再会
クロスはグレイスと共に街の中心部にそびえる石造りの建物の前で足を止めていた。
《ライネル商会》
その立派な三階建ての石造りの建物は、街の一角に堂々と構えられており、クロスの想像していた“商人マルコ”の店とはあまりにもかけ離れていた。
「……でかいな」
思わず口から漏れた言葉に、グレイスが横で小さく笑う。
「入らないの?」
背後から聞こえた声に、クロスは振り返った。グレイスが微笑を浮かべている。
「……はい、でも……ちょっとだけ、緊張してしまって……」
「何を今さら。恩人に礼を言いに来たんでしょう? 胸を張って行きなさい」
「……そうですね」
一歩、二歩と足を踏み出し、重厚な扉を押し開ける。
すぐに、店内の従業員の一人がカウンターの奥から出てきた。
「いらっしゃいませ。本日はどういったご用件でしょうか?」
クロスは少しだけ緊張しながら名乗る。
「クロスと申します。以前、マルコさんにお世話になりまして……あの、約束などはしていないのですが、お会いできないかと思いまして」
従業員は丁寧に頭を下げた。
「申し訳ありませんが、現在マルコは多忙のため、アポイントのない方との面会は……」
「……クロス、だって?」
不意に、背後から聞き慣れた声がした。クロスが振り向くと、そこには屈強な体躯をした中年男性•••マルコの護衛をしていた、ダナが立っていた。
「やっぱり、お前だったか!」
驚きの声と共に、ダナは歩み寄ると大きな手でクロスの肩を叩いた。
「随分、立派になって……よく来たな!」
「ダナさん! ご無沙汰してます!」
クロスが笑顔を見せると、ダナも嬉しそうに頷いた。
「まさか本当にセイランまで来るとはな。マルコさんに会いに来たんだろ? ついてきな。俺が通してやるよ」
従業員が慌てて言葉を挟む。
「ダナさん、しかし……」
「こいつは、俺とマルコさんの知り合いなんだ。問題ない」
そう言うと、ダナはクロスとグレイスを連れて奥の執務室へと向かった。
執務室の扉を開けると、中には相変わらずふくよかな体型の男が机に向かって帳簿とにらめっこをしていた。マルコだ。
「マルコさん」
「……ん? ダナ、何か……おお!? こ、これは!」
クロスを見るなり、マルコは目を見開いて立ち上がった。
「クロスじゃないか! 本当に来たのか!? いや、見違えたなあ……顔つきも大人びて……いや、感無量だ……!」
マルコは駆け寄ると、クロスの肩をしっかりと掴み、嬉しそうに何度も頷いた。
「本当に来てくれてありがとう。あの時の約束、覚えててくれたんだな」
「もちろんです。必ず、会いに来るって決めてましたから」
マルコは目を細め、少しだけ感傷的な表情を浮かべた。
「紹介が遅れました。この方はグレイスさん。僕の先輩冒険者で、今はラグスティアのギルド所属です。今回は、セイランに行く用事があるということで同行していただきました」
「なるほど、それはご足労いただきありがとうございます。マルコと申します」
「グレイスです。こちらこそ、クロスがお世話になったようで」
丁寧に頭を下げ合い、簡単な挨拶が交わされると、四人はテーブルに腰を下ろした。
「いやあ、それにしても立派になったもんだ。で、今日はどんな用件で?」
「……はい、実はお借りしていた金貨三枚、今日返しに来ました」
クロスは懐から丁寧に包んだ革袋を取り出して、テーブルの上に置いた。
マルコは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに頷いた。
「そうか。ちゃんと返しに来てくれたんだな……ありがとう。だが、あれは貸しって気分じゃなかったんだけどな」
「僕にとっては、命をつなぐお金でしたから。だからこそ、返さなきゃって思ってました」
マルコはしばらく無言だったが、やがてにこりと笑う。
「なら、ありがたく受け取っておこう」
そこからは思い出話が続いた。マルコの商隊と別れた後、クロスがどんなふうに冒険者として歩み始めたか。ベルダ村での活動やラグスティアでの出来事。
「……そして、つい先日、6級に昇格しました」
「おおっ、そりゃすごいじゃないか!」
「それで……これからセイランで活動していこうと思ってます。ただ、土地勘が全くなくて……おすすめの宿や食事処、あと武具の店なんかを教えていただけたら助かります」
「もちろんだ。うちの商会が取引している店の中でも信用できるところを紹介しよう」
マルコは豪快に笑い、デスク横の地図入り手帳を開いた。
「まず宿からだな。……グレイスさん、アンタも知ってるだろ。《赤鷲亭》だ」
グレイスが頷いた。
「ええ、私も昔よく使ってたわ。あそこ、案外いいのよね」
「《赤鷲亭》?」とクロスが小さく反復する。
マルコは指で円を描くように地図上を示しながら話す。
「そう。《赤鷲亭》は元4級の冒険者だった夫婦が営んでる宿だ。建物は年季が入ってるが、当然、食堂は併設されているし、なんと言っても風呂がある。そして騒ぐ客は即退場。このルールを守れない奴は追い出されるっていう、冒険者にはありがたい“静けさ重視”の宿なんだ」
「それでいて、1泊4シルだ。6級の稼ぎなら余裕で払えるだろう?」
「はい……! すごくいいですね。静かっていうのは、かなり魅力的です」
「それに、宿の親父は見た目ごついけど、料理がうまい。特に肉料理は絶品だ」
グレイスが肩をすくめた。
「夜遅く帰っても、きちんと温めて出してくれるのよ。私もあそこでずいぶん助かったわ」
「次は、武器屋だな。《フィルガード工房》。セイランじゃ有名な店のひとつだ」
「そこは私もよく世話になってるわ」
と、グレイスが頷いた。
「店主のヴェラントは元冒険者で、魔力を通す加工……つまり魔力強化用の刃を作れる数少ない職人だ。ミスリルの加工技術を持っているから、上位層の冒険者達に信頼されてる」
「ミスリル……ですか?」
「そうよ。ヴェラントは“ミスリルは加工するんじゃない。ミスリルが加工するんだ”なんてわけのわからないこと言う変人だけど、腕は確かね。彼の剣なら、魔力強化に耐えられる。……クロスには、今後絶対必要になるわね」
「……そのお店、行ってみたいです」
「次に……防具なら《スルーヴ防具店》がいいな」
マルコが続けた。
「ここは、元魔法騎士だった夫婦がやってて、軽量で魔力通導性の高い素材を使った防具を取り扱ってる。普通の革鎧でも、魔法を通すことで硬化する仕組みがあるんだ」
「魔力で防具を強化できるってことですか?」
「そうだ。特に、属性攻撃に弱い部位をカバーする“局所耐性”の加工もある。接近戦をする冒険者には、あそこが一番向いてる」
「なるほど……ありがとうございます。剣もだけど、防具も大事ですよね」
グレイスが静かに付け加える。
「それと、あそこの店主の奥さん。見た目はのんびりしてるけど、クロスよりよっぽど強いから油断しないようにね」
「え……!?」
「元3級よ。手加減はしてくれるけど、冗談抜きでふざけたことすると、斬られるから気をつけなさい」
「そして、食事処だな」
マルコが机の引き出しから数枚の紙を取り出してクロスに手渡した。
「《クルミ亭》と《銀の串》、この二つが安定だな」
「“クルミ亭”は、落ち着いた雰囲気の店で、家庭的な料理を出してる。特に人気は“茸の煮込み”と“肉団子”。夜に行けば静かで冒険者の影も少ないから、心を休めたい時にはおすすめだ」
「“銀の串”は完全に“肉料理専門店”だな。串焼き、塩焼き、スパイス焼き……冒険帰りに肉を食いたくなったらあそこ。値段もリーズナブルだし、グレイスさんも知ってますか?」
「ええ、店主が昔、私のパーティの補給係だったのよ。あそこの串は絶品。何本でも食べられるわ」
「……もう完全に食べたくなってきました」
「地図には全部印をつけといた。場所に迷ったら、この地図持ってギルドで聞け。あとは、俺の名前出せば大抵の場所は問題ない」
クロスは受け取った地図を大切にしまい、深々と頭を下げる。
「ありがとうございます、マルコさん。本当に助かりました」
「礼なんていらんさ。お前が立派になって戻ってきた、それだけで十分だよ。……ちなみに、うちも扱ってる商品はかなり幅広いぞ。織物、保存食、薬草、鉱石、香辛料、防寒装備………なんでもある。なんなら、モンスター素材の持ち込みも歓迎だ。……お前なら、素材の買い取り価格、悪くしないぞ?」
話が一区切りすると、クロスは立ち上がった。
「今日は本当にありがとうございました。いろいろ教えていただけて……それでは、そろそろ」
だが、マルコは立ち上がったクロスに眉をひそめた。
「……あのな、クロス」
「……はい?」
「せっかく再会したのに、夕飯も食わずに帰るなんて……何考えてるんだ!」
「え……?」
「泊まってけ! 今日はもう、何があっても泊めるからな!」
突然の言葉に、クロスは一瞬言葉を失ったが•••やがて、苦笑して頷いた。
「……ありがとうございます。お言葉に甘えて、泊まらせていただきます」




