血と影の戦場④
クロスの視界は、依然として緩やかな世界のままだった。
残るブラッドウルフは三体。漆黒の毛並みが風を裂き、赤く光る瞳がクロスを射抜く。
(《視界領域》……また発動してる。今なら、勝てる。)
全身を巡る魔力の五つの“箱”をさらに圧縮する。
腕二つ、脚二つ、胴体一つ――その圧が骨を締め付けるように痛むが、意識は冴え渡るばかりだ。
「グルルル……!」
一体が右から跳躍し、二体目が正面、最後の一体が左から低い姿勢で突進してくる。
その軌道が、スローモーションの世界で鮮明に浮かび上がった。
・・・右は首筋、正面は腹、左は顎下。
それぞれを貫く動線が頭の中に線として現れ、自然と体が動く。
剣を右に滑らせ、首筋を裂き、体を回転させつつ正面の腹部を突き、左の顎下へ斬撃を叩き込む。
「ガァッ――!」
断末魔が重なり、血の飛沫が宙に舞う。
クロスの視界は通常の速さへと戻り、両膝が重く沈んだ。
「……終わった、か。」
剣を地面に突き立て、深く息を吐く。
五つの魔力の箱が軋むような痛みを送り、全身が鉛のように重くなった。
だが、ブラッドウルフはすべて沈黙した。
一方、数十メル先で繰り広げられる戦闘。
緑褐色の巨大な昆虫・・・デス・マンティスが、鎌のような前脚を振りかざし、グラハムとフロレアを圧迫していた。
地面は無数の切り跡でえぐれ、焦げた匂いが漂っている。
「くそっ、脚を止めないと!」
グラハムが炎の弾を撃ち出すが、マンティスの跳躍は軽やかだ。鎌が火球を弾き、甲殻が光を反射する。
「合図したら、左脚を撃つ! 止めたら、そっちで焼き切って!」
フロレアが弓を引き絞り、息を整える。
マンティスが跳びかかる瞬間・・・
「今!」
風の魔力を纏わせた矢が放たれ、左脚の関節を射抜いた。
「ギィィィ――!」
バランスを崩した巨体の動きが鈍る。その瞬間を、グラハムは逃さなかった。
「「炎の槍よ、貫け――《フレイムランス》!」」
掌に圧縮した炎の槍を解放し、一直線に放つ。
火の槍がマンティスの腹部を貫き、内部で爆ぜるように炎が広がった。
巨昆虫の体が火に包まれ、黒煙を上げて崩れ落ちる。
黒煙とともにデス・マンティスが崩れ落ち、二人は息を整えた。
グラハムがフロレアを見やり、口元を歪める。
「相変わらず、連携は取れるな。」
「そっちがちゃんと炎をコントロールしてくれたおかげよ。」
二人は短く頷き合うと、戦況を確認するため周囲を見渡した。
視線の先では・・・グレイスが六体のダークオーガを相手にし、バルスが五体のブラッドゴブリンに囲まれて必死に立ち回っていた。
「クロス!」
駆け寄ってきたのはセリナだった。彼女の額には汗が滲み、補助魔法の詠唱を繰り返した疲労が伺える。
「グレイスとバルス、もう限界が近いわ!」
クロスは視線を戦場の奥へ向けた。
そこでは、グレイスが六体のダークオーガを相手に紙一重で立ち回っている。
漆黒の巨体が振り下ろす棍棒が地面を砕き、衝撃で土煙が舞い上がっていた。
一方、バルスの周囲には血のような赤黒い肌をしたブラッドゴブリンが五体。
盾と戦斧を振り回しながら、バルスはどうにか間合いを保っているが、その動きには疲弊が滲んでいる。
「……分かった。俺はグレイスさんの援護に行く。」
クロスが即座に決断する。
「おい、勝手に決めるな!」
横からバルスの怒鳴り声が響く。ブラッドゴブリン相手に辛うじて攻撃を捌きながら、彼が叫んだ。
「こっちも五体いるんだぞ! そろそろ俺だって限界だ!押し潰される!」
その瞬間、グラハムが割って入った。
「なら、俺とフロレアでお前の援護に入る。クロスはグレイスの方がいい。」
「なんでだよ!」
「アイツの動き、さっき見ただろ?」
グラハムが顎でクロスを示す。
「ブラッドウルフ三体を一瞬で仕留めた。あの動きがもう一度出せるなら、オーガ相手でも少しは時間が稼げるはずだ。」
フロレアも弓を番えながら同意する。
「それに、グレイスが倒れたら六体のダークオーガがこっちに流れ込んでくる。あんた、ブラッドゴブリンどころじゃなくなるわよ?」
「……クソッ、分かったよ!」
バルスが歯噛みしつつも、渋々承諾する。
「その代わり、絶対にあの巨人どもを止めてこい!」
クロスは短く頷くと、セリナに向き直った。
「補助魔法、頼めますか?」
「もちろん。でも……クロス、さっきの動き、またやれるの?」
セリナの視線は、どこか不安と期待が入り混じっていた。
クロスはしばし黙し、剣を見下ろす。
《視界領域》・・・さっきの状態を再現できる保証はない。
それでも、迷っている暇はなかった。
「やれます」
そう呟き、剣を握り直す。
セリナが詠唱を始めると、青白い光がクロスの全身を包んだ。
筋肉が軽くなり、呼吸が楽になる。グラハムやフロレアにも同じ光が降り注ぐ。
グラハムが火球を手のひらに浮かべながら言う。
「俺とフロレアはこっちでブラッドゴブリンを減らす。クロス、行け」
「お願いします」
クロスは走り出した。土煙の向こうで、グレイスがダークオーガの棍棒をかわし続けている。
一瞬でも気を抜けば即死の戦場・・・その中へ、迷いなく飛び込んでいった。
一方で、残った三人はバルスの側に立った。
フロレアが矢を素早く番え、グラハムは火炎を纏った魔法陣を展開する。
「バルス、援護する。少しでも数を減らして、体勢を立て直すぞ。」
「助かる! 俺の背後は頼んだぞ!」
フロレアの矢が一体のゴブリンの肩を貫き、グラハムの火球がもう一体を爆ぜさせた。
その隙を逃さず、バルスが戦斧を振り下ろす。
緊張と殺気が渦巻く戦場の中で、決着に向け動き出す。




