未知の味
ギルドでの訓練が終わった夕刻、クロスたちは訓練所の隅で明日の仕事について話し合い、それぞれ宿に向かった。
「もう足が棒みてぇだ……」
ジークがうめきながら背中を伸ばすと、隣のテオも力なく頷いた。
「……今日は、よく動いた……」
「ええ、明日はパーティ仕事ですね。皆さん、しっかり休んでくださいね」
セラはいつもの丁寧な口調で微笑み、クロスにも軽く会釈をする。
「また明日」
そう言ってクロスも手を振り、自分の宿《月影の宿》へと足を向ける。
ラグスティアでも比較的静かな通りにあるその宿は、木の香りが漂う三階建ての建物。クロスが数日前から世話になっている場所だった。
扉を開けると、厨房からふわりと夕食の匂い、どこか素朴だが他の店よりもずっと食欲をそそる香りが漂ってきた。
「お帰りなさい、クロスさん」
出迎えてくれたのは女将のカリナ。四十前後の面倒見の良さそうな女性で、柔らかくもきびきびとした動作が印象的だ。
「夕食、もうすぐ用意できるから、食堂で待っててね」
「ありがとうございます。いただきます」
食堂に入ると、木の机と椅子がいくつか並んでいるだけの簡素な空間。しかし、他の安宿とは違って、皿に乗った料理には“味の工夫”が感じられた。
この日の夕食は、塩風味の鶏スープに、ハーブ焼きの根菜、そして甘酸っぱい果実味噌で漬けた干し肉のソテー。
この世界の料理は、基本的に塩と香草程度の味付けが当たり前で、味のバリエーションは乏しい。だが、ここ《月影の宿》では、アシュレイから購入したレシピを使った果実味噌や干し果実の酸味、薬草の苦味などを用いた工夫が凝らされていた。
「……やっぱり、ここは他とは違うんだろうな。本当にアシュレイさんは、いい宿紹介してくれたんだな」
クロスは小声で呟き、温かな料理をゆっくり味わう。
食後、クロスは食器を片付けると、カリナに声をかけた。
「すみません、少しだけキッチンを借りられますか?」
「ええ。アシュレイさんから話は聞いてるわよ。“変わった調味料を使う料理人”って」
「そんな大層なものじゃないですけど……ありがとうございます」
笑顔を浮かべたカリナが奥の扉を開ける。
「こっち。うちの旦那もいるから、ひと声かけてあげて」
案内された厨房では、男性が寸胴鍋の蓋を開けて湯気を確認していた。彼の名はラディス、宿の料理を一手に担う料理人であり、カリナの旦那でもある。
「あんたがクロスか。アシュレイの奴が変な料理を試したがってる若いのが来てるって言ってたな。――好きに使いな。端っこなら邪魔にはならんだろう」
「はい、ありがとうございます」
クロスは荷物から包みを取り出し、昨日討伐したグラスファングの肉を調理台に広げた。灰色の筋張ったその肉に、ラディスは露骨に眉をひそめた。
「それ、調理すんのか?」
「はい。硬いけど、時間をかけて煮込めばとろとろになると思うんです」
「グラスファングの肉がか?」
「たぶん。果実味噌と香草、薬草を使って煮込みます。そうやって下処理を丁寧にすれば、臭みも取れるはずです」
クロスは寸胴鍋に湯を沸かし、グラスファングの肉を軽く茹でては、アクを丁寧に取り除いた。それを水で洗い、もう一度鍋に戻す。調理しながら、思い出すのは地球での料理番組や田舎での祖父母の手料理だ。
そこへ、砕いた果実味噌と干し果実の刻み、刻んだ香草、そして細かくした根菜を加えて、弱火で煮込み始める。
「ほう……果実味噌か。贅沢なもん使うな」
「いえ、ベルダ村では普通に手に入るものを組み合わせただけです。ここでも、手に入る素材があれば代用できます」
「お前さん、見かけによらず理詰めでやってんだな」
「昔、家の手伝いをしてたことがあるので。調味料の代用は、祖父母から教わりました」
クロスはにっこりと笑って答えた。鍋の中では、すでにほのかに甘辛い香りが立ち上り始めていた。
「こりゃ……臭いも悪くねぇな。食えるかもな……」
「味見は明日になりますけど、良かったら一緒にどうですか?」
「……仕込みの後になら。あまり期待はしてないがな」
「はい。あくまで挑戦なので」
蓋を閉じ、煮込みの仕込みを終えたクロスは、後片付けを済ませて厨房を出た。明日の実食を楽しみにしつつ、自室へと戻っていった。
宿の一角、火を落とした鍋の中では、異世界の灰色の獣が、少しずつ“味のある料理”へと姿を変え始めていた。




