異質な力
クロスが頷くと、ヴォルグの厳しい声が執務室に響いた。
「既に5級と6級の斥候職が所属するパーティには招集をかけてある。準備が整い次第、調査に出発させる手筈だ。加えて、セイランのギルドにも応援を要請した」
彼はその場にいる全員へ順番に視線を向けて話を続けた。
「一応、黒装束たちが我々を誘き寄せて、その隙にこのラグスティアを襲う可能性もある。だからこそ、この町に一定の戦力を残す必要がある。……お前たち、五人とクロスには、セイランからの援軍が到着次第、一緒にコルニ村へ出発してもらう。それまでに準備を整えておけ」
命令と共に、会議は解散となった。
「クロス、ちょっと来なさい」
会議の場が解かれた直後、グレイスが鋭い声でクロスを呼び止めた。
彼女は迷わずギルドの談話室へと向かい、クロスも無言でそれに従う。
誰もいない静寂な部屋に入り、戸が閉まる。
「……ヴァルザとの戦い。詳しく聞かせて」
グレイスは壁際に腕を組んで立ち、鋭い視線を向ける。
クロスは静かに頷き、戦闘の一部始終を語った。
クロスは頷き、口を開いた。
序盤は打ち合えたが、徐々に押され、そして致命的な差を見せつけられたこと。
それでも、魔力を全身に巡らせる事で、何か突破口が開けると信じ、無我夢中で考え続けたこと。
そして、いよいよ終わりかと思った瞬間に世界が変わったこと・・・・・・。
「……あの時、もうダメだと思ったんです。でも、次の瞬間、ヴァルザの動きが緩やかに見えたんです。まるで、スローモーションのように。音や風の流れまで感じ取れるくらい、鮮明に」
クロスの目は真剣だった。その言葉に偽りはない。
「それが、魔力コントロールによる身体強化、ですよね?」
だが、グレイスは小さく首を横に振った。
「……いいえ。それは、違うわ」
クロスの目がわずかに揺れる。
「……え?」
「私たちが行っている身体強化は、魔力を筋肉や神経に集中させ、力や反応速度を上げるものよ。確かに戦闘能力は飛躍的に上がるけど、敵の動きが『遅く見える』なんてことは、私は経験したことがないし、聞いたこともない」
「でも、確かにあの時は……」
グレイスはクロスの言葉を最後まで聞かず、窓辺に視線を向けた。
窓の外に広がる夕暮れの空に、彼女は言葉を押し殺すように呟く。
(そんな芸当……私でもできない。いえ、今まで見た誰にもできなかった)
グレイスの記憶にある限り、そんな力を使った者はいない。
もしかすると、それは異能・・・神の加護の様な特別な力なのではないか。
「訓練所に行って今から試させて。再現できなければ……ただの偶然だったってこと。再現できるなら……それは、あなただけの力よ」
クロスは静かに頷いた。
訓練所。夕暮れの静かな広場に、二人の影が向かい合う。
ギルド職員により人払いされた場で、グレイスは木剣を手に言った。
「私も、魔力による身体強化を使う。本気で行くから、手加減はしない。いいわね?」
「……はい」
クロスは木剣を握り、全身に魔力を巡らせて構えを取る。
「少しでも甘えたら、容赦しないから」
次の瞬間、風を切る音と共に、グレイスが踏み込んだ。
(……速い!)
一撃、二撃、三撃・・・受けるだけで精一杯だった。
「どうした! その程度か!」
叱責にも似た言葉が浴びせられる。
(……何が違う? あの時、俺は何を……)
防戦一方の中で、クロスは必死に考える。
全身に魔力を巡らせても、視界は変わらない。空気も、音も、ただの現実のまま。
(俺は、ただ生きたいと……護りたいと願った……)
その時、グレイスの剣が振り下ろされた瞬間・・・
世界が、変わった。
風が、止まったようだった。
グレイスの動きが、紙芝居のように一瞬一瞬に切り取られて見える。
その中で、クロスは反射的に剣を振り抜いた。
「ッ……!」
木剣がグレイスの脇腹に浅く入る。
驚きに満ちたグレイスの目が、クロスを見つめた。
「何をしたの……?」
「わかりません。ただ、必死に考えてました。どうすれば、再び“あの感覚”に届くのかを……」
グレイスは剣を納めると、深い呼吸を一つ置いた。
「……やっぱり、それは身体強化なんかじゃない。クロス、それは“異質な力”よ」
「異質な力……」
「私たちは、魔力を操り身体を強化する。でも、知覚そのものを拡張することはできない。あなたの感覚は、まるで時を操るようなもの。……普通の人間ができるようなものじゃ無い。そう思った方がいいわ」
その言葉を受けた瞬間・・・クロスの胸にある記憶が蘇った。
(神と呼べと言った……あの存在)
かつてあの場所で、力を与えると言われた。そして、ブラッドゴブリンとの戦いの後で感じた、魔物の動きが以前よりも明確に見えるようになり、気配も鋭敏に察知できるようになった事。
(俺は、普通じゃないのか……)
理解はできない。だが・・・
(それでも……この力で、大切な人たちを守れるのなら)
クロスは静かにグレイスに向き直った。
「……この力が俺のものなら、俺はこの力を畏れながら使います。大切な人たちを護るために。何故、俺にこんな力があるのかはわかりません。でも、俺にできることがあるのなら……それが俺に力が与えられた理由だと思いたい」
グレイスは、その言葉にしばし沈黙したのち、小さく微笑んだ。
「……あんた、やっぱり面白いわね。でも、その力のことは他の人には言わない方がいいわね。あなたのランクでは余計なトラブルの元になりかねない。それと、その力がどれほどの代償を払うか分からないから、明日から魔力コントロールの身体強化の訓練はやるからね」
風が、静かに二人の間を吹き抜けた。




