その力の正体
翌朝。
朝露の残るラグスティアの町を抜けて、クロスはグレイスに連れられた。
「こんなとこ……あったんですね」
森に近い、小さな岩場と枯れた木々に囲まれた開けた土地。街道からも離れ、誰にも気づかれそうにない。鳥の声さえ遠く、まるで時間が止まったような空間だった。
「昔、斥候だった子が訓練に使ってた場所。町から離れてるから大声出しても平気。今日はここで身体強化の訓練をするわ」
「なるほど……それにしても静かだなぁ……」
クロスが辺りを見回すと、グレイスは彼の隣に立ち、少し間を置いて口を開いた。
「……その前に、ひとつ確認」
「はい?」
「昨日、あの“異質な力”を使って……身体に変調はなかった?」
クロスは首を傾げ、少し考え込む。
「うーん……強いて言えば、いつもより眠気が早く来たくらいで。疲れは感じましたけど、朝には回復してました」
グレイスの眉がわずかに動いた。
「本当にそれだけ?」
「はい。痛みもないですし、倦怠感も。むしろ、今日の方がスッキリしてるくらいで」
「……ふぅん……」
(やっぱり、おかしいわね)
グレイスは内心で静かに唇を噛んだ。
彼の、“異質な力”•••彼女の感覚では魔力とは違う“何か”・・・を用いた以上、何かしらの反動があるはずだった。
なのに、彼にはほとんど影響が出ていない。
(もしかして……彼の体は異質な力を使う事が当然と言う事?)
それは信じがたいことだったが、ここまでの経緯を思えばあり得なくもないと、グレイスの警戒心は強まっていく。
「まぁ、今は気にしても仕方ないわね。今日やるのは、“魔力コントロールによる身体強化”の訓練の続きよ」
「魔力を……“留める”でしたっけ?」
「そう。全身に魔力を巡らせるのはできてるんでしょ?」
クロスは頷いた。
「はい、それはもう。最近は安定してきました」
「なら次のステップ。巡らせた魔力を“留める”の。流しっぱなしじゃなくて、一部に“圧力”をかけて止めて、それを筋力や反射神経に変換する」
クロスは少し戸惑った顔を見せる。
「……うーん、どうにもイメージが掴めません。“留める”って言っても……どういう風に……」
「感覚の話だからね。説明が難しいんだけど……そうね、川の流れを思い浮かべて」
グレイスは指で空中に一本の線を描いた。
「魔力は川のように身体中を巡る。でも、その流れの途中に“せき”を作って水を溜めると、そこには圧力がかかるでしょ?」
「溜めて……圧力をかけて……それを体に?」
「そう。それが“身体強化”。体の一部、もしくは全体に魔力を滞留させることで、その瞬間だけ能力を引き上げる」
「なるほど……でも、溜めるって……逆に流れが止まりません?」
「だからコツが必要なのよ。全体は巡らせたまま、一部だけ留めるの。“力を逃がさない”意識が大事」
クロスは唸りながら目を閉じた。
すぅ……と息を吸い込み、魔力を全身へと行き渡らせる。
(流れを……止める? 留める? ……いや、“逃がさない”……?)
だが、どうしても感覚が掴めなかった。
溜めようとすると全体の流れが鈍り、止めようとすると今度は制御が乱れる。
「……だめだ……わかんない……」
「焦らない。今日は“感覚を掴む”のが目的。できなくて当然よ」
グレイスは木の根元に腰を下ろし、汗を拭っているクロスを見つめる。
本来、巡らせるより“留める”ほうが難易度は高い。
だが、彼にはそれ以上の何かがある。あの「異質な力」。
自分たちが知る“魔力”の範囲に収まらない、別の理屈の“何か”。
(彼の存在そのものが、最初から私たちと違うのかもしれない)
そう思った時、グレイスは背筋に薄ら寒いものを感じた。
それでも彼は目の前で、額に汗を浮かべながら懸命に魔力と向き合っている。
(でも……それでも、私はこの子を信じたい。もしもこの力が、“この世界のため”に存在するものだとしたら…)
「……今日のところはここまで。無理にやると魔力が暴走するわ」
「はい……すみません。まだまだ、難しいですね……」
クロスは悔しげに笑い、肩で息をした。
「謝ることじゃない。今の時点で充分すごいわよ。巡らせるだけでも普通は何ヶ月もかかるのに」
「……でも、昨日の“あれ”が使えればって、どうしても思っちゃいます。あの、周りがスローモーションに見えた感覚……」
クロスは拳を握る。
「……あれって、僕だけなんでしょうか」
「……たぶんね」
グレイスは静かに立ち上がった。
そして、クロスの肩に手を置く。
「“魔力”は、誰にでも扱える。でも、“異質な力”は……もしかしたら、本当にお前だけのものかもしれない」
「……それって、怖い力ってことですか?」
「怖いかどうかは……お前がこれからどう使うかによるんじゃない?昨日自分で言ってたじゃない。大切な人たちを護る為に畏れながら使うって」
クロスは静かに頷いた。
そして、空を見上げながらゆっくりと言葉をこぼす。
「……はい」
クロスは深く息を吐き、空を見上げた。
遠くで鳥の声が聞こえる。
(異質な力……か)
昨日グレイスが言った言葉が頭の中で繰り返される。
あの時、自分が感じた世界の“変化”。
音も光も、空気の流れも、全てが手に取るように分かった感覚。
(あれが、偶然じゃなかったとしたら……)
クロスは静かに拳を握った。
(……やはり、魔法の力を与えられただけじゃない。この世界で“生きる”ために…俺の体も、魂も、最初から作り変えられていたのかもしれない)
その事実に、ほんの少しだけ、背筋が冷たくなる感覚を覚えた。
だが同時に、心の奥から静かな想いが湧き上がってくる。
(でも……この体で、今を生きてる。俺はこの世界で、誰かを護れるかもしれないのなら……)
たとえそれが、自分で選べなかった運命だったとしても――
クロスは、自分の足でこの世界を歩いていくことを決めていた。
「……出発まで、あと二日。焦らず、でも全力で準備しましょう」
「はい。……よろしくお願いします、グレイスさん」
「いい返事」
そして二人は、夕暮れの空を背にラグスティアの町への道を歩き出した。




