二つの力
剣を振るたびに、空気がわずかに震える。
午前の訓練場。クロスは木剣を構え、何度も踏み込みと振り抜きを繰り返していた。相手は昨日と同じく、親切に稽古をつけてくれる先輩冒険者のカラン。もちろん、容赦のない打ち合いの応酬だった。
「……いい構えだな、昨日より重心が安定してる……だが、まだ甘い! もう一歩、踏み込みが遅いぞ!」
「はいっ!」
汗が滴る。腕が重い。しかし、クロスの目は濁っていない。むしろその表情には確かな集中が宿っていた。
正午過ぎ、訓練を終えたクロスはギルドで軽食をとり、短い休息を挟んでから再び訓練所に戻り、素振りを行った後は瞑想をして魔力コントロールの自主訓練をしたい気持ちを落ち着けていた。
そして夕刻、訓練所の裏手にて――
「……今日も来たわね」
グレイスは昨日と変わらぬ静かな態度でそこにいた。
「もちろんです。約束ですから」
「そうね。でも、昨日話さなかった“厳しい話”をするわよ?」
クロスは頷いた。心の準備はできている。
グレイスは少しだけ表情を和らげ、ゆっくりと口を開く。
「魔力コントロールによる身体強化。これはね、早い者で3ヶ月……遅い人だと、1年以上かかるわ」
「……そんなに」
「ええ。才能も確かにあるけれど、それ以上に大切なのは“積み重ね”。中には、どれだけ訓練してもできないまま、一生を終える者もいる。だからこそ、この力は4級以上の冒険者にしかほとんど知られていないのよ」
「……でも俺は」
「そう。あなたは8級にも関わらず、既にその一歩を踏み出した。でも……だからこそ焦りは禁物よ、クロス」
グレイスは真っ直ぐに彼を見据える。
「正直、あなたが学ぶには早すぎる。だからこそ欲を出すと、魔力は逆に暴れ出す。焦って“結果”を求めると、“過程”を見失う。魔力コントロールとは、“自分自身との対話”よ」
クロスは、その言葉を胸に刻むように頷いた。
「肝に銘じます」
「よろしい」
その答えを聞いて、グレイスはゆっくりと続きを語り始める。
「魔法と魔力コントロールは、まったくの別物。魔法は外に向かって放つ力。詠唱を通して、魔力を外へと導く……いわば、“発信”の技術」
「……はい。昨日の説明で、それはわかりました」
「でも、魔力コントロールは内に向かう流れ。“受信”に近いかしらね。自分の内側を感知し、制御し、滞らせずに流すこと。だから……比重をどちらか一方に傾けると、もう一方が中途半端になるのよ」
「……なるほど」
「だからこそ、クロス――あなたは両方を磨く必要がある。剣を持ち、魔法を使い、魔力も制御できる。そんな“多面性”が、これからの強さになる」
クロスは無意識に拳を握った。
「……俺は、それがやりたいです。今まで自分の武器は剣だと思ってました。でも、魔法があるからこそ戦えた場面もある。なら、その両方を信じたい」
「……うん、いい答えね」
グレイスは微笑み、訓練の準備に取りかかる。
「今日も昨日の続き。内に流した魔力を“とどめる”感覚に慣れてちょうだい。……でも、くれぐれも無理はしないこと。あなたの中で暴れたら、ただじゃ済まないんだから」
そして、その日の訓練も、昨日の続きから始まった。
魔力の感覚を探り、自身の内側を意識し、冷たさや重さ、流れを感じ取る。
今日は新たに、“魔力の流れを止める”練習が加わった。体内を流れる魔力を途中で遮断し、逃さず留める。まるで水の流れを急にせき止めるような繊細な制御が求められた。
何度も失敗を繰り返しながらも、クロスは一歩ずつ進んでいった。
そして日が沈みかけた頃、グレイスはふと口を開いた。
「クロス、ちょっと今後の予定を聞いておきたいのだけど」
「……あ、はい。明後日、剣が完成します。それからは仕事に戻るつもりです」
「そう……なら、ちょうど良かったわ。私も明日から、一週間ほどラグスティアを離れることになってるの」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ。それに合わせて、一つだけ“厳命”を出しておくわ」
グレイスはわずかに真剣さを増した表情で言った。
「私が町にいない間、あなたは“魔力コントロールの訓練”を一切してはならない。これは絶対。理由は……もしあなたが制御に失敗したら、体の内部で魔力が暴走する。最悪、冒険者として再起不能になる危険性があるのよ」
クロスは息をのんだ。
「……わかりました」
「あなたは、扉の前に立った。でも、扉を無理にこじ開ければ、怪我をする。だからこそ、私が見ていない時には絶対にやらないで」
「……じゃあ、その間は、何をしていれば……?」
「仕事に集中しなさい。目の前の依頼に、いつも通り取り組むこと。いい? 魔力コントロールの最大の敵は“雑念”。だからこそ、心を切り替えることも大切なの」
クロスは拳を握り、しっかりとグレイスを見つめた。
「肝に銘じます。グレイスさんが帰ってくるまで、ちゃんと仕事に集中します。そして、またここで……続きを教えてください」
「ええ。そのつもり。あなたなら、きっとできると信じてるわ」
やがて、グレイスは背を向け、歩いていった。
クロスはその背中を静かに見送りながら、心の奥に、確かな“火”が灯るのを感じていた。
(……俺は今、本当に強くなろうとしているんだ)
その火を消さぬよう、今は剣を振るう日常に身を投じよう。
そして、再び――グレイスと共に、あの扉の向こうへと進むために。




