燃え上がる戦場の影 ― 深淵の訪れ
夜のフェルナ村には、炎の赤と月の青が交錯していた。
木造の家々は所々で焼け落ち、黒煙が夜空に立ち上っている。
火花の散る音、泣き叫ぶ声、呻き声……戦場の余韻が、村の空気を押し潰していた。
その中心で、クロスは剣を支えに立ち上がった。
足元には、氷片と血の中に崩れ落ちた、もはや人間ではない残骸・・・ダリオの成れの果てが転がっている。
かつての顔は原形を留めず、棘と牙に覆われた頭部は半ば凍りついたまま砕け散っていた。
クロスは浅い息を繰り返しながら、視線を地に落とす。
(……あれが、ダリオ……あの姿が……)
ただの恨みを抱えた冒険者が、ここまで変わり果てる。
ヴァルザの仕業・・・そう直感で分かるが、どうやってあそこまで“人”を捻じ曲げたのかは想像もつかない。
剣を鞘に収めようとした時、視界が揺れた。
足元がふらつき、思わず片膝をつく。魔力も体力もほとんど残っていない。
それでも、立ち止まっている暇はなかった。
「……クロス!」
背後から、グレイスの声が飛ぶ。
顔を上げると、瓦礫を飛び越えながらグレイスたち五人が駆け寄ってきた。バルスの巨躯が先頭で、フロレアが後方を警戒しつつ矢を番えている。
彼らの顔には煤や血がついているが、全員立っている。
「終わったのね……」
フロレアが周囲を見渡し、安堵と疲労の入り混じった声を漏らす。
「でも……ひどいわね、この村……」
視界の先で、村人たちが泣きながら瓦礫を掘り返している。
燃え残った家からも、まだ小さな火がぱちぱちと音を立てている。
グラハムが短く息を吐き、苦い声を出した。
「壊滅は免れたか……だが、死者は多いだろうな」
バルスは頭を振り、手にした戦斧を地面に突き立てた。
「にしても……坊主、お前……よくあの怪物相手に生きてたな」
クロスは小さく頷き、肩で息をしながら答える。
「……ギリギリだった。……あれは……もう、人間じゃなかった」
その言葉に、全員が口をつぐんだ。
言葉にすることで、改めて背筋に寒気が走る。
その静寂を・・・低い声が破った。
「……なるほど。止められるとはな」
全員が即座に振り向いた。
空気が凍りつく。背筋を撫でる悪寒が、夜風よりも冷たかった。
瓦礫の影から、二つの影がゆっくりと姿を現した。
一人は、血を思わせる深紅のマントを肩に掛けた男。
赤黒い瞳が淡々と光を反射し、唇には微笑が浮かぶ――ヴァルザ。
その隣に立つのは、背の高い銀髪の男。
漆黒の長衣をまとい、指先には淡く紅い光を灯した魔導師――アグナス。
その二人が現れた瞬間、六人全員が一歩身構えた。
視線の先の空気が、明らかに“異質”だと分かる。
「アグナス……ヴァルザ……」
クロスの声が、夜の静寂を裂いた。
アグナスは表情を変えず、淡々と口を開いた。
「正直、ここまでやるとは思わなかった。
あと人間も、あの異形たちも、無駄だったか……いや、よく耐えたと言うべきか」
隣のヴァルザが、退屈そうに肩を竦める。
「だから言ったろ。あの時、あの坊主は殺しておくべきだったんだよ。余計な手間をかけさせやがって」
クロスの目が鋭く細められる。
剣の柄に自然と手が伸びた。
その動作を見たヴァルザは、あざ笑うように口角を上げる。
「おっと、そんな目をするなよ。……事実を言っただけだ」
「……ダリオに、何をした」
クロスが低い声で問う。
ヴァルザは愉快そうに喉を鳴らし、片手を広げて答える。
「あの人間か?簡単な話だ。奴は力を欲した。それだけだ。だから、くれてやったんだよ……“魔物の力”をな」
「力……?」
クロスの声が怒りで震える。
「あれは……化け物だ!」
ヴァルザは楽しげに笑った。
「化け物だろうが、力は力だ。結局、世界を動かすのはそういうものだ。お前も、そう思わないか?」
その言葉が、燃え残る夜の村に重く響いた。
その横で、アグナスが一歩前に出た。
「ヴァルザ、長話は終わりだ。……続きを、我々でやろう」
その瞬間、アグナスの指先から紅い光が爆ぜた。
次の瞬間・・・巨大な火球が生まれる。
「全員、散開ッ!」
グレイスの叫びが響き渡る。
六人は反射的に地を蹴り、それぞれの方向へ飛び退いた。
地面が爆ぜ、火花と砂煙が吹き上がる。
夜空が一瞬、昼間のように赤く染まった。
「セリナさん! 魔力回復薬を!」
クロスが叫ぶ。
セリナは即座に腰のポーチを探り、瓶を掴んでクロスに投げ渡す。
同時に、バルスたち四人にも次々と手渡した。
「全員、これを飲んで! 吐くなよ!」
バルスが苦い顔でぼやく。
「……今日だけで何本目だ。胃が死ぬ……」
「文句言う暇があったら飲み込みなさい!」
セリナが怒鳴った。
フロレアも顔をしかめ、グラハムも渋々口に含む。
クロスも瓶を受け取り、一気に流し込む。
直後、口内に鉄と苦味が広がり、吐き気が込み上げたが、セリナの冷たい声が飛ぶ。
「吐くな! 飲み込め、クロス!」
なんとか飲み下すと、体の芯が熱を帯び、空虚だった魔力が少しずつ満ちていくのを感じる。
「……これで戦える」
グレイスが剣を構え、アグナスを睨んだ。
ヴァルザはクロスの前に立ち、嘲るように微笑む。
「早く飲め。……お前とやるのは、この俺、血の剣士ヴァルザだ」
クロスは剣を抜き放ち、ヴァルザを真っ直ぐに見据えた。
「……お前だけは、絶対に許さない」
夜のフェルナ村に、再び緊張が走る。
燃える家々を背に、二つの影が、戦いの幕を開けようとしていた。




