限界の先
・・・何度打ち合っただろうか。
重たく湿った空気の中、クロスの荒い呼吸が音を立てる。手にした剣は汗と血でぬめり、握力が徐々に失われていくのが分かる。
視線の先では、ヴァルザが笑っていた。
「ほう……今のは、悪くなかったな」
ヴァルザが剣の切っ先をゆらりと揺らし、軽く息をついた。
「だが……やはり決定打が足りねぇな、坊主。いつまで粘る気だ?」
クロスは答えない。答える余裕などなかった。胸は焼けるように熱く、肩口には裂傷。腿には深い斬り傷、息をするたびに肋骨が軋む。体中に刻まれた傷が、じわじわと彼の動きを鈍らせていく。
「前より動きは良くなった。剣の軌道も速くなった。だが、それだけだ。足りない。絶対的に、足りないんだよ。経験も、覚悟も、命の削り方もな」
その言葉のすべてが、痛いほど正しかった。
(分かってる……俺は、まだ……)
ぐらりと視界が傾ぐ。だが、膝をついてはいけない。倒れたら、終わりだ。歯を食いしばり、クロスは剣を構え直した。
ヴァルザが少し眉をひそめる。
「……ふん。だが、面白ぇな。ここまでボロボロになっても、まだ諦めてねぇ目をしてやがる」
「諦めたら……そこで終わりだ……っ」
絞り出すように言葉を吐いた。
クロスの足元は既にふらついていた。左腕は斬られ、力が入らない。呼吸は浅く、視界は揺らいでいる。
だが、それでも、心の中にはまだ火が灯っていた。
(・・・・・・俺は、護りたい)
仲間たちを、出会った人々を。
(俺がここで負けたら、誰かが……)
魔力を全身に巡らせながら、ギュッと剣を握り直す。
「なるほどな……」
ヴァルザが静かに言った。
「そいつが、お前の強さか」
次の瞬間、ヴァルザの殺気が一気に膨れ上がった。
・・・・・・重い。
剣を構えるだけで、空気が粘つく。前兆もなく、ヴァルザの身体が弾けるように前に出た。視界が霞むほどの速さ。クロスはとっさに剣を横に払い、なんとか受け止める。
ギィン――!
金属の軋む音が耳を裂く。
だが、次の瞬間、左脇腹に焼けるような痛みが走った。
「……ッ!」
遅れて、鮮やかな痛みと共に血が噴き出す。よろめきながら、クロスは数歩後退した。
「おいおい。さっきからずっと受け一辺倒だぞ? このままじゃ、ジリ貧だ。お前、自分の傷の数、分かってるか?」
ヴァルザの声は冗談のようでいて、まるで死神の告げる死刑宣告のように重たかった。
それでも、クロスは睨み返した。
「それでも……」
「ん?」
「それでも……俺は、お前を倒さなきゃいけない」
ヴァルザの目が細められる。次の瞬間には、再び斬撃が放たれた。
クロスは、剣でなんとかそれを逸らす・・・が、反応が遅れた。傷口が開き、血が飛び散る。
(やばい……本当に、限界が……)
視界が揺れる。
・・・けれど、諦めることだけはできなかった。
(考えろ。俺には……まだ、やれることがあるはずだ……)
今、自分が折れたら、もう誰も守れない。
「……立ち上がるか。どこまで意地を張るんだ、お前は」
ヴァルザが少し苛立ったような声で言った。
「だが、そろそろ本当に終わりだ。楽にしてやるよ。安心しろ、お仲間も直ぐに送ってやる」
・・・・・・その瞬間。
クロスの中で何かが弾けた。
限界のその先。肉体が拒否していたはずの領域に、意識が踏み込んだ。
それはまだ力ではない。技術でもない。ただ・・・感覚だった。
「……まだだ」
クロスは、ゆっくりと立ち上がった。
その目は、静かに燃えていた。
「まだ終われない。ここで……終わらせない」
ヴァルザの表情が、初めて、わずかに揺れた。
(こいつ……何かが、変わった……?)
次の瞬間には、ふたたび剣が交差する。
・・・その交錯の中に、何かが芽吹こうとしていた。
それは、まだ誰にも気づかれていない。
この戦いの、ほんの刹那の揺らぎの中に。
クロスが目覚めかけている“力”の胎動が・・・確かに、そこにあった。




