赤牙の斜丘
ラグスティアの南門を抜けたのは、陽が頂点に達する頃だった。
クロスは背負った荷物を肩にかけ直し、隣を歩くシアン、少し後ろを歩くヘレナとシーファに目をやる。
四人での依頼はこれが初めて。
互いの距離感はまだ測りきれないが、それでも空気はどこか心地よかった。
「……それにしても、今日はよく晴れてるな」
先頭を歩くシアンが言った。顔を上げると、空には雲ひとつない。
草原の風が頬を撫で、遠くには丘陵の影がぼんやりと浮かんでいた。
「こういう日に限って、魔物に遭遇するのよね……晴れだと人も出歩くし、狙われやすいもの」
シーファが苦々しげに呟く。
「そんな時こそ、シーファの弓に頼ってるんだよ。頼りにしてるぞ」
「……あんたにだけは言われたくないわ」
そう返しながらも、シーファの口元にはうっすらと笑みが浮かぶ。
クロスも笑いながら口を開いた。
「お二人とも仲が良いんですね」
「よくはねえよ」
「仲は悪くないわ」
即答した二人に、ヘレナがくすくすと笑う。
「ま、言葉より動きの方が信頼できる仲ってことでしょ。私も、そういうの嫌いじゃないわ」
そんな他愛のない会話をしながら、四人は夕暮れの道を進む。
一泊するための中継地に着いたのは、陽が沈み切った頃だった。
小さな炊事場と木造の屋根がある簡易野営地で、冒険者や旅人が使う共有の休憩所だ。
夜は交代で見張りをしながら、火を焚いて暖を取る。
クロスは交代の時間を終えた後も、静かに座って目を閉じ、魔力の流れを身体に通す訓練を繰り返していた。
(……明日が、本番か)
翌朝、朝露が残る草の斜面を越え、《ウィンベルの斜丘》に到着したのは、昼前のことだった。
眼下にはゆるやかな丘陵が続き、草の波打つ中に、赤黒い毛並みの魔物たち――《ブラッドファング》の姿があった。
十一体。いずれも体長は一メルを優に超え、唸るような低い音を漏らしながら、縄張りをうろついている。
「……あれだけの数がいると想像以上に厄介そうね」
シーファが低くつぶやく。
「奇襲しても、数が多すぎれば一気に包囲される可能性がある。作戦を練ろう」
シアンが落ち着いた声でそう言い、三人を見渡した。
「クロス、お前……剣だけじゃなく、魔法も使えるって聞いたけど、どうなんだ?」
「はい。メインは剣ですが、氷魔法なら少し。攻撃系が中心です」
「……氷、か」
シーファが少し眉をひそめる。
「悪くないけど、ああいう機動力のある魔物に間に合うの?」
「……たぶん」
クロスは躊躇いがちに言った。
「《フロストショット》って魔法なら、ゴブリンくらいなら一撃で倒せます。加えて、《アイススパイク》も。少し準備が必要ですが……」
「……あぁ、グレイスさんが言ってた。『クロスの魔法は普通じゃない』って。まさかそれほどの威力があるとはな」
シアンは顎に手を当てて少し考えると、すぐに方針を決めた。
「よし。まずはシーファの弓で注意を引く。その後、俺とクロスが前を張って突撃。シーファは後方から援護。ヘレナは俺たちの後方に回って、シーファの位置からも支援できる位置にいてくれ。……クロス、お前は剣を基本にしつつ、射線に気をつけて魔法も交えてくれ」
「了解です」
「わかった。……始めるわよ」
シーファの指から矢が放たれた。
「ッ……!」
風を切った一本の矢が、ブラッドファングの目を正確に射抜く。
咆哮とともに群れが一斉にこちらを向いた。
「来るぞ、クロス!」
「はい!」
視界を覆うように広がる群れ。だが、クロスは恐れずに立ち向かう。
《視界領域――ビジョン・ドメイン!》
発動と同時に、クロスの視界が広がる。微細な動き、風の流れ、毛並みのうねり、すべてが脳に情報として流れ込む。
その中で、一本目の剣を振る。
「うおおおっ!」
シアンの槍が先陣を切り、次の瞬間、クロスの氷が唸る。
「穿て、凍てつく槍――《アイススパイク》」
地面から伸び上がる氷の槍が、走ってきたブラッドファングの脚を貫き、動きを止める。
そこへシアンの横槍、クロスの斬撃が畳みかけられる。
「っ……!多いな……!」
「まだだ、押し返せる!」
シーファの矢が次々と敵の喉や目を射抜く。
だが、ブラッドファングも連携しており、三体が横から一気にシアンを襲う。
「くっ――ッ」
シアンの槍が二体を退けるが、最後の一体が牙を剥いたその時•••
「凍てつく雫よ、我が敵を撃て――《フロストショット》」
飛び出した冷気の弾丸が、横合いからその頭を打ち抜いた。
「……助かった」
シアンが微かに笑い、再び前に出る。
ヘレナの治癒魔法が、クロスとシアンの傷口を次々に癒していく。
「まだいける……!私、回復任せて!」
クロスは魔力を再集中させ、次の詠唱を口にする。
「凍てつく氷よ、我が敵を穿て――《アイススパイク》」
戦場の中心に氷柱が次々と噴き出す。
ブラッドファングの動きは徐々に鈍り始め、シアンとクロスは最後の数体を挟み撃ちで仕留めていく。
時間にして三十分。
•••長く、苦しい戦いだった。
最後の一体が倒れ伏したとき、四人は肩で息をしていた。
鎧の隙間からは血が滲み、疲労が足腰を重くしている。
だが、誰も倒れてはいない。
「……全員、無事だな」
シアンが言った。
「……誰も倒れなかっただけ、十分な成果ね」
ヘレナがそう言い、手にした杖を地面に突いた。
「ふー……次があったら、あたしもう少し後ろ下がるわ……背筋が冷えた……」
シーファが腰を叩きながら苦笑した。
クロスも剣を納め、静かにうなずいた。
だが•••その時、ふとした静寂の中、誰かがぽつりと呟いた。
「……これっきりなんだよね。このメンバーでやるのは」
それは誰の言葉だったか定かではない。
けれど、その言葉が残した余韻は、どこか切なさを含んでいた。
戦いを共にした絆は確かに生まれた。
けれど、それは臨時のもの•••今この場限りのものだと、皆が理解していた。
次に顔を合わせる時、それぞれの道がどこに繋がっているかはわからない。
だが今日の勝利は、きっと誰の胸にも残り続けるだろう。
それが冒険者という生き方なのだ




