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狂淵残歌  作者: 亞沖青斗
第一章 狂縁懺火
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八話

 六人揃っている勉強会の時でも、学校での集団生活でも、存在感が薄い錦山恵斗。珍しく口を開けばインテリぶった口調で知識を披露し自分だけひとしきり喋って満足していた。勉強会の最中も色眼鏡で私を盗み見していた錦山くんは、末成くんを宿敵と定めて恨みがましい視線を度々送っていた。その彼が突然目の前から消えた。

「こんなことになるなんて思ってなかった」

 むせび泣く一言と、立っていたその場所に灰の山を残して。そうしている間も、私の名を呼ぶ炎の化け物がにじり寄る。動けない。

「なのはゆるして」

 倉内の胸に埋めていた母の首から上が動く。ぐりん、と背中側へと回転して口を半開きにしただらしない頬笑みだった。

「なのは!」怒鳴るような呼び声が割って入る。

「末成くん」

 濃霧をかき分け現れた末成くんは、乗っていた自転車から飛び降りると勢いそのまま、目の前まで迫っていた化け物に車体をぶつけた。腕を引っ張られて家の方へと駆け出す。

「胸に何かついてる」

 言われるがまま視線を落とすと、赤色のブローチの周りには複数の蛭がてらてらとこびりついていた。声も出ず手で必死に払う。涙で霞む。

 シャン、と鈴の音がひとたび鳴いた。

 思うように力が入らない膝で必死に玄関扉まで辿り着いたところで振り向くと、末成くんの自転車が火に覆われて瞬く間に形を失い溶け落ちてしまうところだった。

 シャン、とまた響いた。悪意を感じるうっそりとした重苦しい霧がブルッと震えた気がした。

 シャンシャンシャン、と続けてこの奇怪な空間を刻む、たとえるなら清冽なその音は徐々に徐々に大きくなり、凍りつく私と末成くんへ接近を知らせた。

 次には目を疑う光景が繰り広げられる。

 門を抜けて庭まで迫っていた炎の化け物の背後から現れたのは、学園祭でも見た巫女姿の小波空絵、そして背後から付き従う人物こそは袴着の柏原幸秀だった。

 どこかで見覚えのある狐の木彫りお面を、頭上からずらして被る。

 鈴を提げる金色装飾の扇子が閃き、持つ手の空絵が朱に染めた唇から霧を吹きかけより鮮やかな弧を描く。一挙諸動作が美しく、思わず釘付けになってしまうほどで、けれども「あっ」と驚嘆した末成くんが指差し示した柏原くんの様子を目にして、私は呼吸も忘れてしまう。おもむろな動作で、柏原くんが左肩を白色の着物から抜き出した。

「宝刀、鳴沼登喜与里(なきぬまときより)

 空絵が凛然と言い放つや否や、次の瞬間には屈み込む柏原くんの左肩口から、血肉がびっしりとへばりついた刀を引きずり出した。

 絶句して動けない。直ぐさま立ち上がった柏原くんが刀を受け取り、空絵が扇子を手に踊り出すという摩訶不思議な光景を前に動けずにいた。が、行動能力を取り戻した末成くんに引かれて家の中へと駆け込む。密度は薄くとも、屋内まで不快な匂いの霧がたちこめていた。

「なんだよあれ、やっぱりあの二人なんか知ってるんだよ。夏休み明けからずっとおかしいんだよ」

 本当は私を力付けようとして、いつもの快活な笑顔を生み出そうとしているのかもしれない。彼の顔は引きつるばかりで、絞り出す声も掠れて震えていた。

 私なんてそれどこじゃない。外から僅かに聴こえ続ける鈴の音と、時おり響く轟々とする残響と断続的に明るくなる屋外の様子に恐れ慄き、想像することも憚られた。

 胸を痛いくらい激しく叩く拍動、正常な思考を妨げる異常な血流、そんな保身ばかりが頭の中を支配していく。

「ほら、おいで」

 その時、母の声がした。家の中で、ふふふ、と笑う婉然として控えめに抑えた調子。

「こっちこっち」

 母の声が続く。

 逆に末成くんの手を引いて私は、声が聴こえる方へと廊下を突き進んだ。仏壇がある和室、その縁側に生きていた頃と同じ姿の母が庭へと向かって立っていた。

「お母さん」

 目頭がグッと熱くなった。涙が溢れた。けれど、声は私を求めていたわけでもなく、おろか感動の劇場などでもなかった。縁側から忍び込んでくる男は、ほくそ笑む倉内秀隆だった。

「ひでたかくん」

 手を引き和室へ招き入れた母は女の顔をしていた。倉内に抱き寄せられるまま激しい接吻を繰り返し、愛撫しあい、それから二人は恍惚とした表情で二階へとあがっていく。

「そんな、うそだ」

「なのは、待って。見るな、これは見ちゃダメだ」

 末成くんの制止する手を振り払って、階段を駆け上がり、そして寄り添って歩く二人の後ろ姿を追う。そこは寝室。父と母が共にしているキングサイズのベッド上に、倉内を押し倒す形で母が乗り上げる。二人の身体が激しく弾んでいた。衣服上からお互いの身体を弄り合い、粘着質な音が鳴るほど激しい接吻をいつまでも重ねて、離してはお互いの熱愛を示し合うように見つめ合いまた張り付くその様。

「うそ」

 これまでにないくらいの激流が胃からこみ上げて、その場所に食べた物を吐き出してしまう。

「そんな、お母さんが」

「なのは」

「触らないで!」

 肩に触れようとしたした末成くんを突き飛ばす。一度や二度ではないあの親密具合、丈の長いワンピースの下に男の手を誘い、衣服を剥こうとする手を喜んで受け入れる母の淫らな顔、弛緩した口元、乱れた喘ぎ声。

「ふふふ、大好きよ、本当に、狂おしいくらい。世界であなたが一番好きよ」吐息とともに母の口から洩れる。

「なのは、あれ、錦山が、窓の外に」

 末成くんに促されて顔を上げる。そこには、窓外からスマートフォンを構える錦山くんの姿があった。目を凝らさなければ外界の景色と判別できないくらい溶けこんでいた。末成くんが呆然と言う。

「あれ、あいつ、錦山が学園祭のお化け屋敷で着ていた服。透明の幽霊。鏡面反射やら拡散反射やらの仕様があるリフレクター素材のシートを隙間なく貼り付けたポンチョを着てたって、誰かがネタばらししてた」

 スッと窓外から消えた錦山くんを追って、私は夜になるといつも街を見下ろしていた窓辺に駆け寄った。中腰に身を屈めた彼は、屋根伝いにガレージの屋上へと降り立つと、手にするスマートフォンで電話しているようだった。そんな影が程なくして濃霧に塗りつぶされ、消える。

「なのは」

 背後からの末成くんに呼ばれて振り向くとそこには、もう立ってもいられないくらい驚きを絶する光景が巻き起こっていた。丈夫なベッドを軋ませていた母と倉内が同時に悲鳴をあげていた。母の断末魔となる絶叫も敢えなく、あっという間に重なる二人を真っ赤な炎で包み込み、ベッドごと燃やし尽くしてしまう。

「なのは! 逃げるぞ! なのは!」

 茫然とする私は背を押されて寝室外へと出る。出た扉外からも目を離せなかった。天井まで高く昇った火炎は、二人の行為を受け入れていたベッドごと炭化させ瓦礫に変えてしまうと、役目を終えたとかのように勢いを弱め、おまけ程度に燻るだけまで衰えてしまう。

 その直後、屋外から夜が明けたと勘違いさせるくらいの強烈な閃光が、数回連続して瞬いた。途端に家中の霧が晴れていく。寝室は何事も無かったかのように元通り。

「まぼろし?」

 覚束ない足で二階へと降りる際も、玄関から鈴の音が鳴り止んだ夜の庭へと出る際も、彼は誠実に支えてくれた。巫女姿の空絵と、刀を提げる煤だらけの柏原くんが見下ろす地面には、風に流れて霧散していく灰の塊があるだけで、あの炎を纏う化物はどこにもいなかった。

 柏原くんが持つ刀。刀身にこびりつく血や肉で赤く染まっていると思っていたけど、違った。蛭だ。大量の真っ赤な蛭に覆い尽くされているんだ。空絵と柏原くんは、そんな私を感情薄い眼の色でじっと凝視していた。その口から何を発するわけでもなく。

「なのは」

 条件反射で眼だけを動かして認める。私の名を呼んだ人は──涙に濡れる父だった。

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