旅立ちの前夜、そして新天地へ
夕暮れの柔らかな陽が、ラグスティアの石畳を茜色に染めていた。
クロスが滞在する《月影の宿》の食堂では、テーブルに並べられた温かい料理の湯気が、心なしかゆっくりと立ちのぼっていた。
セラの提案で開かれた、ささやかな“お別れの夕食会”。
集まったのは、パーティメンバーのセラ、ジーク、テオ、そしてクロスの四人だった。
「本当に……もう、行ってしまうのですね」
微かに伏し目がちなセラの声に、クロスは箸を止めた。
テーブルには温かな煮込み料理とパン、宿の女将が特別に用意してくれた焼き魚が並び、どこか名残惜しさを滲ませる空気が漂っていた。
「うん。……でも、行くと決めたから」
「そうかぁ。でも、クロスがいなくなるのは正直、寂しいなぁ」
ジークが半ばふてくされたように言い、テオも「同感だよ」と苦笑交じりに付け加えた。
「俺たち、まだまだ未熟だし、クロスがいたから戦えたことも多かったしな」
「……そうだね。でも、私たちも前に進まなきゃいけないから」
セラの声は静かだったが、どこか言い聞かせるようでもあった。
「セラ。……俺、こっちで色々学ばせてもらった。本当に、ありがとう。三人とも」
クロスがまっすぐに三人を見る。ジークは頷き、テオは少し目を細めた。
そしてセラはそっと微笑みながら口を開いた。
「クロスさん……。私は、貴方ともっと長く一緒に戦っていたかったです。でも……今の貴方なら、どこへ行っても大丈夫ですね。どうか……お気をつけて」
「うん、ありがとう。……そっちこそ、無理しないでな」
セラは柔らかく微笑みながら、ジークとテオの顔を交互に見た。
その夜、月影の宿には四人の若者が集った最後の、そして静かな笑い声が響いていた。
その夜、月影の宿の静かな部屋の窓辺に腰を下ろしたクロスは、カーテン越しに夜空を見上げながら、一人深く考え込んでいた。
(力を持っているってだけで、他人に疎まれたり、嫉妬されたりするのは……正直、もう慣れてきた)
だが、それだけで力を隠して生きるのは、きっと違う。
(黒装束の連中がやってることは、彼ら以外の人が不幸になる。巻き込まれて悲しむ人たちが、いっぱいいる……)
静かに目を閉じ、心の奥底にある決意が湧き上がる。
(だったら…俺がやる。少しでも不幸になる人が減るなら)
クロスの胸に、一つの名が浮かんだ。
(神が教えてくれた嘗て神の代行者としてこの世界を歪めた張本人。“ヴァルミュール・エリュシオン”……あの男を、止める)
それが、今の自分の進むべき道なのだと。
翌朝。
グレイスとともに街を発つその時、ギルドの前には予想外の顔ぶれが立っていた。
「……やっぱり、来てくれたんですね」
クロスは少し驚いた顔で、バルスとフロレアに声をかけた。
「当然だろ。門出の時に見送りもしねぇで、いつ祝えばいいんだよ」
バルスは苦笑しながら、肩を軽く叩いてくる。
「お前との訓練、結構楽しかったからな。また戻ってきた時、もっと強くなってるの期待してるぜ」
「ええ、次は私も少し本気出さないと、追いつかれちゃうかもね?」
フロレアが口元を緩めながら冗談めかして言った。
「……ありがとうございます。バルスさん、フロレアさん。お二人のおかげで、ここまで来られました」
深く頭を下げるクロス。
その姿に、フロレアが少し目を細めてから、からかうように言った。
「そんなに真面目にならないの。あなたが前に進もうとしてるの、ちゃんと見てたわよ」
「……うん。じゃあ、行ってくる」
クロスは最後に、ギルドから現れたミレーナに挨拶をする。
「ミレーナさん。いろいろお世話になりました」
「ええ。セイランは忙しい街よ。しっかり勉強して、働いて、そして稼ぎなさい。……いい意味で、期待してるわよ」
ミレーナはにこやかに微笑み、軽く手を振った。
そして•••クロスとグレイスは、セイランへ向けて歩き出す。
雲ひとつない晴天の下、旅路は静かに始まった。
だが、その背には確かな決意があった。
いつか必ずこの世界に蔓延る「影」を、断ち切るために。
これで第二章完結です
また明後日から第三章突入です




