迫る出発の刻
朝の光がラグスティアの町並みに差し込む頃、クロスはギルドの扉を押し開けた。
「クロスさん、おはようございます」
カウンターの横にいたセラが顔を上げて微笑んだ。彼女の表情には、少しだけ気まずさと安堵が入り混じっているように見える。
「ジークさんたち、先日のこと……ちゃんと反省していました。特にジークさんは、自分が情けなかったって」
「そうか。……あいつらしいな」
クロスは頷いた後、少しだけ視線を落として言葉を続ける。
「……それで、俺なんだけど。グレイスさんたちと一緒に、ギルドの命令でコルニ村に行くことになった」
「えっ、何故!? なんでクロスさんが!?」
驚いたようにセラが一歩前に出る。だがクロスは肩を竦めて、少し曖昧な笑みを浮かべた。
「俺にもよく分からない。でも……あの黒装束の奴らが、もしかしたら俺との決着のために出てくるかもしれないって……」
「……それって、囮ってことじゃないんですか……?」
「……かもな」
短く、だが確信をもってクロスは答えた。セラは何か言いかけたが、口を閉じ、眉を寄せて彼を見つめる。
「それでも、行かなきゃいけないと思ってるんだ」
その時、扉が開き、グレイスが姿を現した。クロスはセラに向き直り、小さく笑って言った。
「……じゃあ、今日は少し予定があるからこれで」
「……はい」
セラの不安げな声を背に、クロスはグレイスの隣に並んだ。
「……いいのかい?あの子、あんたのこと本当に心配してるわよ」
グレイスが尋ねる。
「今は……時間がないですから。帰ってきたら、ちゃんと話します」
その言葉にグレイスは頷き、二人は訓練のため、町の外れに向かった。
昨日と同じように、微かな風の音だけが周囲を満たしていた。
「……今日はどこまでできるかしらね」
グレイスが腕を組みながら言った。
「できるようになりたいです。明日、出発かもしれないんで」
「その覚悟、嫌いじゃないわ」
そう言ったあと、グレイスはクロスに向き合って話した。
「さて、昨日の続き。今日も魔力コントロールによる身体強化の訓練よ」
「よろしくお願いします」
クロスは真剣な顔で頷いた。
訓練は始まったものの、魔力を「溜める」という感覚は、やはり容易には掴めなかった。
「グレイスさん、毎回思うんですけど、『溜める』って……どういうことなんですか?流すのはわかるんですけど、溜めたら流れないですよね?」
「うーん、説明が難しいのよね……。水を流して、それを一部の場所で堰き止める……みたいな。だけど、それを身体の中で魔力でやる感じって言えばいいかしら?」
「……堰き止めたら、その先に行くほど流せる魔力減りますよね?……あまりにも概念的すぎて……」
クロスは頭を掻きながら苦笑いを浮かべる。
「最初はみんな分からない。でも、考え続ければいつか分かる。焦る気持ちは分かるけど、じっくり、ね」
「……分かりました」
クロスは深く息を吐き、再び集中する。午前が過ぎ、午後も同じように訓練は続いた。しかし成果は上がらない。
(何が足りないんだ……?)
そんな時、ふと思い出す。
(……流すのが電気で、溜めるのが充電、みたいな……)
現代日本にいた時の記憶がふと思い出された。
「……それだ!」
クロスは目を開いた。
(流れる魔力を、電気みたいに考えて……『充電』する感じで、『溜める』……!)
魔力を電気のようなものと仮定して、身体の中に五つの「充電ボックス」を作るイメージを抱いた。
両腕、両脚、そして胴体。そこに魔力を流し、溜める。
10%くらい、軽く充電するイメージをする。魔力を巡らせ、5カ所に少しづつ溜めながら流すように集中する。すると、確かに身体の内側に圧がかかるような、異なる感覚があった。
「……できたかも」
クロスが呟くと、グレイスが目を見開いた。
「ほんとに……あんたって子は。もう、驚くのに慣れちゃったわよ」
呆れたように笑いながら、彼女は言った。
「じゃあ、試してみせて。軽く動いてみなさい」
クロスはグレイスの背後に回り込む動作を試みた。すると――
「うわっ……!」
思った以上の速度で身体が反応しきれず、バランスを崩して転倒する。土の上に背中を打ちつけ、恥ずかしそうに顔をしかめた。
「ふふっ、最初はみんなそうなるのよ。クロスも例外じゃなかったのが、ちょっと安心したわ」
「どうすれば制御できるんですか?」
「慣れよ」
即答だった。
「……ですよね」
日が傾き始めるころ、クロスはぽつりと尋ねた。
「……明日、出発するんですよね?」
「……それがね、ちょっと怪しいの」
グレイスの顔がわずかに曇る。
「セイランからの連絡がまだ無いの。誰を派遣するのか調整中みたいなのよ」
「その場合は?」
「こっちからは既に斥候職のいるパーティが4組出てるし、私たち4級の5人がいれば基本的には問題ない。でも……万が一のために応援要請したから、セイランから4級パーティが一組来るか、5級以下のパーティが複数来ると思ってる。もし、それでも勝てないような相手が来たら……その時はラグスティア総出でも厳しいわね」
クロスは表情を引き締めた。
「……不安には、なりますね」
「大丈夫よ。そんな事態にはならない。たぶんね」
グレイスは軽く笑い、クロスの肩を叩く。
「もし不安なら今日のうちに仲間に話しておきなさい。出発は明後日になる可能性が高いけど、あまり時間は無いわよ」
クロスは少し俯いたが、
「いえ。帰ってきてから話します。今は……目の前の事にに集中したい」
その言葉に、グレイスは穏やかな笑みを浮かべて言った。
「……強いわね、クロスは」
「いえ……ただ、やるしかないだけです」
夕日が二人の影を長く伸ばしていた。




