赤鷲亭へ
フィルガード工房を後にし、二人は静かな路地を歩いていた。
街の喧騒は夕暮れに向かって徐々に落ち着き、空には灰色の雲が垂れ込めている。
二人は石畳に靴音を響かせながら、クロスは隣を歩く師匠へと目を向けた
「……改めて、ありがとうございます、グレイスさん。あんな高価な剣の素材と費用を、負担していただけるなんて」
クロスがそう言って頭を下げると、隣を歩く女性は肩を竦めた。
「礼なんていらないわよ。私が勝手にやったことだし、クロスがそれだけの実力に見合った剣を持たせるのも私の仕事だからね」
「それでも……あの剣、金貨四十枚って。驚きました」
「ヴェラントの仕事だから当然よ。あの人が仕上げる剣の中では、まだ安い部類かもしれないわ」
並んで歩きながら、クロスは少し言い淀み、問いかける。
「ところで……グレイスさんが使っている剣、あれもフィルガード工房のものですよね。……おいくらくらいしたのでしょうか」
「んー、結構前の話だけど……確か金貨百二十枚くらいだったと思うわよ。ミスリル主体の芯に、赤鋼と雷石を合わせた素材で……あれは相当な逸品よ。まぁ、今じゃ……下手したら倍以上かもね」
「……とんでもないですね」
クロスは小さく息をのむ。
グレイスの剣が凄まじい切れ味と軽さを誇る理由を、改めて実感させられた。
「だからこそ、素材選びは大事なのよ。武器も防具も、素材の相性と使用者の特性次第で大きく変わる。……で、あなたは今後どんな装備が欲しいの?」
「正直、まだ明確なビジョンはありませんが……自分の体格と魔力消費を考えると、あまり重い防具は向いていない気がします。武器も……斬撃の方が扱いやすくて」
「そうね。魔物素材は癖が強いから、基本は鋼とのバランス重視。私たちみたいに身体強化を軸に戦うなら、魔力の流れを阻害しない『デスマンティスの繊維』みたいなのも選択肢に入るわね。あんたの動きには柔軟性が必要だもの」
「なるほど……勉強になります」
そんな話をしながらたどり着いたライネル商会では、入り口で見慣れた護衛•••ダナが腕を組んで立っていた。
商会の制服は着ていなかったが、その鋭い視線は、周囲への警戒を怠っていない。
「やっと来たか。……待ちくたびれたぞ」
「お待たせして、すみません。工房で時間を取られてしまって……」
「いや、問題ねぇ。マルコさんに『紹介した宿だから、きちんと連れて行け』って言われたからな。こっちは仕事サボってるんだ、感謝しろよ」
「……ありがとうございます。では、よろしくお願いします」
三人で再び街路に出ると、しばしの歩き。
途中、ダナが気軽な調子で口を開いた。
「そういや、クロス。ギルドの仕事、もう受けれるのか?」
「いいえ、まだです。しばらくは単発の助っ人仕事が中心になりそうですね」
「だったら、ライネル商会の仕事でも手伝ってくれよ。荷運びとか警備の補助とか、いくらでもあるぜ?」
クロスは少し躊躇いながら尋ねた。
「……その手の仕事は初心者向けのはずです。私は一応6級なので、受けられないのでは」
「心配すんな。マルコさんはな、『物の価値が分からない奴に、商品は任せられん』って言ってギルドには依頼してねえ。お前は見込みありだって話だしな。何より……」
ダナは口元に笑みを浮かべて、軽くクロスの背を叩いた。
「お前なら、ちゃんとやれるよ」
クロスは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに丁寧に頭を下げた。
「……ありがとうございます。信頼に応えられるよう、努力いたします」
その言葉を受け、クロスの背筋が少し伸びる。
やがて、赤い屋根の宿《赤鷲亭》が見えてきた。
商業地区から少し離れた静かな路地に建つ、二階建ての宿屋だ。
門前には小さな花壇と椅子が置かれており、手入れの行き届いた佇まいに落ち着いた雰囲気が漂っていた。
ダナが扉を開け、すぐに「おーい、出てきてくれ」と声をかける。
奥から現れたのは、がっしりした体格の中年男性と、品のある落ち着いた雰囲気の女性だった。
「おー、ダナじゃないか。そっちの二人が噂の客かい?」
男性が笑って尋ねる。
名はラゴス。元冒険者。
隣に立つのは妻のヒルダ。
彼女も元・後衛の治癒士だった。
「そうだ。マルコさんの知り合いだから、しばらくよろしく頼むってな」
ミーナがふと目を細めて、グレイスを見た。
「……あら。お久しぶりじゃない、グレイス。まさか、あんたがここに来るなんてねぇ」
「……やっぱり覚えてたのね、ヒルダさん。お久しぶり」
「その子と二人旅って……まさか結婚?」
「それ、今日だけで二度目よ。スルーヴの夫婦にも言われたわ」
グレイスがため息混じりに言うと、ヒルダはくすくすと笑いながら言った。
「あんたが4級になってから、ずっとラグスティアから出てこなかったでしょ? 挨拶に来るってことは、そういう話かと思うじゃない」
「違うわよ。この子…クロスが、この街にギルドの所属を移すから、付き添いで来ただけ。私は10日もすれば戻るわ」
ラゴスが興味深げに口を挟んだ。
「ほぉ、その割には長逗留じゃないかひょっとして、そいつの剣を頼んだのか?」
「ええ。ヴェラントさんのところで」
「なるほどな。アイツが打つ剣なら、安心だ」
そんなやり取りを終えた頃、ダナが一歩前に出る。
「それじゃ、こいつらのことは頼んだぜ。俺は先に食堂に行ってる。お前ら、荷物置いたら来い」
クロスとグレイスは鍵を受け取り、部屋に荷物を置くと、再び一階の食堂へと降りていった。
料理の香ばしい匂いが鼻をくすぐり、炊き立てのご飯と肉の香りが胃を刺激する。
ほどよくスパイスの利いた煮込み料理に、彩り豊かなサラダと温かいスープ。
宿の料理としては十分すぎるほどに美味だった。
「……久しぶりに、ちゃんとした食事を食べた気がします」
「旅の途中は、保存食ばかりだったからね」
そう答えるグレイスも、満足げに笑っていた。
こうして、クロスの新たな街での拠点が定まった。




