身体を巡る力
……まさか、ここまでやるとは。
目の前で補助なしに魔力を流すことに成功したクロスを見て、グレイスは言葉を失っていた。
(あり得ない……。いや、あり得なくはないけど……)
ごく稀にいるのだ。理屈や段階をすっ飛ばして、感覚だけで“できてしまう”者が。
だが、クロスはそんな生まれながらの天才には見えなかった。むしろ、何度も転びながら泥臭く立ち上がるような、そんな……。
(……努力で、ここまで来たか)
クロスは、目を閉じて深く息を吐いていた。全身に微かに汗をにじませながら、ほっとしたように笑みを浮かべている。
(一度の成功では判断しない。それが訓練の基本)
グレイスは、内心を見せぬよう冷静な顔で言葉を発した。
「……でも、“一度できた”だけでは意味がない。繰り返し、安定してできるかが重要よ」
クロスの顔が引き締まる。静かに頷き、もう一度地面に膝をついた。
(そこで怖がらず、もう一度やってみせる……やっぱり、素質はある)
彼の姿勢は真っすぐで、迷いがない。その瞳には、不安よりも探求心が浮かんでいる。グレイスはそんな様子を見つめながら、自分のかつての自分を思い出していた。
(私の時はもっと時間がかかった……私は今、なんと面白い弟子を持ったんだろう)
クロスが再び目を閉じる。身体に集中し、内側に流れを探る。やがて……
「……できた」
その声には、確かな実感があった。
グレイスは小さく息を吸い、そして吐く。
「……ふむ。安定してる。第一段階は合格ね」
その言葉に、クロスの顔がほころぶ。
(甘やかすな。調子に乗らせるな。けど、今日は……少しくらい、認めてあげてもいいか)
「やった……!」
(かわいげのある反応ね)
思わず頬が緩みそうになったが、それを押し殺してグレイスは続ける。
「浮かれるのはまだ早いわ。これからが本当の訓練よ」
「これから……?」
「ええ。魔力を“流せる”ようになったからって、すぐに何かが変わるわけじゃない。“使える”ようにならなければ意味がない」
クロスは真剣に頷いた。その目は、すでに次を見ている。
(この視線……誰かを守るために戦おうとする者の目。私はこの目に、何度も裏切られ、何度も救われた)
「じゃあ、次は……何を?」
「これから毎晩、寝る前に魔力を巡らせる訓練を続けなさい。呼吸と同じ様に、身体に“流れることが当たり前”だと覚え込ませるの」
「……わかりました」
グレイスは少しだけ微笑んだ。
「次の段階では、流す魔力量を増やす必要がある。でも、それは私が戻ってきたときに判断するわ。焦らず、基礎を重ねなさい」
「はい。ありがとうございます」
その言葉に、グレイスの心の奥がじんわりと温かくなる。
(“ありがとうございます”か……。久しぶりに聞いたわね、こんな真っ直ぐな感謝)
「じゃあ、私はしばらく仕事で町を離れるわ。……気を抜かないこと」
「約束します」
クロスの声は、少しも揺れていなかった。
(この子は、きっと大きくなる。報告で聞いた――あの黒装束の者たちに抗える存在になれるかもしれない)
その期待が、彼女を突き動かしていた。
夜。宿の部屋で、クロスはベッドの端に腰を下ろしていた。目を閉じ、呼吸を整える。
(剣の稽古、魔法の詠唱、そして魔力コントロール……)
魔力は確かに流れはじめている。先程より滑らかに、深く、自然に。
(全部、必要なんだ。どれかひとつ欠けても、黒装束相手には届かない)
じんわりと、身体の奥に温かい感覚が広がっていく。それが、魔力だとクロスはもう分かっていた。
(やることは山ほどある。けど……この日々が、きっと俺を強くする)
どんな強敵にも屈しないように。
誰かを守れる剣となるために。
クロスは、目を開けた。その瞳には、確かな決意の光が宿っていた。




