揺れる針路
ギルドの訓練所には、木剣と木斧が激しく打ち合う音が響いていた。
クロスは息を切らしながらも、目の前の巨体――バルスの動きを見据えていた。
火傷の治療を終えたばかりとは思えないほど、バルスの動きは切れ味を取り戻しつつある。
「遅いぞクロス!」
バルスの怒号と共に、木斧が横薙ぎに振るわれる。
クロスは視界領域を発動し、その動きを先読みして身を翻した。
紙一重の回避が風圧が髪をなびかせる。
(見えてる。でも•••重すぎる!)
振るわれた斧の勢いに、クロスの足がわずかに乱れる。
すかさず盾を構えたバルスが詰め寄り、クロスの懐に潜り込む。
「甘い!」
その攻撃を読んでいたクロスは、体をひねって木剣で盾を押しのける。
だが、打ち込んだ一撃はバルスの木盾に弾かれ、体勢を崩す隙を与えることは叶わなかった。
「その程度か!」
「ぐっ……!」
クロスは食い下がるが、バルスとの経験差は歴然•••それでも、数秒先の動きを読むことで、なんとか打ち合いを成立させていた。
二十数分にわたる激戦。
クロスの呼吸は限界に近づいていた。魔力強化の維持も限界が近く、身体に痺れが広がっていく。
そして次の一合•••
木剣と木斧が交差した瞬間、クロスの魔力がぷつりと切れた。
「ここまでだな」
木斧を引き、バルスはクロスの前に立ち止まった。
周囲の冒険者たちが静まり返る中、彼は満足げに頷く。
「よくやった。明日も、付き合えよ」
そう言い残し、訓練所から出ていくバルス。その背中を見送りながら、クロスは息を整え、訓練所を後にした。
翌日、ラグスティアのギルド応接室には、久方ぶりに戻ってきた面々が一堂に会していた。
グレイス、グラハム、フロレア、セリナの4級。
セイランからのアーヴィン、オリヴァー、ナリア、リサナ。
そしてライオネル率いる5級、シリル率いる6級のパーティ。
さらにカレンとスレイン、そしてバルスとクロスも呼ばれていた。
ギルドマスター・ヴォルグと副ギルドマスター・ミレーナが席に座り、まずはグレイス達からの報告を促す。
「ブリザリウスのギルドに情報を伝えました。が、案の定、真面目に取り合おうとはしませんでした」
グレイスの言葉に、ヴォルグが眉をひそめる。
「……まさか、黒装束の件を軽視していたのか?」
「ええ。実際にブリザリウスが選んだ冒険者達と現地に向かったのですが、黒装束が用意したと思われる魔物と遭遇して、彼らは半壊寸前でした。普通の魔物のつもりで対処しようとして……の結果です」
「目の前で見なければ信じられなかった、というわけか」
ミレーナが深いため息をつく。そこに、フロレアが冷ややかな声を投げかけた。
「嘘でこれだけの報告はしないわよ? 少しは頭使えばいいのに」
ギルマスと副ギルマスは顔を見合わせた後、セイラン所属のアーヴィン達へ視線を向けた。
「お前達からも、今回のことをしっかり報告してくれ。ブリザリウスの対応次第では、他への対処も必要だ」
「ああ、もちろんだ。仲間を殺されたままで終わる気はない」
アーヴィンの静かな怒りに、ヴォルグも頷く。
その後、話題はクロスへと移る。
「クロス、戻ってからはどうしてた?」
「グレイスさんの指示でパーティとは仕事してません。自主訓練と……おとといからは、バルスさんと訓練所で打ち合ってます」
「そう……」
その言葉を聞いたグレイスが少し間を置いて言葉を発する。
「で、あんた。今後の目標はあるの?」
「目標、ですか?……7級になったら、セイランにいる知り合いに会いに行こうかと」
すると、グレイスは不意にギルマスに向かってこう言った。
「ギルマス。クロスはこの昇級で7級になる予定なのよね?」
「ああ。すでにその方向で……」
「なら、セイランに移籍させて、6級にあげられないかしら?」
「はあ!? 何を言ってる、そんな例は…」
「彼、8級なのに魔力コントロールによる身体強化もできるのよ。正直、7級に置いておく方が危険よ」
ギルマスもミレーナも言葉を失う。
そこにグラハムが苦笑混じりに続けた。
「しかも、バルスと打ち合えてるしな」
ミレーナがバルスに視線を向ける。
「手加減してるんじゃないの?」
「俺にそんな器用な真似ができると思ってるのか」
バルスの返答に、ギルド内が静まり返る。
「……お前さん、8級だったよな?」
アーヴィンが確認すると、グラハムが肩をすくめる。
「そうだよ。でも、グレイスが教えて身体強化できるようになったんだ」
「しかも、1ヶ月でね」
グレイスが微笑む。あまりの情報にギルマス達も呆然としていた。
その時、ずっと黙っていたカレンが目を丸くして声を上げた。
「……え、ちょっと待ってください。魔力コントロールを、たった一ヶ月で……? 本当ですか、それ」
カレンの問いに、グレイスは肩をすくめて笑った。
「本当よ。私が見てきた中でもぶっちぎりで最短記録ね。まぁ、確かに私も驚いたけど…彼は魔法も普通じゃないから」
「……私なんて、もう三ヶ月練習してるのに、全然感覚が掴めてないんですけど……」
カレンが苦笑混じりに呟くと、グレイスは少しだけ優しい口調で続けた。
「時間は人それぞれよ。焦る必要はないわ。でも、彼が異常なのは確かね」
その会話に続いて、フロレアが口を挟んだ。
「あと、これは釘を刺しておくけど…魔力コントロール、つまり身体強化はね、4級昇格に必要な技術。でも、これはギルドが“見込みあり”と判断した人間にしか教えない内容よ。だから、勝手に口にしたり、他所で話したりしないで。情報の扱い、間違えると後が怖いから」
その場にいた5級や6級の冒険者たちは、息を呑むようにして黙り込んだ。
フロレアが釘を刺し、ギルマスもようやく口を開いた。
「確かに……周囲に悪影響を及ぼす危険があるか」
だが、ミレーナが眉を寄せる。
「それでも、規律は必要よ。昇格には段階がある」
そこで、アーヴィンが提案する。
「なら、俺と立ち会わせてくれ。実力を確かめさせてくれ」
「いい案ね」
グレイスがすぐに乗った。サブマスがクロスに問いかける。
「君は、それでいいのか?」
「……どうして、そこまで?」
クロスの疑問に、グレイスは静かに語る。
「実力がありすぎると、周りが追いつけない。結果、あなただけが昇格してパーティが割れるの。『クロスがいたから上がれた』って噂されて、パーティは崩壊する」
テオやジークのことを思い出し、クロスは言葉を詰まらせた。
「あなたが一人で背負う必要はないのよ。セイランに行けば、新しい環境でまた始められるわ」
「そっちの方がトラブルも減るし、平和に生きられるわよ」
フロレアの軽い口調に、グラハムが静かに続ける。
「同ランクの中で実力がずば抜けている奴は……嫉妬される。それに耐えられるか?」
その言葉に、クロスは深く考え込んだ。
(自分は…どうすべきなのだろうか)
ラグスティアでの自分の居場所。仲間たちとの距離。これから進むべき道。
クロスの心の中で、ひとつの針が静かに揺れていた•••




