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狂淵残歌  作者: 亞沖青斗
第一章 狂縁懺火
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九話

「あの化け物は?」

「消えた」疲弊を顔に残す柏原くんがボソリと答えるその顎先は何故か、くたびれた様子の父へと向かう。

 辺りを見渡してもう一度彼へ問う。「錦山くんは?」

「錦山は昨日死んだ」

「焼かれてね。今夜見た錦山くんは、後悔からの残留思念みたいなものね。きっとあの人も同じように、苦しみから願って力を得ていたんだわ。特異性を生かして、存在感を弱めて、透明になっていった」

 当たり前のように訳のわからないことを言い添えたのは、どこか諦めた口調の空絵だった。口を開いても思うように言葉にならない私が、状況の説明を求める前に、父が歩み寄ってくる。暗い眼。こんなに老けていただろうか、と息を呑むほどに近づいて来て足を止めると、私のブローチへと指を差した。

「なのは、そのブローチには盗聴器が仕組んである。俺が仕組んだ。外国からの土産なんて嘘っぱちだよ」

 そういうことか。

「そうだ。俺は睦美の浮気を疑っていた。たぶん、半年以上も前からやっていたはずだ。なのはが予備校に通い出してから、あのガソリンスタンドに行くようになったんなら、今年の五月以降だろう」

「私、見た。さっき、お母さんが倉内と。あれは、本当にあったこと?」やっとのことで、そう声にできた。

「あれは、わたしがやったの。事件当時の出来事をなのはに知らせるために、このタイミングで真実を浮かばせたの」

 首筋を鬱陶しそうに揉み解しながら割って入ったのは空絵で、私が反応したと見るや、柏原くんへと視線を促す。

 彼は、その両手に乗せる長い刀身の腹をこちらへと向ける。蠢く大量の蛭という胆が冷えるような光景だが、彼が高く掲げた刀に、空絵がワンカップ酒を取り出して口に含み、酒霧を吹きかけたその時、蛭がさっと避けて鏡のように輝く美しい面があらわになる。目線が吸い込まれる。ひ、と小さな悲鳴を枯れた喉から掻き出し、私は意思も弱く腰を落としてしまった。

「お父さんが」

 鏡面となる刀身に、父が写っていた。目から鼻から口から真っ赤な光帯びる炎を噴き出す父の顔が。

「俺のせいだ」

 鏡の中の父がそう嘆く。

「殺してやりたいと思った。睦美を、あの倉内を。俺が夜遅くまで必死で仕事しているのに、なのはの進学のために学費を貯めているのに、なのはにあれだけ慕われているのに、あんな裏切りを知って許せるわけがない」

 激しい怒りを表すように、刀の腹に写る男は目鼻口から激しく噴火させる。もっとも、私の前に立ち尽くす実物の父は悄然としていて声色も落胆していた。

「錦山くんに、調査を依頼していたんだ。あの学園祭の日、事件があった日も」

「もしかして」

「ガレージから屋根に登って寝室の様子を録画してもらった。実際に行為をしている録画を送信してもらった。怒りが爆発した。若い男を何度も繰り返して連れ込んであんなこと……俺があいつらを燃やしたんだってあとで錦山くんに伝えたよ。どんどん膨れ上がっていく俺の怒りと一緒に、念力で人を燃やせるようになったことをな」

「そんなの錦山くんが信じたの?」

「信じたよ。何故なら錦山くんは、なのはのことが好きだった。それを末成くんに先を越されたから、俺と同じような気持ちになったはずだ。だから、俺に動画を送信したことを後悔していた。母を失って、なのはが苦悩している様を見たらそれはそうだろう。けど、真相も知っている。勉強会で丁重に接客する良い母親づらする睦美も、あんな常識や倫理観から外れた下品な裏切り行為に走り狂う睦美も」

 下品な行為。不意に頭へ過ぎる。夏休み前の勉強会で六人全員が揃った日の終わり、冷蔵庫へ向かいながら喉を鳴らす上品さを忘れたあの母の顔──本当に美味しそう、早く食べちゃおうっと──直前まで、話題に乗っていたのは柏原くんだった。

「柏原くんは、お母さんから何か、言われなかった?」

 彼は平然とこう言ってのけた。

「服を買ってあげたいから娘に内緒にして一人で家に来て欲しい、って言われたことがある。断ったけどな。断った理由はなんか、中島には言いにくいけど」

 柏原くんの冷えた目付きは、私に向けられていた。

「良い人の皮を被ってるように感じたから」

 ばちん、と頭の中で何かが弾けた。あとで振り返るとそれはこの時に限り、寸前で食い止まっていた理性だった。

「待て! なのは!」

 黙って聞いていた末成くんの制止を振り切り、家の中へと土足のまま駆け上がって和室まで到達する。目の前の仏壇には母の遺影が、この後に及んで飾られていた。

「この恥知らずのっ、クソアマが!」

 喉奥から怒声を枯らしてそう叫んでいた。左胸のブローチを毛糸の目に爪ごと突き立て掴み、トップスからぶちぶち引きちぎりながら無理矢理剥がしてかなぐり捨てる。

「ざけんな! 汚らしい手で、私の髪の毛に触れやがって! 死に間際に、私の名前を呼ぶな売女が!」

 怒り任せに仏壇を引き倒し、何度も踏みつけ唾棄する。

「実の娘に付き合わせて、柏原くんを味見しようとしてたのかこの淫乱ババア!」

 遺影を掴んで床に叩きつける。割れたガラス表面を踵で踏んで粉々に潰す。

「死ね! 死んで当然なんだよ! 燃えてなくなれ! この記憶からなくなれ! どうしてこんな、こんなこんなこんなっ! お父さんがいるのに、私がいるのに、どうしてどうして」

 他の男なんかに目移りを。ハッとなって振り返ると、そこには末成くんが呆然と立ち竦んでいた。

「なのは」

「私は違う。あんな汚れた、良い母親の皮を被った、悪魔みたいな、貪欲な雌豚とは違う。違うの違うんだから、何よその目は、私は違うって」

 割れたガラスが手の平に突き刺さそろうが構わず遺影を強く掴み、正気も忘れて末成くんに投げつけていた。

「言ってんだろうが!」

 胸に軽く当たり、けれど彼は苦痛に顔を歪めて後退っていく。

 末成くんは立ち去った。丸めた背を向ける直前の顔も、私はわざと垂らした髪の毛に隠して見ようともしなかった。

 入れ替わりに父と柏原くんが、のそりのそりと近づいてくる。

「ホテル街での焼死事件とか、灰塵になったいろんな人たちも、あれもこれもお父さんがやったの? 無関係の人たちも」

「密会して浮気してる連中の思念を見つけれるようになった。だから、遠くから力を使って燃やしてやった。すかっとした。ざまあみろ、だったよ。錦山くんも俺が焼き殺した。なのはを襲ったし、真相を知っていたからな」

 改めて罪を告白する父は、わたしの知らない顔をしていた。

「中島、信じられないだろうけど」次に言う柏原くんは袴しか着用していなくて、裸の上半身には、ところどころ蛭が張り付く。「こんなことは一度や二度じゃない。もっと前から僕の周りで起こってる。中島も、末成や唐笠や小波、錦山とも来ただろう。僕の祖父が住む港町であった七月三十日の花火大会」

 確かに行った。柏原くんが勉強会から脱退し、末成くんから気持ちを伝えられた夏祭り。何の疑いもなしに誘われるがまま赴いた。

「覚えてないかな。僕はこの狐のお面を被って、屋台でイカ焼きを売ってたんだ。小波以外は、僕だって気づかなかったらしい」

「狐のお面、いた」

 長袖ラッシュガードシャツを着て、お祭りに相応しい飛び抜けて明るい声で、イカ焼きを売っていた狐面の男性がいた。

「中島と末成が付き合えて良かった、って僕は思ったよ」

 私は下唇を噛み締めていた。決して末成くんが悪いわけではないのに、恥を押し隠したいがために憤慨してしまった。

「僕も同じだ。中島のお父さんと同じで、僕もあの街で好きな女の子を他人にとられて」失意に落ちたんだ、と聞き取れないくらい小さな声で言った。「そのせいで、いろんなことが起こってこうなった。呪いだよ」

 父は既に知っていたのか、項垂れた姿勢で微動だにしない。

「まだ、信じられないって顔だな。わかるよ」

 手に提げる刀を、廊下側で身をひそめていた空絵に渡す柏原くん。

「やってくれ。時間が無い」

 頷いた空絵は、その場で正座する柏原くんの左肩になんと刀の切っ先を垂直に突き刺し、私が驚くのも無視して更に奥深く刀身を沈めてしまう。というのに、彼は一瞬快楽とした笑みで身震いしたのみ、よどみなく直ぐに立ち上がる。

「見たか。気持ち悪いだろう。狂ってるんだよ僕は。人外と同化してるんだ。僕しかできないんだ。だから、小波が常に隣で備えている。逆でもあるけど。蛭は僕の呪いだ。中島のお父さんにもついていた。それが伝染した証拠」

「だけど、もう終わり」空絵が継ぐ。「なのはのお父さんは、思い果たした。呪い殺されて奇形化したあの化物も、なのはのお父さんが、真実を鳴沼に写したから消滅したの。派生した程度の呪いは、起因を潰せば消える。だから、なのは」

「私はもうこの家から出ていく」

 眼前の父が震えた。

「卒業証書だけ受け取りに戻ってくる。でも、もうお父さんの世話にはならない。受験もしない。大学にもいかない。ここを離れて別の土地で働く。この家で、隠れて男を連れ込んでいた不貞女を思い出したくないし、自分で正面切って追及せずに他人の手を使ったり呪い殺したりした卑怯なお父さんともいたくない。もう二度と戻らないから。お父さん、せめてこれだけは言わせて」

 父は泣いていた。拳を固めて。きっと、裏切られても最後まで母を愛していたから、責めることもできず、別れを告げることもできず、怒りに燃え上がり、恨んで呪った。けれど、私は何も感じなかった。ブローチを強引に引き剥がしたニットトップス左胸部分には、焼け焦げた穴が開いていた。

「今までありがとう。仮にお父さんが自殺しても、私は悲しまない」

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