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異世界剣士の成長物語  作者: ナナシ
三章
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それぞれの朝

 翌朝


 宿の食堂には、焼き立ての黒パンと香りの良いハーブスープの匂いが漂っていた。


窓から差し込む柔らかな朝日が、木のテーブルを黄金色に照らす。


クロスはスプーンを手に、少し遅れて席に着いたグレイスの方を見やる。


「おはようございます、グレイスさん」


「ええ、おはよう。昨日は少し遅くまで話し込んだから、疲れは残っていない?」


「はい。おかげさまでよく眠れました」


グレイスは軽く笑みを浮かべ、黒パンを手で割ってスープに浸す。


その所作は無駄がなく、相変わらず品があった。少しの沈黙の後、彼女は静かに話を切り出す。


「……で、クロス。今後のことだけど」


グレイスはスプーンを置き、真っ直ぐに弟子の瞳を見た。


「助っ人としてやっていくのも悪くはないけれど、やはりきちんとしたパーティを早めに組んだ方がいいわ」


「そうですよね……。なら、ギルドに毎日通って探した方がいいのですか?」


「毎日通っても、今はあまり意味がないわ。昨日も聞いた通り。ちょうど上位冒険者たちの再編期に入っているから、ギルド内は動きが落ち着くまで時間がかかるものよ」


 クロスはパンを噛みながら眉をひそめた。


「では、どうすれば……」


「とりあえず今日は、ギルドには私が行ってくるわ。あなたはライネル商会に行って、しばらくの間の仕事をもらってきなさい」


「わかりました。……それにしても、グレイスさんがギルドに行くと何か進展が?」


「私が直接に話す方が早いと思うわ。何度も口を挟まないと、こう言う事はいつまでも後回しにされるから」


 グレイスはそう言い、パンを食べ終えると、早くも席を立った。



午前の陽光が石畳を照らす中、クロスはライネル商会へと向かい、グレイスはその足でギルドへと入った。


広間では、依頼掲示板の前に数人の冒険者が集まり、低い声で相談をしていた。


受付カウンターの奥では、書類を捌く音とペンの走る音が心地よいリズムを刻んでいる。


受付嬢の一人、栗色の髪を高く結った女性•••レティシアが顔を上げた。


「サブマスターのギルバートさんにお会いしたいのだけれど」


「グレイスさんですね。少々お待ちください」


 案内された応接室には、既にギルバートが待っていた。


初老の男は椅子から立ち上がり、慣れた仕草で迎える。


「昨日の今日で早々進展はないですぞ」


開口一番、彼は低く言った。


グレイスは微笑を浮かべ、落ち着いた声で答える。


「それは承知しています。今日は、なるべく早めに正規のパーティを組めるようお願いしに来ただけです」


ギルバートは腕を組み、ゆっくりと頷いた。


「それについては善処しましょう。ただ、クロスくん本人は来てませんが、それまでの仕事はどうするつもりですか?」


「知り合いの商会で仕事ができそうなので、今日はそちらで働かせています。当面のお金はそれで大丈夫よ」


「なるほど……。では、正規パーティ候補との臨時パーティを組めるスケジュールが出たら、すぐに知らせます」


「助かります」


会話が一段落しかけた時、ギルバートはふと思い出したように眉を上げた。


「そういえばクロスくん、魔法の私塾への入学を希望していましたな。そちらはどうします?」


「そっちは進展あったの?」


「ええ、一応推薦は問題ないとの結論が出ました。臨時パーティでの活動なら、スケジュール次第で私塾の授業とも両立できるでしょう。もっとも、本人の努力次第ですがな」


「努力なら、あの子は惜しまないわ」


ギルバートは小さく笑みを見せた後、少し身を乗り出す。


「それより、彼の氷魔法の威力はどれほどのものですか?」


「どういう意味かしら」


「最近は私塾でも実戦的な授業を求められるようでして。元冒険者で魔法が使える者が講師として求められているんです。もしクロスくんの魔法が実戦レベルなら、授業を手伝いながら学ぶという形も可能かと」


グレイスはしばらく黙って考えた。


ギルバートはその沈黙を「やはり普通の魔法か」と解釈しかけたのか、肩を落としかける。


「……普通の冷やす魔法、でしたか」


「いいえ、違うわ」


グレイスの声は静かだったが、どこか自信を帯びていた。


「違う?」


「クロスの氷魔法は普通じゃないの。フロストショットでブラッドゴブリンの四肢を凍らせることができるのよ」


ギルバートは驚きに目を見開いた。


「そんな馬鹿な……!」


「気持ちは分かるわ。私も最初は報告だけ聞いて信じなかった。でもフェルナ村で一緒に戦って、ブラッドゴブリンやダークオーガの四肢を本当に凍らせるのをこの目で見たの」


沈黙が落ち、やがてギルバートは唸るように言った。


「もしそれが本当なら、私塾は喜んで彼を迎えるでしょうな……。一度、私の前で見せてもらえますかな」


「明日で良ければ連れてくるわ」


「ぜひお願いします」


ギルバートの表情には、先ほどまでになかった期待の色が宿っていた。



その頃クロスは、賑わう商人街を抜け、白い漆喰壁のライネル商会へと足を踏み入れていた。


商会内は、帳簿をめくる音と、紙を束ねる麻紐のこすれる音が混じり合い、独特の緊張感が漂っている。


「おや、来たかクロスか」


「おはようございます、マルコさん。ダナさんに仕事がなければ顔を出せと言われたので、厚かましくもきてしまいました」


言葉は短く、節度を崩さない。マルコはにやりと笑って肩を叩いた。


「あぁ、クロスなら冒険者の仕事がない日は仕事させていいぞ。昨日ダナが言ってたと思うが、人手が足りん時期でな、ちょうどいい」


ダナが口を挟む。


「仕事の流れは簡単だ。仕分けと在庫確認、あとは入荷伝票の照合。まぁ、無理はさせん。だが、丁寧にやれよ」


マルコは倉の奥へ向かい、声を張った。


「タルク! 来い!」


応えるように現れたのは、三十代半ばほどの男•••商会の仕分け責任者、タルクだった。


作業着の袖は肘までまくり上げられ、手にはいつもの木の定規と筆記用具。


彼の目つきには職人の確かさが宿っていた。


「仕事は任せてください。私がついて説明します。クロスさん、初めてですか?」


タルクは無駄のない動きで倉の中を示した。


そこには種類別に並べられた箱と、商品コードを示した赤い札、出荷予定の伝票が整然と積まれている。


「はい。よろしくお願いします」


クロスは答え、タルクに導かれて作業台の前に立った。


タルクはまず、仕分けの手順を淡々と説明する。


「まずはこの伝票を見て、赤札の札と一致する箱を取り出す。重さの目安が書いてあるから、無理に持ち上げようとするな。二人一組で移動するものは必ず声を掛け合う。破損しやすい物は緑の布で包む。終わったら私に検印をもらって次へ回す……分かるか?」


クロスは一つずつ頷き、慣れた手つきで伝票と箱を照らし合わせた。


指先に伝わる木箱の冷たさ、埃混じりの匂い、同僚たちの忙しい掛け声。


単純だが確実さを要する作業は、クロスの集中を育てる。


彼は余計な動きを排し、目の前の仕事にだけ視線を注いだ。


(師匠の教えと同じだ。小さな差違も見落とさぬこと)


と、内心で自分に言い聞かせる。


タルクは時折、手早く箱を持ち上げて見本を示し、クロスの動きが乱れれば静かに修正した。


ダナは端からその様子を見守り、時折クロスに軽く声を掛ける程度だった。


マルコはぬくもりある笑顔で通りすがりに現金の受け渡しや帳簿の確認をこなし、従業員たちに小さな気配りを見せる。


「いい動きだな、クロスさん。力仕事だが、怪我だけはするなよ」


タルクの言葉は短いが的確で、クロスは手伝いが次第に要領を得ていった。


仕分けが一段落すると、タルクはクロスに伝票の照合のコツを教えた。


重なった伝票の順序を見抜く方法、同じ商品名だが微妙に違うコードの見分け方。


仕事は単調だが、正確さと速さの両立を要求する。


昼前、簡単な休憩を取るとき、マルコが近づいてきてポケットから小さな包みを取り出した。


「これ、昼飯代にでもするがいい。10ルム程度だが……今日の賃金とは別だ」


クロスは一瞬ためらったが、深く頭を下げて受け取った。


その目はただ仕事に対する決意を示していた。


ダナは少し誇らしげに笑い、タルクは腕組みして倉の奥へ戻った。


「午後も同じ流れだ。俺は午後の市へ出る。何か困ったらダナの所へ行け。店の方でも力にはなれる」


そう言ってマルコはまた帳簿に戻った。クロスも仕事に戻り、伝票をひとつ取り、静かに作業を再開した。


周囲の音は慣れた機械のように規則正しく、クロスの胸中には小さな安堵が広がっていた。


ここでこなす一日一日の積み重ねが、やがて自分の足場を作るのだと、彼は信じていた。


年末進行が想像以上に大変です………

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