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拝啓シリーズ

拝啓、先生はいかがお過ごしでしょうか。

作者: くろねこ

敬語や語句等の間違いがあるかもしれませんが、何卒ご理解のほどよろしくお願いいたします。


3月の授業最終日の昼下がり、澄み渡る晴天のもと、微分の授業が行われていた。

生徒の多くは来年度の受験に向けて勉強に勤しんでいた。

先生も分かりやすく説明しようと奮闘していた。  


授業の終わりを告げるチャイムがキンコンカーコンと、鳴り響いた。

すぐに周りの教室からは起立、礼と授業終わりの挨拶や椅子を引く音が伝播した。

そのようななか、私のクラスの数学の授業の先生だけは、チャイムの音が聞こえても問題の解説を続けた。

授業終了後5分後くらいに先生はひとこと「授業伸びてしまってごめんね、でもここの問題大事だから。覚えておいてね。」と。

いつものことだと、生徒たちは、何も気にしていないと笑って過ごした。


その後、先生は私の席のところまで来て「今日の授業どうだった?覚えていることの方が多かった?」と話しかけた。

しばらくの間、黒板を消しながら雑談に花が咲いた。

そして、先生は「このあと職員室に寄れる?」と言った。私は内心何かあるのだろうか?と疑問に思ったものの「はい。」と答えた。


職員室に向かう道中も話が途切れることはなかった。

そのなかで先生は「来年卒業だよね。確かに君を教え始めたのも一昨年の4月からだったもんね。時が経つのは早いね。」と感慨深そうに話した。


職員室の先生の席の辺りに着くと、お菓子屋さんの袋が置いてあり、「はい、これ。」とお菓子を渡された。

そして、先生は「また、質問においでね。」とも笑顔で話してくれた。


学校を出ると、暖かい春の日差しがコンクリートの地面に降り注いでいた。

帰るために私の駅に向かう道中は、羽が生えたように身も心も軽くなっていた。

嬉しさで足取りが軽くなるのを感じた。


駅に着き、電車の乗ると、ふと、冷静になってみると、どうしてわざわざお菓子をくれたのだろうか?という疑問が湧いてきた。

もちろん、普段からその数学の先生とは親しくしており、数学の質問に行くたびに小さなお菓子を渡すのが恒例となっていた。

この日は、ホワイトデーでもあったし、そのお礼と考えても良さそうだとは思った。

しかし、先生がわざわざお返しを用意しておくほど、律儀な先生だっただろうか、という疑問が出てきた。

もし、先生と会えるのが、これで最後だからなのだろうかという考えが脳裏によぎった。

もうその時には、先生は別の高校へと異動されるのではないだろうか、という思考から抜け出せなくなっていた。

気づくと、私の体と心がだんだんと冷えていくのを感じた。

分かってはいたことだ。

いつかは、別れがある。

そして、きっと良き出会いもある。

その先生と出会ったように。

でも、人との別れが時には心を抉るように寂しくて悲しいことも。

理解していたことであっても頭と心は別物だ。

誰にも気づかれないように先生から頂いたお菓子の袋をそっと抱きしめて、私の腕をギュッと掴んだ。

悲しみで涙が溢れ、こぼれ落ちないように。

私は3、40分の間電車に揺られながら、立ちほうけていた。


電車は私の最寄り駅に着いた。

空はさっきまで晴天だったのが嘘のように、どんよりとした雲が広がっていた。

わずかにある雲の隙間から、空の色は刻一刻と変化していったのが見えた。

青から黄、オレンジ、赤、ピンク、紫、紺などと。

その間にも、私はあれが先生との最後の会話になってしまったのだろうかという思考に凝り固まってしまっていた。

悲しみでいっぱいの心を抉るように、もしという未確定的な考えに憂いている心を嘲るかのように、夕方の冷たい風は私の体に吹いていった。


真っ暗で人気のない家に着いた。

共働きの両親は夜遅くまで帰ってくることはなく、兄弟もおらず、改めて大きな家に1人でいる寂しさとも相まって、今まで堪えていた涙がとどまることはなく、溢れた。

私は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、先生から頂いたお菓子を食べた。

そのお菓子の味は甘じょっぱく、本来の味が分からなくなっていた。


それから、すぐに終業式が行われた。

体育館には、その先生の姿はなかった。

その先生が、卒業生の担任であったからなのだろう。

結局、その日に会うことはなかった。


春休みに入っても悲しみが心から離れることはなかった。

受験勉強に励みながら友達と遊ぶこともあったが、一時も悲しみが全く消えるということはなかった。

春休みも後半に差し掛かり、新学年、始業式まであと数日というある日に先生方の人事異動の発表があった。

そこには、その数学の先生の名と異動先の学校名があった。

先生と何気ない会話をし、数学の問題を解ける最後の日は、ホワイトデーのあの日であったのだ。

ああ、やっぱりかという納得と改めてあれが最後のお別れになったのだという再びの寂しさと後悔が私に押し寄せてきた。


新学年が始まり、新たな先生や友達との出会い、そして新たな勉強など、新しい生活に慣れるまでの多忙な1ヶ月は悲しみを誤魔化すかのようにあるいは中和させるかのようにあっという間に過ぎていった。 


時というものは瞬きする間に過ぎていくものであり、先生と最後に会話したあの日から1年弱という月日が流れた。

卒業生を送る会という毎年恒例の行事が取り行われた。

そこに、異動された先生方のビデオレターがあるのも毎年のことであった。

もちろん、その数学の先生のエールもそのなかに入っていた。

お元気そうで、変わりなさそうな先生の姿が写っていた。

その時には私の心には塩ひとつまみ分の悲しさと先生の授業などの思い出が残っていた。

私は懐かしさとご報告のために手紙を書くことにした。

拝啓

春の暖かさが感じられるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。

私はこの度第一志望の大学に合格することができました。

先生が分かりやすく懇切丁寧に教えてくださったこと感謝の念に絶えません。

いつも、先生の明るく元気で穏やかで面白いところに励まされていました。

また、先生のおかげで数学を解く楽しさを知ることができました。

本当にありがとうございました。

まだまだ寒い日が続きますが、どうぞ暖かで明るい春が訪れますように。

末筆ながらますますのご活躍をお祈り申し上げます。

                    敬具




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