旅立ちの朝
朝の陽光が、静かにベルダ村の屋根を照らしていた。
クロスは背中に小さな荷物を担ぎ、馴染んだ木造の階段を降りる。宿の一階には、朝食の準備をしていたマリアとティナの姿があった。
「……おはようございます」
クロスが声をかけると、マリアは手を止めて振り向いた。
「おはよう、クロス。……もう行くのね」
「はい。今日、村を出ます」
マリアは頷くと、棚から小さな皮袋を取り出してクロスに手渡した。
「これ、持っていきなさい」
「……これは?」
中を見ると、数枚の金貨が整然と並んでいる。
「以前あんたが考えてくれた調味料の代替レシピ。あれをこの前、ラグスティアのアシュレイに話したらね、『そのレシピ、ぜひ売って欲しい』って。だからこれは、あんたの頭と舌が生んだ金貨よ」
クロスは驚いた顔で金貨の袋を閉じる。
「でも、それはこの宿のために考えたものです。だからマリアさんのもので……」
マリアはふっと笑いながら、手を腰に当てた。
「じゃあこれは“私のもの”で、“私が勝手に”餞別として渡してるの。いい? 村を出るんだったら、こういうお小遣い稼ぎの手段も覚えておきなさい。ラグスティアにはアシュレイがいるんだから、また何かレシピを思いついたら売ってみなさい」
「……わかりました」
「それから――もし新しいレシピができたら、手紙でも書いてよこしなさい。宿の料理にも取り入れるからさ。クロスの味が、宿に残るのも悪くないでしょ?」
クロスは言葉に詰まりながらも、深く頭を下げた。
「……本当に、ありがとうございました。マリアさんの宿に滞在できてよかったです」
後ろでは、ティナが俯いたまま口を開く。
「……また、遊びに帰ってきてね」
ティナは十五歳。クロスより少し下の年齢だが、どこか幼い妹のようにも感じていた。
「うん。また、帰ってくるよ。……必ず」
「うん! 絶対だよ!」
マリアは少し目を細めて微笑んだ。
「さ、行ってらっしゃい。帰ってくる場所はここにあるから、安心して行ってきなさい」
⸻
ギルドの前に着くと、既に旅支度をした冒険者たちが集まっていた。
ラグスティアに戻る組のようだ。クロスが近づくと、グレイ教官が笑いながら手を振る。
「おう、クロス。紹介しておこう。こいつが今回のまとめ役、カランだ」
隣に立っていたのは、30代半ばと思しき男性冒険者だった。無造作に束ねた髪に、鋭い目つき。そして肩には6級の証である銀のエンブレムが光っていた。
「クロスです。町まではよろしくお願いします」
「まあ、戻るだけだ。肩肘張らなくていい。ただし、魔物が出たら動けよ?」
クロスが笑い返そうとしたその時、見慣れた顔が次々に現れた。
マルダ、ミト、ガイル、エル――アミナ村や日々の訓練で関わってきた仲間たちだ。
「マルダさん、新しい教官として頑張ってください。」
「……ふふ、ありがとよ。まさか自分が教官になるとは思ってなかったが……お前みたいなのを見てると、後進の育成も悪くないって思えるよ」
「ミトさん、ガイルさん……研修の頃から、色々と教えてくれてありがとうございました。あの時の訓練がなかったら、きっと今の自分はいなかったと思います」
ミトは笑いながら、
「まぁ、私の教え方が良かったからここまでこれた事を忘れちゃダメよ。元気で行きなよ」
「しっかりな」
ガイルはいつも通り完結に、だが激励の言葉を掛けてくれた。
そして、薬師見習いのエルにも声をかける。
「エル、これからも薬師として頑張ってください」
「うん、僕も負けずに立派な薬師になるよ。クロスこそ、無茶しないで」
クロスは一人ひとりに深く頭を下げた。そして、グレイ教官が、静かに言う。
「……お前はまだ若い。失敗もするし、挫けることもあるだろう。それでも、自分で選んで進むことをやめるな。選んだ道の先でしか、力は手に入らない。――それだけは、忘れるな」
その表情は、いつもの冗談交じりの教官ではなく、戦場をくぐってきた男の目だった。
「はい。……覚えておきます」
クロスが真っ直ぐに頷くと、今度はナタリー教官がそっと歩み寄ってきた。
「あなたの強さは、魔法の威力だけじゃない。何が正しいかを迷っても、それでも前に進もうとする心よ。……その心を、大切にして」
ナタリーは微笑みながら、少しだけ表情を和らげた。
「そして、壁にぶつかった時は思い出して。――ここに、あなたを信じて送り出した人たちがいるってことを」
クロスは喉の奥が詰まるような思いを感じながら、深く頭を下げた。
受付のリサが最後に顔を出す。
「活躍すれば、ちゃんとベルダ村にも話が届くんだからね? 期待してるわよ!」
ふと、誰かが時間を告げる声が響く。
クロスはギルドの皆に向かって大きく手を振り、背筋を伸ばして叫ぶ。
「――行ってきます!」
朝日が、彼の背を押すように差し込んでくる。
こうして、クロスの旅路が始まった。
未来を目指して――
これにて第1章完です。




