静寂の夜と影の胎動
フロッグシェードの死骸は崩れ、黒装束も消えた。
残されたのは、泥に汚れ、血に濡れたクロスたちだけだった。
勝利の実感などなかった。ただ、生き延びたという安堵だけが胸にあった。
魔力をほとんど使い切ったクロスとセラは、意識こそ保っていたが一歩歩くのも困難だった。
ジークは左腕に短刀が突き刺さったまま、テオは腹を刺されたせいで血の気が引いていた。
セラの魔法で何とか歩行可能な状態まで回復できたものの、4人の表情には疲労と恐怖の色が消えない。
「立てるなら、戻るわよ。私がついてるから安心しなさい」
フロレアの言葉に、四人はただ黙って頷いた。
道中、湿地の木陰にフロッグシェードの姿が見えた。しかし、こちらを認識しているはずなのに、攻撃してこなかった。静かに姿を消すその背を見ながら、クロスは確信する。
(もう、異常は終わったんだ)
夕刻、エルネ村の宿へと帰還したクロスたちは、先に戻っていたボルドたちと再会する。
「お、おい……その怪我、どういう……って、え、フロレアさん!?」
驚きと困惑を露わにするボルドたち。
フロレアは軽く手を上げてクロスたちに話しかけた。
「とりあえず、ご飯食べて、風呂入って、寝なさい。全部、明日以降でいいから」
クロスたちはそれ以上何も言わず、彼女の指示に従った。
その様子を見ていたボルドは、居ても立ってもいられない様子で落ち着かずにいた。
「俺、何があったのか知りたいんです……。あいつら、あんなボロボロになるなんて、ただのフロッグシェードで……」
「……まあ、知ってる範囲なら教えてあげる」
フロレアは肩を竦めながら、椅子に腰かけた。
――
1日前、ラグスティアのギルド。
フロレアは6級の付き添い任務を終えたばかりでギルドに立ち寄っていた。すると、受付にいたセリアが彼女を見つけて手を振る。
「フロレアさんっ! よかった、戻ってたんですね!」
「あんたの顔見ると、だいたい嫌な予感しかしないんだけど?」
セリアは泣きそうな顔で、フロレアを見上げながら緊急依頼の書状を差し出した。
「エルネ村での依頼です。フロッグシェードの異常繁殖と異常行動が報告されているんです。……今、アミナ村への警戒任務があるのでギルドから町の外に出せる冒険者が本当に少なくて……」
「……私、4級よ。ルーキーの雑用係じゃないの。緊急って言ったって、フロッグシェードじゃない」
「……お願いです。今出てるの、全部で9級が2組だけなんです。頼れるのはあなただけで……!」
フロレアは眉をひそめた。
「それでも5級でも6級でもいるでしょう」
「それだと依頼料出せません」
と涙ぐむセリア。
「私、4級だけど……」
「でも……」
「……わかったわよ」
流石にいたたまれなく、頷いてしまったフロレア。
さっきまでの涙はどこに行ったのかと、言いたくなるような笑顔で、お礼を言うセリア。
「ありがとうございます。流石フロレアさん」
苦笑いしながら、何気なく出ている冒険者のことを義務的に聞く。
「で、今向こうには誰が行ってるの?」
「……今朝、ボルドさんたちがでました。昨日、セラさんのパーティが受けてくれました」
その一言でフロレアは頷いた。
「……わかった。行ってみる」
セラの名前は、あのクロスがいるパーティとして認識していたので覚えていた。そして、クロスの関わる依頼ならその実力が直接見れる良い機会――その直感が正しかったことを、今では痛感している。
――
「それで、行ってみたら絶体絶命のピンチだったのを私が颯爽と現れて救ってきたってわけよ」
ボルドたちは、ぽかんとしたまま言葉を失っていた。
フロレアは、湯気の立つティーカップを静かに置いた。
「明日、あの子たちは動けない。魔力枯渇の回復と治療魔法の副作用もあるしね」
「……そうっすね。俺たちは?」
「明日は出て異常行動が無いか様子を見て。フロッグシェードの様子が落ち着いてるなら、村の人を連れて現地に行ってもらって。そしたら依頼達成で帰還。それでいいわ。異常繁殖の方は通常依頼で別の冒険者を派遣してもらいましょう」
「了解っす」
ボルドは静かに頷いた。
⸻
とある廃屋――
月光も届かぬ、山奥の廃屋。
蝋燭の揺らめく灯の中に、黒装束の男がひとり、跪いていた。
「……すまなかった、アグナス兄貴」
彼は銀髪に黒目、真っ白な肌をした青年――“血の剣士”ヴァルザ。
目の前に立つのは、黒装束を纏いながらも細身で中性的な雰囲気を持つ男、“狂い咲く知恵者”アグナス。
「変異種のフロッグシェードを……殺されたか」
「あぁ、計画は崩れちまった。……あの土地なら上位冒険者は出てこないと考えていたのに……」
「そうか。まぁいい。一応の成果が確認できたのなら十分だろう」
「だが、あのお方が生み出した計画を2度も続けて頓挫させた責任が…」
その言葉にアグナスと呼ばれた男は、
「今回の計画もそうだが、あのお方が成そうとしていることは、我々凡夫には到底理解できぬ“崇高な目的”の為の手段でしかない」
アグナスは手の中の古びた巻物を開きながら、柔らかく笑う。
「抵抗や妨害があるのは当然。だが、我らが使命は変わらぬ。さあ、ヴァルザ。次の“計画”に取り掛かろうか」
「……了解した。アグナス兄貴」
夜の森に、不穏な気配がふたたび胎動し始めていた。




