血と影の戦場①
森の空気は、既に戦場のそれだった。
血と腐臭が入り混じった息苦しい匂いが漂い、暗い木立の奥から低い唸り声が響く。
クロスを含む六人は、背中合わせに陣を組んで立っていた。
周囲を取り囲むのは、赤黒い瘴気を纏う魔物たち・・・その数、三十体。
血のように赤黒い肌を持つブラッドゴブリンが五体。
小柄ながら、動きはしなやかで、刃を持った腕が月明かりを反射する。
体躯が二メートルを超え、黒曜石のような肌を持つ巨人種・・・漆黒のダークオーガが六体。
振るう棍棒の一撃は、地面を抉り、衝撃で木々を吹き飛ばすほどだ。
鋭い鎌のような腕を持つ緑褐色の巨大昆虫・・・デス・マンティスが四体。
翅を震わせて空を切るたびに、耳をつんざくような金属音が響く。
そして、漆黒の毛並みを纏い、赤い双眸を光らせる狼型魔獣・・・ブラッドウルフ十五体。
低い唸り声と共に、四方八方から囲みを狭めてきていた。
「…全員、生き残ることを最優先だ!」
双剣を構えたグレイスが、短く鋭く叫んだ。
彼女の視線の先には、六体のダークオーガ。
巨躯が一歩踏み込むたびに地面が震え、棍棒が唸りを上げて横薙ぎに迫る。
「ッ……鈍重で助かるけど、一撃でももらったら終わりね!」
グレイスは息を切らしながら、紙一重でその一撃を躱し、双剣で膝裏を狙う。
だが、刃は厚い筋肉を浅く裂くだけで、巨体を怯ませることすらできない。
棍棒が振り下ろされる。地面が爆ぜ、土煙が舞う。
グレイスはその一撃を紙一重でかわし、刃を黒い脚へ滑らせる。
「硬っ……!」
双剣が皮膚を浅く裂くだけで、オーガの巨体は怯みもしない。
次の棍棒が横薙ぎに迫り、グレイスは地を蹴って後退。額には汗が滲んでいた。
「一撃で仕留めるのは流石に無理ね……時間を稼ぐしかないか」
彼女は切り返すように双剣を振るい、ダークオーガの動きを封じることだけに専念した。
一方で、バルスは盾と戦斧を構え、五体のブラッドゴブリンの連携に押されていた。
大きな影たちは、盾を避ける角度で同時に襲いかかり、かすめた刃が肩を裂いて血が滲む。
「くそっ、ちょこまかと……!」
バルスは盾で一体を弾き飛ばし、戦斧を叩き込むが、刃は骨に届く前に止まる。
その隙を突いて、別のブラッドゴブリンが背後から迫る。
「後ろは私が見てる!」
フロレアの矢が唸りを上げ、ブラッドゴブリンに牽制をかけた。
フロレアの標的は本来、十五体のブラッドウルフだ。
ウルフたちは静かに散開し、連携して四方から飛びかかる。
「……一匹ずつ確実に減らす!」
風の魔力を纏わせた矢が放たれ、ウルフの一体が絶命する。
だが、間髪入れず別の個体が背後から迫り、牙が風の結界をかすめる。
「数が……減らない!」
その背後、グラハムは赤い魔法陣を展開し、四体のデス・マンティスと対峙していた。
鎌が風を切る音が耳を劈き、翅が生む気流が詠唱の集中を妨げる。
「燃え尽きろ――《フレイムランス》!」
炎の槍が一直線に放たれ、一体の翅を焼く。
だがマンティスは怯まず、焼け焦げた翅を広げて突進してきた。
「セリナ、支援を!」
「《フィジカルブースト》!」
セリナが詠唱し、仲間たちの身体能力を高める魔法が広がる。
さらに彼女は《プロテクション》の障壁を展開し、マンティスの鎌を逸らした。
「助かった。……こいつら、装甲が固いな」
「魔力を一点に集めて、貫くように!」
セリナが指示を飛ばし、グラハムは火力を集中させる構えを取った。
「しぶとい虫どもめ……!」
そして、クロスはその輪の中で深く息を吐いていた。
全身に魔力を巡らせ、両腕・両脚・胴の五つの“充電箱”に魔力を留めるイメージを繰り返す。
筋肉がきしむ感覚と体の重みを感じながらも、動きの切れ味を増していく。
だが・・・あのヴァルザとの死闘で得た“視界が緩やかになる感覚”は、今も訪れない。
「……今は、これで持たせるしかない」
剣を構え、飛びかかってきたブラッドウルフに踏み込み斬撃を浴びせる。
強化した脚が地を蹴り、動きが一瞬だけ鋭さを増した。
だが背後の別のウルフへの反応が遅れ、牙が肩をかすめた。
「クロス、右!」
フロレアの矢が飛び、ウルフの喉を貫く。
「助かった……!」
だが安堵する暇はない。
六人はそれぞれが別の相手に追われ、ただ“耐える”だけで精一杯だった。
グレイスはダークオーガの棍棒を紙一重で避け続け、反撃は浅い傷を与えるのみ。
バルスはゴブリンの刃で肩や脚を切られながらも、盾を軸に耐えている。
グラハムの炎はマンティスの外殻を貫けず、焦がしては逆襲を誘うだけ。
フロレアは矢でウルフを落とし続けるが、次々と包囲を狭められていく。
クロスもまた、魔力強化で一体ずつ斬り払うのがやっとで、異能の領域には至れない。
「このままじゃ……持たない!」
バルスが盾を構えたまま吠える。
「わかってる! でも一気に崩す手段がない!」
グレイスが返し、双剣でオーガの膝を斬るが、巨体は微動だにしない。
その瞬間、森を切り裂く鋭い音が響いた。
デス・マンティスの一体が、翅の音を残してフロレアの背後に迫る。
「フロレア!」
クロスが剣を構え、駆け寄って鎌を受け止める。
腕に衝撃が走り、膝が沈む。
「……ッ、重い!」
「下がれ!」
グラハムの《ファイアバースト》が炸裂し、マンティスが爆炎に吹き飛ばされた。
だがそれでも、戦況は変わらない。
空気は血と焦げた臭いで満ち、視界の端で赤い瞳がいくつも光る。
「まだ始まったばかりだ……全員、崩れるな!」
グレイスの声が森に響き、六人は再び武器を構え直した。
・・・戦いは、まだ前哨戦すら終わっていなかった。




