帰還と意図
朝靄に包まれるフェルナ村の広場に、ひときわ騒がしい一団が集まっていた。
グレイスを先頭に、グラハム、フロレア、セリナのラグスティアの4級組。
アーヴィン、オリヴァー、ナリア、リサナのセイラン4級組。
そしてライトネルとシリル率いるラグスティアからの応援組も揃っている。
彼らは、今朝ラグスティアへの帰還を決めていた。
そんな彼らに、まだ諦めきれない様子で詰め寄ってくる男がいた。
ブリザリウスのギルド職員、ロデルだ。
「……本当に、もう戻られるんですか?」
やつれた表情のロデルが、グレイスの前に立ちはだかる。
だがグレイスはその問いに苦笑を返した。
「ええ。先日もお話した通り、昨日までは協力させてもらいました。これ以上は、私たちも本来の任務に支障が出ますので。」
「ですが……まだこのあたりの魔物の動きは不穏です。あのダークオーガの群れのような個体が、また現れれば……!」
「それを報告するのがあんたの仕事だろうが」
口を挟んだのはアーヴィンだった。
彼は肩で風を切るようにして前に出ると、鋭い眼差しをロデルに向けた。
「俺たちはノルヴァン連邦のギルド所属じゃねぇ。そっちが出した調査隊の面倒を見る義理はない。フェルナ村の惨状が見過ごせなかったから手を貸したが、いつまでも手を貸すことは出来ない話だ」
「……ッ、しかし!」
「正式な協力要請が欲しいなら、手順を踏んでラグスティアのギルドに書類を送れ。俺たちはそれに応じる義務があるかどうか、ギルドが判断するだろうさ」
グラハムが片手を上げながら、やや面倒くさそうに言葉を繋げた。
「ま、今回はこっちも無理をしたからな。あの魔力回復薬をどれだけ飲まされたことか……」
ロデルは押し黙り、唇を噛んだ。
その横で、ブリザリウスの冒険者たちも肩を落としながら立ち尽くしていた。
昨日までの戦いで、自分たちの限界を思い知らされたのだ。
グレイスは一歩ロデルに近づき、穏やかな口調で告げる。
「貴方の判断で、私たちを止めてでも残したい気持ちはわかります。でも……それは職務を逸脱してますよ、ロデルさん。あとは本部に任せて、貴方は貴方の責任を果たしてください」
その言葉に、ロデルはようやく深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。本当に、助かりました。必ず、この状況をギルドに報告します」
グレイス達は荷をまとめ、村人たちに見送られながら村を後にした。
同じ頃、ラグスティアのギルド訓練所では、クロスが黙々と体を動かしていた。
魔力の巡りを確かめ、身体強化の制御に集中しながら、繰り返し素振りや体捌きの訓練を行っている。
「お、調子はどうだ?」
不意に背後からかけられた声に、クロスは振り返る。
そこに立っていたのは、バルスだった。
「……バルスさん? どうしてここに?」
「そりゃあ、お前にリハビリ付き合ってもらおうと思ってな」
クロスの額に汗がにじむ。彼は戸惑いながら口を開く。
「い、いえ……僕じゃ力不足ですよ。今の僕はまだ8級ですし、身体強化も未熟で……」
「その実力、俺は見てたぞ」
バルスの声は静かだが、強い意志を帯びていた。
「だから言ってんだ。今の俺にちょうどいい相手だとな」
言うが早いか、バルスは訓練用の木製斧と盾を取り出して準備を始めた。
慌てて止めようとするクロスを無視し、準備運動を終える。
「お前のあの動き、もう一度見せてみろ。俺は……あの動きをする、お前と闘りたいんだ」
クロスはバルスの本気の表情に、思わず言葉を失う。
やがて、覚悟を決めたように目を閉じ、魔力を全身に巡らせる。
「わかりました……やります」
次の瞬間、バルスが踏み込んだ。
木製斧が唸りを上げて振り抜かれる•••その動きを、クロスは目と脳の領域を広げて捉えた。
「《視界領域――ビジョン・ドメイン》!」
クロスは木剣を振るいながら、相手の動きに全神経を集中させていた。
前に立つのはバルス。
治療の副作用もようやく引いたばかりでありながら、その動きにはまるで隙がない。
(……見える。だけど……!)
《視界領域――ビジョン・ドメイン》を展開したクロスの視界は、バルスの身体の動き、重心の傾き、わずかな腕の捻りまでをも明瞭に映し出していた。
次の一手が読める•••それでも、対処は容易ではない。
「はっ!」
バルスが一歩踏み込み、腰を深く落としながら木製斧を横薙ぎに振る。
その一撃はただの訓練用の木製武器とは思えないほど重く、空気を割るような風圧が襲いかかる。
「くっ……!」
クロスは体をひねってその軌道を見極め、体捌きと木剣の柄でいなすようにして避けた。
斬られはしない。
しかし、すれすれを通る風圧だけで腕が痺れる。
(動きは見える。でも、近づけない……!)
「どうした、もう下がるか?」
バルスが軽く息を吐きながら言う。その目には焦りも、余裕もない。
ただ、試すような視線だけがある。
「いえ……まだ!」
クロスは反撃に転じる。
踏み込み、右からの突き。
続けざまに斜め上段からの斬撃。
だが、バルスはそれを予期していたかのように左腕の盾で受け、木製斧で上段からの一撃を打ち払う。
周囲で見ていた冒険者たちがざわめき出す。
「あいつ、バルスさんと打ち合ってるぞ……!」
「嘘だろ……あのバルスが手加減してないって顔だぞ」
弾かれた木剣の勢いに負けそうになりながらも、クロスは半歩下がって体勢を立て直す。
魔力で強化しているとはいえ、彼の身体強化率はまだ未熟。
バルスの斧の重さを支えるには、決して十分とは言えなかった。
(一撃が重い。攻め込んでも、受けられて、弾かれる……)
「お前、俺の動きがよく見えてるな」
不意に、バルスが声をかけた。
攻撃の手は止めないまま、木製斧を構え直す。
「……ただ、それを“倒す動き”に変えられてねぇ」
「それは……!」
再び打ち込まれる一撃。
クロスは剣で受けず、斜めに滑らせるようにして躱す。
真正面から受ければ体勢を崩されると、既に何度も思い知らされていた。
「確かに見えてる。動きも、重心も。でも……!」
クロスは背後へ回り込むようにステップを踏み、足払いを仕掛ける。
だが、バルスは軽くジャンプして避け、盾を回転の勢いのまま後方へ突き出す。
「ぐっ……!」
クロスの肩に盾が当たり、彼の体が横に吹き飛ぶ。
地面を転がるも、すぐに受け身を取り、膝立ちで構え直す。
「……はぁ、はぁ……」
「魔力の巡らせ方は悪くねぇ。だが、お前はまだ戦いだけに集中できてないって感じだな」
「……それは……!」
図星だった。
クロスは魔力制御に意識を集中するあまり、剣の技そのものがおろそかになっていた。
ヴァルザとの戦いでは無心で相手を倒す事だけを考えていたが、ここではそこまでの集中が出来ていなかった。
「本気で“倒す”気で斬れ。でなきゃ、今の俺にも届かねぇ」
「……!」
その瞬間、クロスの足が動いた。
魔力を足に集中させ、踏み込みの速度を一瞬だけ引き上げる。
「せいっ……!」
今度は真っ直ぐな突き•••バルスの死角を突くように、胴の脇へ狙いを定めた。
だが、バルスはそれすらも盾で受け止める。鋭い金属音•••いや、木と木のぶつかる音が鳴った。
「悪くない。が――」
直後、木製斧がクロスの木剣を叩き落とすように振り下ろされた。
剣は地面に弾かれ、クロスは両手を広げて後退するしかなかった。
「……ここまでだな」
息を整えながら、バルスが木斧を肩に担ぐ。
一方、クロスは膝をつき、ゼェゼェと荒い呼吸をしていた。
魔力の消費も体力の消耗も限界が近い。
「……ありがとうございました……」
「礼なんていらねぇ。俺も、これで感覚取り戻せた」
バルスは、どこか満足げに目を細めた。
「それにしても、面白ぇな。お前は、まるで未来を見てるみたいだった」
「……未来じゃなく、ただの……集中です。でも、まだそれを活かしきれていません……」
「なら、またやるか?」
クロスは顔を上げる。
バルスは真面目な顔で、それでもどこか楽しそうに問いかけていた。
「……はい。お願いします」
小さな覚悟を乗せて、クロスはそう返した。
バルスはにやりと笑う。
「明日も、よろしくな」
そう言い残し、訓練場から去っていくバルス。
騒然とする訓練所の中、クロスは居心地の悪さを感じていた。
「……また注目されてる……!」
慌てて荷物をまとめ、その場を離れる。
その夜、宿に戻ったクロスは、頭を抱えた。
(……なぜ、バルスさんは僕を指名したんだろう)
戦闘訓練というには、あまりにも“何か”を見ていたような目だった。
その真意は、今のクロスにはまだ分からない。




