血と影の戦場⑥
轟音を立てながら、大地を揺らす六体の巨躯。
黒い皮膚は岩のように硬質で、血のように赤い目が不気味に光る。
それは、ただ立っているだけで戦場全体を支配する威圧感を放っていた。
クロスは無意識に剣を握る手に力を込めた。
隣で双剣を構えたグレイスが、低く言い放つ。
「クロス。……あれは、あなたじゃ倒せない。その剣じゃ皮膚を裂けないわ」
「そんな。身体強化を全力で使えば……」
「…無駄よ」
グレイスの声音は鋭く、即答だった。
「ただ力を増しただけじゃ、あの皮膚は通らない。魔力を武器そのものに流し込んで、刃を強化しなきゃ。でも……」
彼女はクロスの腰の剣をちらりと見た。
「あなたの剣はミスリルじゃない。魔力を通せば、まず刃が折れる」
クロスは奥歯を噛みしめた。
つまり・・・この巨人種を倒せるのは、グレイスだけ。
「……なら、俺は?」
「囮になって。奴らの目を引き、動きを鈍らせて。……倒すのは私の役目よ」
グレイスの声は淡々としているが、その奥には緊張が滲んでいた。
クロスは一瞬だけ迷ったが、深く息を吐き、頷いた。
「分からました。……引きつけ役に徹します」
その瞬間、意識を深く沈めた。
全身を流れる魔力を制御し、感覚を一点に研ぎ澄ませる。
・・・世界が、変わる。
大地を蹴る巨体の動きが、波のように緩慢に見えた。
棍棒を振り上げる軌跡、砂粒一つの動きまでも、鮮明に認識できる。
心臓の鼓動が静まり、全てが計算可能な軌道を描く。
《視界領域》
時間が遅くなったわけではない。
ただ、クロスの五感が極限まで研ぎ澄まされ、動作が最適化される。
外から見れば、敵が自らクロスの刃へ突っ込んでいるかのように見える、異様な立ち回りだ。
「…来るわよ!」
グレイスの声と同時に、六体のダークオーガが咆哮し、突進を始めた。
クロスは一歩前へ踏み出し、足元に迫る棍棒を視界領域で読み取り、最小限の動きで躱す。
「こっちだ、化け物ども!」
敵の注意を引くため、刃を振るいダークオーガの足を斬りつける。
だが、手応えは浅い。硬質な皮膚が刃を弾き、血の一滴も流れない。
「本当に通らないのか……」
舌打ちしつつも、足を止めない。注意を引き続けるのが、今の役割だ。
その隙に、グレイスが別の一体の巨体へ踏み込んだ。
双剣の刃先には、薄い蒼光が揺れている。
魔力を通し、ミスリルが唸るように輝く。
彼女の一閃が、オーガの腹部を斬り裂き、赤黒い血が飛び散った。
咆哮が空気を震わせる。
巨躯が棍棒を振り下ろすが、グレイスは寸前で横に滑り、双剣で追撃。
その刃が幾度も閃き、ついに首筋を断ち切った。
地響きを立てて、ダークオーガの一体が崩れ落ちる。
クロスが駆け寄ると、グレイスが短く息を吐き、こちらを一瞥した。
「クロス、まだ持つ?」
「魔力は……まだあります。大丈夫です。」
「なら、もう少し頑張って」
二体目は一体よりも俊敏で、振り下ろす棍棒の速さが目で追えないほど。
クロスが間合いを取りつつ、足を斬り注意を引く。
(……斬れなくてもいい。こいつらの軌道を読む。俺が潰されなきゃ、それでいい。)
視界領域が見せるスローモーションの世界で、棍棒の起動と足運びを分析する。
その隙に、グレイスが別のダークオーガに攻撃を仕掛け、二度三度と斬り込んでいくが、攻撃を避ける余裕はなく、ほとんど力押しの攻防だ。
棍棒が地面を叩き割り、衝撃で岩片が飛び散る。
「っく……!」
飛散した石片がグレイスの腕や頬を裂き、血がにじむ。
「グレイスさん!」
クロスが呼ぶと、彼女は小さく首を振った。
「下がらないで。時間をかけるほど、こっちが消耗する」
飛び退いて治療薬を喉に流し込み、彼女は再び双剣を構えた。
その間、クロスは《フロストショット》で氷の矢を撃ち、グレイスに襲い掛かろうとしたダークオーガの視線を奪う。
「今だ!」
その声と同時に、グレイスが踏み込み、首筋に双剣を深く突き立てた。
巨体が絶叫を上げ、地面を震わせながら崩れ落ちる。
「二体……残り四体。」
グレイスが血のついた双剣を振り払う。
「クロス、まだ魔力は?」
「……まだ、なんとか」
「なら、もう一体。……あと一息よ。」
グレイスは前方で唸る四体のうち、一体を指差す。
クロスは頷き、視界領域をさらに研ぎ澄ませる。
心拍が深く静まり、世界の動きがさらに緩慢になる。
「そこっ!」
一閃。グレイスの双剣が交差し、オーガの脇腹を切り裂く。
咆哮が空気を震わせ、巨体が大きく後退した。
しかし、残る三体が即座に挟み込もうと動き出す。
クロスはその進路を塞ぐように立ち塞がり、低く叫んだ。
「させるか……!」
一歩踏み込み、ダークオーガの棍棒が迫るのを視界領域で捉え、最小限の身のこなしで横を抜ける。
その動きは、周りから見れば「オーガが勝手に空を殴った」ように見えるほど、無駄がなかった。
「クロス、今は無理をしないで! 動きを止めるだけでいい!」
グレイスが叫び、さらに攻撃を畳みかける。
双剣の光が閃き、ダークオーガの片腕を斬り裂いた。
血飛沫が闇色の地面に散り、巨体が膝をつく。
クロスがもう一体の注意を引きつけている間に、グレイスは息を吸い込み、一気に距離を詰める。
「これで……終わり!」
双剣が交差し、X字の軌跡を描いてダークオーガの首を断ち切った。
巨体が地響きを立てて崩れ落ちる。
クロスが息を吐き、剣を構えたまま周囲を見渡す。
残る三体の巨躯が唸り声を上げ、二人を取り囲もうと動く。
クロスは荒い息を吐き、膝に手をついた。
視界領域を維持するだけで、全身の魔力が急速に削られていく感覚がある。
「クロス、大丈夫?」
グレイスが駆け寄り、肩に手を置く。
「……まだ、持つ。けど……そろそろ限界が見えてきた。」
グレイスは一度だけ彼を見つめ、頷いた。
「あと三体。……でも、ここからは私たちだけじゃない。あいつらが来る。」
砂煙を蹴り、戦場の奥から四つの影が駆けてくる。
バルスの怒声、グラハムの火球、フロレアの矢、そしてセリナの補助魔法の光。
「待たせたな!」
バルスが盾を構え、クロスの前に立った。
「ここからは、全員でだ!」
グレイスが双剣を握り直し、残る二体の巨影を見据える。
クロスも剣を構え直し、荒い息を吐いた。
「……終わらせるぞ。」
六人が陣を整え、残るダークオーガとの決着はもう直ぐ。




