日常への復帰
ベルダ村の門をくぐった瞬間、ふっと心が緩むのをクロスは感じた。
アミナ村での激戦を乗り越え、ようやく帰ってきた村は、穏やかな風に包まれていた。
「――よく戻ってきてくれた」
ベルダ村のギルドで、ギルドマスター・ドルトンは重い口調でそう言った。
ベルダ村のギルド。
簡易に整えられた広い会議室に、今回のアミナ村への派遣に参加した冒険者のうち、ナタリーとリオン以外の生き残った全員が集まった。
ブラッドゴブリンとゴブリンシャーマンの出現。仲間の死。そして、生き残った者たちの苦闘と決断。
「まさか、ゴブリンの群れに上位種が含まれていたとはな……村が無事だったのは、正直、奇跡だ」
ドルトンの声には、驚きと共に深い安堵が混ざっていた。
「この件は、早急にラグスティアの町ギルドと領主代行に私からも報告する。ブラッドゴブリンのような上位種が現れた以上、他の村にも危機が及ぶ可能性がある」
そう言って、彼は一呼吸置くと、マルダに視線を向けた。
「……マルダ。お前に話がある」
「……なんですか?」
戦闘で片目を失ったマルダの表情は険しいが、その声には変わらぬ芯の強さがあった。
「今後も冒険者として活動したい気持ちは尊重するが……もし引退を考えているなら、ギルドの教官として残ってもらえないかと思ってな」
室内が静まり返った。
マルダは少しだけ俯き、拳を握った。
「……ありがたい話です。ただ……もう少し、考えさせてください。まだ、気持ちに整理がついていなくて」
「わかった。急ぐ必要はない。お前の人生だ、しっかり考えて答えをくれればいい」
ドルトンはうなずき、最後にもう一度、全員に向かって深く頭を下げた。
「本当に、よくやってくれた。ありがとう」
*
その後、クロスは宿に戻った。
扉を開けた瞬間、見慣れた香りと空気に包まれ、思わず「帰ってきた」と実感する。
「クロス……!」
マリア女将が厨房から飛び出し、ぽってりとした体型を揺らして駆け寄ると、クロスの顔を両手で包む。
「よかった、生きて……帰ってきてくれて……!」
「ただいま戻りました、マリアさん」
涙を浮かべる女将の姿に、クロスの胸もじんと熱くなる。
その夜、久々に出された温かい夕食――香ばしい焼きパンと野菜と鶏肉のシチュー、ほっくりした豆と塩の効いた煮物――を前にして、クロスは目を潤ませた。
「……うまい」
マリアはにっこりと微笑み、優しく声をかけた。
「その言葉が、いちばん嬉しいよ」
*
翌朝。クロスは破損した剣と防具を抱えて村の鍛冶屋へ向かった。鍛冶場では、屈強な体躯の職人が汗を拭いながら鉄を打っていた。
「よぉ、クロス。……聞いたぞ。アミナ村で、大変だったらしいな」
「はい。剣も防具も壊れてしまって……修理、というよりは新しくお願いします」
クロスが渡した剣を受け取ると、鍛冶屋は眉をひそめてうなった。
「……なるほど。これはひでぇな」
「できるだけ早く使いたいんです。体を慣らしておきたいので」
「いい心がけだ。ちょうど強度の高い素材が手に入ったところだ。あんたに合うよう調整しておくよ。明日の朝には仕上げる」
「ありがとうございます」
*
翌日、新しい装備を受け取ったその足で、クロスは薬師見習いの少年・エルと再会した。
「クロスくん、おかえりなさい……無事で本当に良かった」
「エルも元気そうで何より。無事っていうか、結構やばかったらしいけど、治療魔法でなんとかね。でも、2度と治療魔法の厄介にはなりたく無いかなぁ」
クロスは苦笑いしながらエルに答えた。
「それはともかく、今日は薬草採取の仕事、よろしく」
「もちろんです。治療薬の材料も不足しているので、たくさん集めたいところですね」
2人は荷物を背負って森へと向かった。
道中、クロスはふと立ち止まり、眉をひそめる。
「……なんか、気配が前より濃い気がする」
「そうですか?いつもと変わらないと思いますけど……」
森の中は静かだが、確かに何かがいる――そんな気配が、空気の中に滲んでいた。
やがて、草むらを踏み分けて薬草を採取していると、不意に木陰から気配が跳ねた。
「来る……!」
クロスの声と同時に、木陰から飛び出してきたのは一匹のフォレストウルフ。緑がかった毛並みと俊敏な動き、鋭い爪と牙――かつてなら苦戦していた相手だ。
だがクロスは、以前までと同じではなかった。
「見える……!」
フォレストウルフの動きが、まるで“遅く”見えた。回り込む軌道、踏み込みの癖、攻撃の角度。戦闘の最中に自然と頭の中に浮かんでくる。
飛びかかってきた獣の牙の軌道を避け、すれ違いざまに剣を振る。
「はっ!」
鋭い一閃がフォレストウルフの脇腹を裂き、獣は一声悲鳴を上げて倒れた。クロスは無駄なく、確実に敵を仕留めていた。
「すご……クロスくん、あのフォレストウルフを一撃で……!」
「以前より、体の動きも目の感覚も……変わってる。たぶん……アミナ村での戦いで、俺……」
魔力だけでなく、剣士としての“戦闘の勘”が覚醒したのかもしれない。
それを確かめるように、クロスは一歩、森の中へと踏み込んでいった。




