動作”の間にわずかな“迷い”がある。今の自分は、その迷いのせいで命を落としてもおかしくなかった)
その日は結局、夜になるまで稽古を続けたが、納得のいく動きには届かなかった。
それでも、クロスは目を伏せず、剣を鞘に収める時に一つ、小さく頷いた。
(まだ遠い。でも――あの時の自分よりは、わずかに前へ進んでいる)
翌朝。町外れの草原に、クロスの姿はあった。
まだ朝露の残る草を踏みしめ、魔力を練る。
昨日の剣に続いて、今日は魔法の鍛錬――特に《アイススパイク》と《アイスシールド》の練習だ。
「凍てつく氷よ、我が敵を穿て――《アイススパイク》!」
地を割るように、氷の槍が四本、勢いよく同時に出現した。
魔力操作の訓練を積んだことで、発動自体には問題がない。だが――。
「……同時すぎる」
見て分かる。完全な一斉発動。確かに迫力はあるが、タイミングが揃いすぎている。避けられれば全部無駄になる。
「もっと、“ズラせ”……!」
狙いは、連続した追撃。四本をただ同時に出すのではなく、敵の動きを封じるように――間隔をバラバラに発動する。
まずは2本。ほんの一瞬のズレを意識して発動。続けて、残りの2本をさらに微妙にタイミングを変えて撃つ。
地面から突き出す氷の槍が、それぞれ違うタイミングで飛び出す。
同じ数、同じ威力――しかし、動きの「読みづらさ」が段違いだった。
「よし……これなら、“見てから”避けるのは難しいはずだ」
さらなる反復練習。詠唱と魔力操作の並列処理、神経の集中、視線の誘導、そしてフロストショット同様の凍結効果――一つ一つの工夫を積み重ね、クロスは追撃用の完成度を高めていく。
続けて、《アイスシールド》の練習へ。
「氷壁よ、我が身を守る盾と成れ――《アイスシールド》!」
空間に現れる氷の壁。だが今の目的は、“盾としての質”を上げること。
クロスは現代の物理知識――断熱構造、衝撃吸収、分散衝撃の多層構造を思い出しながら、氷の盾に“層”をイメージする。
ただの氷の板ではなく、数層に重ねた空気層を挟んだ複雑な構造の氷の壁。
何度も、何度も失敗を繰り返す。
盾が分解して崩れたり、魔力が制御しきれずに爆発寸前になったり――しかし、クロスは止めなかった。
(これは“知識”と“実行”の狭間にある“感覚”の問題だ)
(体が理解するまで、何度でも――)
やがて、真っすぐ立ち上がった《アイスシールド》は、叩いてもびくともしない強度を持ち始めていた。
(今はまだ、黒装束には届かない。けど、少しずつ――確実に近づいている)
練習の終盤、汗だくの身体で地面に腰を下ろし、空を見上げる。
ぼんやりと浮かぶ昼の月。その下で、クロスの瞳が静かに光った。
(奴らは、魔物に力を与えていた……フロッグシェードを変異させたのも、“黒装束”がやったこと)
(そしてその背後には――あの、“神に追放された代行者”がいる)
黒装束が残した言葉が蘇る。
『この世界を矯正する』
『あのお方』
(それが本当なら、これから犠牲になるのは、冒険者だけじゃない。無力な村人も、子どもたちも――俺の知る人たちも巻き込まれるかもしれない)
クロスは拳を握りしめた。
魔力の使い方を、戦い方を、体の限界を……全部、もっと知る必要がある。
「だから、負けられない……二度と……!」
声にならない声が、風に溶けて消えた。
その誓いは、剣よりも鋭く。氷よりも冷たく。
そして――何よりも、強かった。




