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狂淵残歌  作者: 亞沖青斗
第一章 狂縁懺火
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二話

 大トリイベントが最高潮の盛り上がりを見せる、そんな頃合いを見計らったかのように屋内運動場の外壁でぼや騒ぎが発生し、残念ながら学園祭は直ちに中断された。

 実のところ夏休み明けからも、噂だけで憶測に過ぎない怪事件とやらが数件発生していて犯人も逮捕されていない現状もあり、この学園祭開催も危ぶまれていた。

 どのような状況だったか詳細は定かではないが、痴話喧嘩のすえに一方の身体に火を放っただの物騒な噂が流れたくらいだ。なお、混乱も起こらず観客は速やかに避難し、不幸中の幸いか激しいにわか雨のおかげで火元は無事に鎮火され事なきを得た。

 直後のこと、父から電話連絡が入る。衝撃で頭の中が真っ白になった時のことを、母の遺影を前にしこうしてただ竦む間でも思い出す。

 物心ついた幼少期の頃からこの歳になっても、母親譲りの美しい容姿を受け継いだと褒め称えられると、どんなに落ち込んだときだって誇らしくなり、私の心は巨大な気球のように浮き上がった。常日頃から崩すことない姿勢で凛々としていて、喋り口調は穏やかで慎み深く、娘の私からでもどこか異色に感じてしまう女性だった。年齢四十二とは思えないくらい外見は若く、長い真っ直ぐの艶めく黒髪もたおやかさを引き出す一つの要素。真似て髪型を同じにすると、母も心得てかしなやかな手つきで梳いでくれる。そんな入浴後のひとときが、年齢不相応と自覚しながらも私にとっては至福だった。

 今年六月の誕生日には、サービス精神の薄い父から溶岩のように艶々と輝くブローチがプレゼントされ、喜び満ちた母はいつも胸元に飾り着けていた。戦火を覗くかのような危うさのある丸石の裏は、精緻な装飾が施された留め金具があり、死角となる箇所にまで品位を意識して造形されている。父が海外に住む友人から取り寄せたらしく、ココナッツオイルみたいな妙に甘い香りがした。占いでも使用する不思議な力があるとか、実際に古き戦場から拾われた由来ある代物らしい。

「もし戦争に行けば、俺は真っ先に死んでしまうと思う。それは、敵と鉢合わせになる前かもしれない。味方の暴発した銃の弾に当たって死ぬとか間抜けな終わりかもしれない。たぶん誰の記憶にも残らない雑魚兵士で、でもそういう人間は自分のミスもドジにも決して気づかないくらい鈍感で、だから悔いも何も感じずに逝けるんだと思う。そっちの方が伴侶にとってはある意味、幸せじゃないかな。それにわざと目立って存在をアピールしても、結局は戦果をあげられずに死ぬ。それだけじゃなくて、家族が敵に憎まれたりもする。後腐れが残るだろ」

 笑いを誘うわけでもなく聞くに耐えない、ありったけの格好をつけた錦山くんの薄っぺらな自称哲学論。もっとも、真剣に受け取った唐笠くんは癖染みた仕草で左耳裏付近を触れながら斜め角度からの返しを披露して、呆れる末成くんと私を失笑させてくれた。

「自己憐憫はいかんよ錦山。実にいかん。それによ、逆に言えば死んだあと幽霊なんて存在になって、自分の過ちを悔いたり、自分が大切にしていた人を心配するのが嫌ってことにならないか? いやそりゃまあ、そんなこと心配してたらキリがないよな。苦しくても永遠に眺めているだけ? いや、訴えるかな。俺はここで見ているってか? いやだねえ。だから、何も残さずに跡形もなくこの世から消滅した方がいいなんてのも、自己英雄的で薄気味悪いけど、死んだあとも思念を残しているなんて食べかすみたいなのも汚ならしいだけだ。まあ、喜劇にしちゃよくできてるかな。なあ、カッシーもそう思うだろう?」

 唐笠くんに同意を求められた柏原くんは、参考書から顔を上げてことなげに言った。

「飽くまで僕の個人的な意見だけど、自分を俯瞰して評したいなら、錦山はケーキ屋でアルバイトしてみたほうがいい」

「なんでケーキ屋なんだよ」

 そのくだりを聞いた錦山くんは恥を晒された怒りで顔面を真っ赤にし、唐笠くんは憐れみ深い顔を横に振り、私と末成くんは揃って吹き出したものだった。

 夏前だっただろうか。全員揃っての勉強中、世界史の話題になって漠然と目的もなく彼と論じた、そんな記憶が何故かいま黙祷する頭の中にはっきり浮かんで、そのあとお経の声と雨音によって掻き消されていった。

 なだらかな丘陵の中腹に位置する住宅街、その一角に私の自宅がある。他とさして変わらない二階建てガレージ付き一軒家は、両親が結婚後、私の出産を機に購入に踏み切った建売住宅らしい。あの六人を自宅に招いての勉強会が開かれると、その中でも一番寡黙な柏原くんは必ずアルバイト先のケーキを八人分差し入れとして持参した。父、母、私、空絵、末成くん、唐笠くん、錦山くん、と毎回種類を変えつつ愛嬌もない顔で手渡されて、なかでもスイーツ好きの母はいつも破顔して喜んでいた。

 柏原くんに対しては、特に贔屓して接する態度を改めていたくらいだ。

「ねえ、なのは、柏原くんのことどう思ってるの」

「どうしてそんなこと訊くのよ」

 ある日、みんなが帰宅したあと、食器類などの後片付けを手伝ってくれる母が、珍しく下世話な感情を忍ばせてそう言ってきたため、曖昧にも意味を悟って困惑してしまった。

「お母さん、もしかして柏原くんのこと気にいった? それで? もしかして、私との仲を勘繰ってる? いや、むしろ?」

「むしろ、あの人なら私も喜んで、なのはの彼氏に勧めるわ。というか是非ってところ。そうなったら嬉しいな」

 その時は、明言もしなかった。柏原くんのいかにも言い表し難い容姿は、不思議と万人の目を惹き付ける。中学生までは女の子のように華奢だったため「ユッキー」との愛称で呼ばれていたらしいが、成長を経てからの肉付きに骨格や身長、声質ふくめ、基柱のような佇まいというのだろうか、謎を内包しているというのだろうか、自然体で様になっているというか、成熟しているというか、不純物がないというか、高い完成度があるというか、古くからある玉鋼を再生させて精錬した真新しい刀剣のような輝きと、とにかく同年代にしては異色感が溢れる。

 漏れず、母も認めているということ。

「どうして柏原くんは、この暑いのにいつも長袖なのかしら。いつも、ケーキを頂いてるから、お返しに服でも買ってあげようかって思うんだけど」

「アルバイトの職場で、いつも冷房がガンガン効いてるから身体が冷えるんだって。でも、美術部なのに、しっかり筋肉がついてるしなやかなシルエットしてるよね」

「高校生とか大学生の男の子って、結構そんなもんよ。もしかしたら、隠れて鍛えたりしてるのかもね。アルバイトも力仕事なんでしょう」と、この時だけは上品さも忘れて欲望に喉を鳴らしながら、自分用のケーキが収まった冷蔵庫に向かう。「本当に美味しそうよね。早く食べちゃおうっと」

 目蓋を薄く開けると優しく微笑みかけてくれる母の遺影が、滲む涙の中で揺れ、それがこの父と私と読経の僧侶しかいない家族葬の全てと云えた。

 八畳ある一階の和室は、ゴールデンウィーク明けから六人伴っての勉強会で頻繁に活用していたのに、最初に柏原くんが夏休み中に脱退して、次に唐笠くんが消えて、そしてもう誰も来なくなり、果てにはこの寂寞とした様だ。私は咽ぶことを止められなかったけど、隣で正座する父は気丈にも涙を堪えていた。

「俺のせいだ」

 学園祭終わりに駆け付けた霊安室での夕方、そう悔しそうに噛み締める唇の端から漏らした父は普段から仕事も夜遅く、私のことにもあまり関与の姿勢を示さない人だった。父はこのとき、すまないすまない、と重ね重ね詫びてきた。話によると当時自宅にいた母は、近所に住む二十歳の青年に無理矢理押し入られ、強姦されながら焼身心中を強いられた。

 近隣住民の通報により、出火から間も無く消防車が駆け付け、火は直ちに消し止められたが、警察が発見したとき母は凶行に走った男と二階の寝室のベッドで折り重なるようにして──黒焦げになっていたらしい。

 あとになって父は言う。警察にも、私にも。生前の母から、ひそかに相談されていたのだと。父が仕事へ出向いている昼間に限って、ストーカーめいた怪しい男を最近になって頻繁に見かけるようになったと。私は初耳だったので愕然とした。事件当日、激しいにわか雨に見舞われたその日、目撃者は少なく、それでも近所に住む幼稚園児から誰も取り合いそうにないこんな非現実めいた証言があったという。

「屋根に灰色のお化けがいた」

 関係あるのかは定かではない。

 なお母を殺めたその男は、倉内秀隆という大学生で、うちの家から徒歩五分も足らないアパートにひとりで暮らしていたそうだ。倉内は最寄りのガソリンスタンドでアルバイトをしていたので、母に予備校へ送り迎えしてもらう際、私も何度か顔を見たことがあった。愛想の良い爽やかな好青年という印象。実態は外道。いや、悪魔。

 しかし、不思議なことに犯行にはガソリンや灯油類など使用されていなかったそうで、それなのに一瞬で二人の人間を炭化するまで燃やし尽くし、そのうえ家自体に延焼被害をほとんど与えず鎮火した状況が奇妙だと、捜査関係者はしきりに首をひねっていた。

 その証拠に今も私は、この家に住んでいる。

 唐笠くんと錦山くん以外の元受験勉強メンバーは、弔問に訪れてくれた。柏原くんに限っては、供え物としていつものケーキを持参し亡き母へと弔いの言葉をかけてくれた、その気持ちが本当に嬉しかった。

 お葬式も終わり、はや二週間が経つ十二月の一日、母がいなくなったあの日から夜な夜なこうしてまだ焦げ臭い元寝室の窓辺に、私は立つ。

 改装されて焼け跡も見た目は綺麗に修繕されたのに、父がこの部屋を寝室として使うことはもうないのだろう。気持ちは痛切に伝わる。父と母は高校からの交際で、大学も同じ、結婚するまで関係性と信頼は途切れず続き結婚を果たした。その話を父から聞かされた際には、私も清らかな青春を歩もうと決心したものだ。世俗的な風潮に流されて年頃らしい乱れた欲情に身を任せるなんて、私を育ててくれた両親、ひいては親愛なる母への裏切りである。

 父はいつまでも悲嘆に暮れているわけにはいかないと事件後の対応や、母の死後に派生するあらゆる後始末をほぼ一人で背負い、それゆえ忙殺されて疲労が全面に浮き上がっていた。ぶつけどころのない激しい憤怒は、私と同じで消えはしないだろうに、それでも仕事の関係で帰宅は夜遅くになっていた。

 二人だけの家族では広すぎる家。一日のほとんどを私は勉強のみに費やし、末成くんといるとき以外は独りで過ごしている。身に染みる。専業主婦だった母は、昼間いつも独りきりでこの家を守っていた。

 寂しくはなかったのかな。倉内の存在を知ったとき、怖くはなかったのかな。私は開けて寒気が流れ込む窓から、飽きずに街を見下ろす。眼下に広がる平坦な光の群れが無辺に広がるその中で、一つぼんやりと浮かび上がる奇妙な灯火が見えた。

 今夜もまた不審火が、更けった夜の一部を怪しく灯す。形見の赤いブローチを身に付ける、娘の私にだけ聴くことができる。

 私の名を呼ぶ母の悲鳴。

 ここ最近になって再び生まれた男女の焼死事件に関連性はあるのか、ラブホテル街の夜道で二人の炭化遺体が発見された。一昨日は近くの公園で、山積みになる大量の灰が発見された。昨夜は、信号待ちしていた二人の男女が多くの人の目の前で発火し、全身を激しい怪炎に覆い尽くされ一瞬で灰化し崩れ去ったという。奇妙な怪事件の目撃情報は、私の住む家に近づいている気がする。

 私は今夜も震えて眠れない。出所不明な目撃情報から噂が立つようになっていたからだ。炎に包まれた奇怪な化け物が、夜の街をさまよっていると。

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