凍てつく罠
夜の闇が村を包み込んでいた。
空に浮かぶ月は雲に隠れ、村の周囲は見渡す限りの黒に染まっている。
静けさが張り詰める中、突如としてその空気が破られた。
「――来るぞッ!」
見張り台にいたリオンが叫ぶ。
その声に、村の中は一気に緊迫した。
剣を抜く音。弓を構える者たちの気配。魔法の詠唱に入る者たちの気息。
クロスも剣の柄に手をかけていたが、すぐに判断を切り替え、ナタリー教官の元へと駆けた。
「ナタリー教官!」
「クロス? どうしたの、こんなときに!」
「北門前の沼地じゃない通路があります。そこを凍らせて、魔物の足を止めます」
ナタリーは思わず言葉を失った。
「は? 道を凍らせるって……アイスタッチで? あれは――」
「できます。俺なら、2メートル四方まで広げられます。それを10ヶ所。
魔物が通るであろう箇所を先に凍らせれば、進軍に支障をきたせるはずです」
「馬鹿言わないで! そんな魔法、今まで誰も――」
「俺がやります。信じてください」
ナタリーは一瞬だけ、言葉を呑んだ。
クロスの目には、確固たる意志が宿っていた。
「……やれるなら、やってみなさい」
「はい!」
クロスは即座に北門前へと走った。
既に泥状にした区画と、まだ土が露出している細道がある。
そこが敵の進路になりうることは明白だった。
クロスはその前にしゃがみこみ、両手を地面へと添える。
「冷たき精よ、我が手に宿り、触れるものを凍てつかせよ――《アイスタッチ》」
冷気が大地に放たれた。
クロスの掌から発せられた魔力は、大地に沁みこむように広がっていき、
やがて半径1メートル、直径で2メートルに及ぶ範囲が凍結する。
土が凍り、表面が滑らかに光りアイスバーン状態になった。
それを確認すると、クロスは次の地点へと移動し、再び両手を地に当てて魔法を放つ。
《アイスタッチ》
「あと……7ヶ所……!」
クロスは息を整えながら、冷気を制御し、地面を凍らせていく。
その姿を遠くから見ていたラグナが、ぽつりと呟いた。
「……10ヶ所の凍結を、全て2メートル四方で展開⁉︎こんなの俺が知ってる氷魔法じゃない……」
ナタリーもその横に立ち、呆然とその様子を見つめていた。
(クロス……あんた、何者なの?)
ナタリーの胸に、疑問と、ほんの少しの畏れが芽生える。
クロスの氷魔法は、通常の冒険者とは一線を画していた。
一般的な《アイスタッチ》の効果は、接触した対象を凍らせる程度のもの。
あれだけの範囲の冷気を、短時間で10度も展開するなど、ノルヴァン連邦出身の氷魔法の使い手でも不可能だろう。とてもじゃないが、常識では考えられない。
(でも――)
ナタリーは自分の胸の内に浮かんだ畏れを振り払うように、剣を握った。
(あの子が村を守るために動いてる。それだけは、信じないと……)
その時だった。
――ズズッ、ズズズ……ッ
地鳴りがした。
そして、森の中から、複数の赤い目が闇の中に現れる。
その数、おそらく数十。
50体を超えると予想されていた魔物の群れが、ついに姿を現したのだ。
それはゴブリンたちの集団。
中には異様に大きな体躯を持つ者――ブラッドゴブリン、そして杖を手にしたゴブリンシャーマンらしき姿も見える。
村の防衛線が、目前に迫った危機に備えて息を殺す。
「みんな……準備はできてるわよね……!」
ナタリーの声が響く。
それに答えるように、ミトが剣を構えながら叫ぶ。
「やるしかないわね! 守るために来たんだもん!」
「こっちは弓の用意できてる!」
「魔法班、いつでも詠唱可能!」
それぞれが配置につき、静かに武器を構える。
クロスも剣を抜いた。
自分が凍らせた10の通路――そこが罠となり、敵の足を止める。
その隙に、仲間たちが叩く。
(俺の魔法で――仲間が一人でも多く生き残れるなら)
その想いだけを胸に、クロスは前線に立った。
そして――
ゴブリンの群れが、森から飛び出してきた。




