揺るがぬ心
陽光が中天に差しかかる頃、ラグスティアの訓練場の片隅で、クロスは黙々と剣を振っていた。
昨日までの依頼の疲れは、まだ多少残っている。それでも、今日と明日はパーティで決めた訓練日。自らに課した修行を緩めるつもりはなかった。
剣を振るたび、空気を裂く音が小さく響く。踏み込み、止め、反転。流れるような一連の動作。だが……。
(……まだ雑だ)
クロスは振り終えた姿勢のまま、深く息を吐いた。剣の手応えは悪くない。けれど、求める理想には遠い。
(夕方にはグレイスさんの訓練がある……それまでに、集中を高めておかないと)
額の汗をぬぐい、もう一度柄を握り直す。
その後も黙々と素振りと体術の反復を重ねた。日が傾き始めた頃、彼は訓練場を後にし、いつもの場所――ギルド裏の人気のない路地へと向かった。
「今日は以前より顔が引き締まってるわね」
姿を見せたグレイスが、わずかに口元をほころばせる。
「昼は剣の訓練をしていました。身体を動かすと、魔力に向き合うときも雑念が減る気がするんです」
「いい傾向。魔力というのは身体の奥底、心の内側と繋がっているものよ。身体が乱れれば魔力も乱れる」
そう言いながら、グレイスは地面に薄布を敷いて座り、クロスにも座るよう促した。
「さて、前回は僅かながら“魔力を留める”ことができた。今日はその“留めた魔力”を、意図的に流す……それが目標よ」
クロスは目を伏せ、集中する。魔力を感じるのは、今や日常に近づきつつある。それでも、思う通りに操るのは別の話だった。
「まずは、魔力をお腹のあたりに集めて。一度、呼吸と合わせてそこに“塊”を作るつもりで」
「……はい」
目を閉じ、深く呼吸する。丹田に意識を落とし、そこに魔力がゆっくりと集まっていくのを感じた。
「留めて、静かに圧をかける。水を器に溜めるように……」
グレイスの声は優しく、だが寸分の緩みもない。
「……っ、集まってきました」
「じゃあ、そこから“背骨のライン”を通して上に流すつもりで。頭まで届かせる必要はない。肩の辺りで止めていい」
(……背骨のライン。通すイメージ……)
だが、魔力はそこから上手く動いてくれなかった。
「止まってるわね。体のラインを意識しすぎて、“流す”という感覚が抜けてる」
クロスは小さく歯を食いしばった。
(……思い通りにいかない)
その日は、何度も挑戦を繰り返したが、魔力は思ったように動かず、訓練は終了した。
「焦らないこと。明日またやりましょう。身体と心は一日では噛み合わないわ」
「……はい」
翌日、昼間。
クロスはカランに軽い打ち合いの訓練を申し出ていた。
「相変わらず、真面目だな」
槍を構えるカランは笑っていたが、攻撃は容赦ない。クロスは何度も打ち返し、距離の出入りを調整しながら食い下がった。
「……少し、斬り返しが早くなったな」
「依頼を受けて思ったんです。間合いを見誤ると、すべてが崩れるって」
「それを知るのは大事だ。焦らず一歩ずつな」
訓練を終えたクロスは昼過ぎに休息をとり、夕方、再びグレイスと合流した。
「……昨日より、心が整ってる。いいわね」
グレイスは、クロスの手にそっと自分の手を添えた。
「今日は補助を入れるわ。わたしの魔力を君の体に沿わせる。“流れ”を感じ取りなさい」
クロスは頷き、深く呼吸する。再び丹田に魔力を集め……そこから、背骨に沿って魔力を動かす。
グレイスの手から、温かな魔力の糸が流れ込んできた。
(これは……流れ……?)
その導きに従うように、自らの魔力もゆっくりと、しかし確実に肩のあたりまで昇っていった。
「……止めて」
その声で、クロスは息を整えた。
「……流れました、よね?」
「ええ。初めてにしては見事よ。これは君自身が成し得た成果。ただ、補助がなければまだ難しい。けど……」
グレイスは、ふっと笑った。
「君は確かに、“流れ”の意味を感じ取れた。それだけで、今日は十分」
クロスは、胸の奥が熱くなるのを感じた。今、自分は本当に……強くなるための道を歩んでいるのだと。
「ありがとうございます……次は、補助なしでできるようになります」
「そう。けど、忘れないで。魔力の扱いは一歩間違えれば命取り。“繊細さ”と“緻密さ”を磨くのよ」
「はい……師匠」
小さく呟いた言葉に、グレイスは目を細めるだけで、何も言わなかった。
そして、そのまま夜の帳が、静かに二人を包み込んだ。




