新たな力を
朝、澄んだ空気の中をクロスとグレイスは並んで歩いていた。
向かう先は、セイランの冒険者ギルド。
重厚な石造りの建物の前に立つと、クロスは心の中で一つ深く息を吸う。
ギルドの扉を開けると、中は朝の活気に包まれていた。
依頼の張り紙を見ている冒険者たちのざわめきが耳に入る。
受付カウンターには一人の女性が立っていた。
栗色の髪を後ろで束ね、眼鏡をかけた理知的な雰囲気の女性だ。
名札には「ルティナ」と書かれている。
「おはようございます。ギルバートさんにお会いしたいのですが……私、ラグスティア所属の4級冒険者、グレイスと申します」
名乗った瞬間、セリアの目がわずかに見開かれる。
どうやら、グレイスの名はこの街のギルドにも知れ渡っているらしい。
「少々お待ちください。確認いたします」
そう言って奥へと消えたセリアは、しばらくして戻ってくると、丁寧に頭を下げた。
「ギルバートより、執務室にお通しするようにとのことです。どうぞ、こちらへ」
クロスとグレイスは二階へと案内される。
広々とした廊下の先、重厚な扉をノックすると、中から低く落ち着いた声が聞こえた。
「……入ってくれ」
部屋の中には、髪と髭に白が混じる壮年の男•••ギルバートが書類に目を落としながら座っていた。
「申し訳ないが、少し待っていてくれ」
彼は手を止めずに言い、二人は応接用のソファに腰掛けた。
静寂の中、ペンの走る音だけが部屋に響く。
やがて彼は筆を置き、書類を重ねて深く息を吐いた。
「ふぅ……さて、今日は何用かね?」
グレイスが口を開く。
「この子…クロスがセイランに正式に所属になったでしょ?でも、パーティを組まなきゃ仕事ができない。それで今後の方針について相談をしにね」
「……なるほど」
ギルバートは頷きながらも、眉をしかめて現状を語る。
「君たちは知ってると思うが、黒装束の一件で4級に欠員が出てしまってな……アーヴィンは斥候職の補充を希望しているが、適任者がいない。それに加えて、カレンとスレインのパーティも半数が失われ、再編を検討している段階でしてな」
クロスは少し身体を前に傾けて尋ねる。
「では、自分は……?」
ギルバートは申し訳なさそうに口を開いた。
「しばらくは、“助っ人”として活動してもらうことになるでしょう」
「助っ人……ですか?」
クロスの問いにギルバートは丁寧に説明を加えた。
「ギルドとしては、難易度の高い依頼や戦力不足のパーティに対して、助っ人を送り込むことがあります。まぁ、これはあくまで一時的なもの。しかし、これは力がある者にしか頼めんことですからな。正直、まだ実績がない若者には通常回ってこないが…あの模擬戦を見れば、君なら十分にこなせるだろうとの判断です。そこでの活躍で固定パーティの再編の参考にもさせて頂くつもりです」
クロスは納得したように頷いたが、どこか納得しきれない表情も見える。
しばらく沈黙があった後、グレイスがふと思い出したように切り出した。
「それなら、私塾の推薦をお願いできないかしら? クロスは今、魔法の学びを希望している」
「ふむ……今さら私塾ですか?」
ギルバートの目が細くなる。
「普通は、ああいった場所で学ぶのは成人前ですからね。成人してからも学び続けるのは国への士官希望者か研究職くらい。だから、冒険者になる人は卒業してから冒険者になるもんなのですが……。普通、冒険者をしながらじゃ通うのも難しくなりますよ?」
クロスが自分の意思を込めて答えた。
「それは話を聞いてます。ですが、自分の戦い方には盾が合わないと思っています。だから、これからの事を考えると、障壁魔法を学びたいんです。守りを自分で作れるように」
「……障壁魔法は資質が問われる。誰でも使えるものじゃないのですが?」
ギルバートがそう言いかけたとき、グレイスが遮るように言った。
「クロスは氷魔法が使えるわ。それに、障壁の資質もあるそうよ」
「……氷魔法?」
ギルバートはその言葉に眉を上げ、考え込むように視線を落とした。
「……それは初耳ですな。なるほど、資質があるというなら話は変わる。だが……」
彼は顔を上げ、再び老練な目でクロスを見つめる。
「私塾は高額だ。金銭的な覚悟はできているのかい?」
「パーティを組めない今だからこそ、できることがあると思っています。……ある程度は覚悟しています」
その熱意に、ギルバートは深く息を吐いた。
「分かった。少し他の者とも相談してみよるとしましょう。明日にでもまた来てくれ」
クロスとグレイスは立ち上がり、深く礼をして部屋を後にした。
ギルドを出たクロスとグレイスは、昼食を取った後、街の南にある「フィルガード工房」へと向かった。
金属を打つ音が外まで響く鍛冶屋。中に入ると、受付には若い男の弟子が立っていた。
名は「トーマ」
まだ修行中らしく、油の染みた作業服を着ている。
「グレイスさん!? お久しぶりです。今日はどうされました?」
「少し話がしたくてね。ヴェラントに伝えてくれる?」
トーマは頷いて奥に消え、ほどなくして戻ってきた。
「すいません。今は手が離せないので、一時間後に来てほしいそうです」
「分かった。ありがとう」
工房を後にした二人は、防具屋へと足を運ぶ。
マルコに紹介された『スルーヴ防具店』
中に入ると、店の奥から中年の夫婦が顔を出した。
「やぁ、グレイス!」
元・三級冒険者の夫婦•••店主の名はロズラン、妻の名はマレリア。
「あら、グレイスじゃない! 久しぶりね!」
「おや、隣の青年は……もしかして結婚報告?」
「違うわよ、まったくもう……」
グレイスが苦笑すると、マレリアは「冗談よぉ」と笑った。
ロズランが声をかける。
「この街に来るとは珍しいな。今日はどうした?」
「この子、クロスっていうんだけどね。ラグスティアからセイランに所属を移したから、付き添いで来たの。それと、フィルガード工房に行ったら一時間後に来いって追い出されたから、その間に挨拶をと思って」
クロスが丁寧に頭を下げると、ロズランが問いかける。
「ランクは?」
「6級です」
「おお、しっかりしてるじゃないか。グレイスの知り合いなら、今後うちで防具を買うときはサービスしてやるよ」
少し世間話をして、工房へと戻る。
一時間後、再び工房に戻ると、鍛冶場の奥からヴェラントが姿を現した。
「グレイスか。たまには双剣の調子でも見せに来い」
「忙しくてね。でも元気にしてた?」
「まぁな。おかげさまで腕は鈍っていない」
ひとしきり会話を交わした後、グレイスがクロスを紹介する。
「この子、クロスっていうんだけど。一本、剣を打ってあげてほしいの」
「……えっ、俺のですか?」
ヴェラントは驚きつつも、クロスの目をじっと見た。
クロスは戸惑いを隠せない。
「でも、私塾に通うこともあって、お金が………」
「出費は私が持つわ」
グレイスはあっけらかんと言ってのけた。
「え……? でも、オーダーメイドの剣って、かなり……」
「弟子が独り立ちするんだから、餞別くらいさせなさい」
そう言って笑うグレイスに、クロスは言葉を失う。
「あなたが進もうとする道は、険しい道になる。だったら、新しい力を手に入れることを躊躇わないで」
ラグスティアの鍛冶師バーグマンの言葉が、クロスの脳裏に蘇る。
「その剣じゃ、この先はもたないぞ」•••あの言葉の重み。
クロスは静かにグレイスの方へ向き、頭を下げた。
「……ありがとうございます」
黙ってクロスとグレイスの会話を聞いていたヴェラントは、ゆっくりと口を開く。
「……うちではな、実力のない奴には剣は打たん。悪いが、それが流儀でね」
言葉の重みが場を静かに沈める。
クロスは何も言えずに、ヴェラントの真剣な眼差しをただ見返していた•••




