普通の日常に紛れ込む、『男装女子』という異物
そして初出勤の日。
リリアンは『リアン』として男装し、出勤した。
何故『男装』かというと、ベネディクトを納得させる為だそう。
提出した身上書は女子のままだし、そんなんで納得するのかはリリアンには謎でしかないが、やれと言われたことをやるだけである。
「やあ、セラーじょ……おっと、『リアン君』だったね! 君が来てくれて嬉しいよ」
「ハミルトン先生、宜しくお願いします!」
ニコラスとは薬草採取バイトの際に面識があったので、『まず彼のところに行くように』と言われたリリアンは少しホッとしていた。
彼には話が通っているらしいことにも。
「しかし、髪まで切るとはね……別にそこまでしなくても良かったのに」
「あはは……皆さんそう仰いますが、私は満足してるんです。 切ったら洗髪と乾かすのだけでなんと30分も余裕が出来たんですよ!」
自分が気にすることじゃないにせよ、やはり心配になったリリアンは、髪も少年のように短く切った。
幸い貴族子息には中性的で整った男性も多いので、そんな感じにはなった。
だが『そこまでしなくとも』と皆の方がショックを受けていたので、あまり『男の子に見えるかどうか』は重要でもないらしい。
それでもリリアンは結果的に勉強時間が増えたので、本人が言う通り割と満足している。
「はいこれ。 ベネディクト先生に正式な許可証を貰うまでは、私の名前を出して受付で手続きしてね」
「まだ許可は得られてないんですね……」
「っていうか、知らないんだよ~。 殿下が許可を得てるかもしれないけど、先生って来る時間不定期だし」
会えていないのは事実だが、実は連絡はいつでも取れる。
ただニコラス的にはちょっとでも誰かに片付けをして貰いたいので、敢えて聞いていないのである。
研究棟を出入りする為の許可証を渡されたリリアンは、それを首から下げてニコラスの後に付き従う。
「やることは山程有るんだけど、とりあえず書類整理を頼むよ。 ベネディクト先生は記入自体は几帳面なんで、題名とナンバーを見れば分けられる。 それを紐で綴じたら、日付順にひと月毎のファイルに入れて題名と年月を記入、棚に入れる。 OK?」
「はい!」
歩きながらやることを説明される。
『これならできそう』という内容だ。
「棚順は好きにしていいけど、先生は急に必要とか言い出すから。 わかりやすくしないと探すのが大変になるんで注意してね。 ……ああ、それでもコレで大分楽になるなぁ……」
最後のボヤきは完全に独り言だったが、その意味をリリアンはすぐ知ることになる。
案内されたベネディクトの研究室。
その中にある扉のない書類保管用の小部屋……いわゆる資料室は、それはもうぐっちゃぐちゃだった。
「──」
「……これでも先生は、場所をある程度把握してるんだ。 だから『今何を仕分けてるのか』を常に意識して、仕分けていって」
「は、い……」
それは暗に『そうしないと更に酷い目に遭う』と言われているのだ──そう悟ったリリアンは、先程のように軽い気持ちで返事はできなかった。
「安心して。 多分当面コレだから、覚えることは少ないよ!」
全く安心できない。
むしろトドメなのでは。
──だが、気合いは入った。
そもそも高額バイトなのだ、楽をできるワケがないし、そのつもりもない。
(……よし! 頑張るぞ!!)
「ハミルトン先生、空き箱ってあります?」
「あ、とりあえずコレ使って。 綴じ紐とか空ファイルとか、備品は大体この棚。 無くなりそうになったら申請するんで、また教えるね」
「はい!」
量が多いのでとりあえず題名で仕分けることにしたリリアンは、題名を鉛筆でメモした紙を挟みながら空き箱へ移すというやり方で、早速仕分けに取り掛かった。
「僕は二階にある自分の研究室にいるから、なにかあったら来てね」とニコラスが掛けた声に「はい!」と元気よく答えながら。
その日も、ベネディクトは普通に出勤した。
当然、邸宅自室からの転移で。
授業を終えたリリアンが来ていることでもわかる通り、もう放課後──つまり午後も午後。現在、16時あたり。
転移出勤とか、時間が適当だとか、あまり普通じゃないけれども。
だがそれも彼にとってはいつものこと、つまり普通なのである。
しかし普通の筈の日常に、普通でないことが起こっていた。
(……あれ?)
転移陣のある仮眠室の扉を開けると、何故か研究室の入口扉が開いているのが目に入り、ベネディクトは怪訝な顔をした。
許可証と鍵という二重構造なのでよく施錠を怠るベネディクトだが、流石に開けっ放しにはしない。
資料室からガサゴソと物音がしているのに気付き、呆れた調子で「なんだ」と小さく漏らす。
多方ニコラスがなにか取りに来て、『ちょっとのつもりがなかなか見つからない』とか、そんな感じだろう。
(だとしても不用心な……全く人の部屋だと思って)
ちょっと注意しよう、とベネディクトはそちらへ足を運び、資料室を覗き込んだ。
「──ッ?!」
女 の 子 が い る 。
折角の男装も虚しく、即バレだった。
だがそれはリリアン側の問題であり、彼にとっての問題は勿論そこではない。
しかし──
(まさか…………ニコラスが女の子に?!)
ベネディクトは『何故か女の子がいる』状況に妙な解釈をした。
何故ならこの部屋に入れるのは自分の他、ニコラスと王太子のみ。
カルヴィンは『ちゃんと施錠しろ』とかうるさい方なので、彼が扉を開けっ放しにする筈がない。
故の『ニコラス』一択。
しかも彼の専門は薬学。変な薬でも作ったのでは、と考えられなくもない。
普通なら考えないが、実のところ彼は、先日カルヴィンに会った日から殆ど寝ていなかった。
大体普通だと思っていたが、そこが普通じゃなかった件。
(こ、これは大変だ……)
慌てふためいたベネディクトは、ニコラスが気を利かせて予め出しておいた空き箱に気付かず足を取られた。
──ガタガタガタッ
そして盛大に音を立てて転び、
「「……!」」
音に気付いて出てきたリリアンと、バッチリ目が合ってしまったのである。