Melt - 不気味な森
それは遠い、むかしのお話。
向かいの家のおじいさんは生まれていなくて、電気も発明されていないし、アメリカだって、まだ見つかっていなかったころのこと。
とある国の西のはずれに、海と森にはさまれた、小さな小さな村があった。
村人たちの生活はとくべつ豊かではなかったが、その日の夕食に困りはしないし、ひまを持てあますような日だってなかった。
景色はたえず綺麗だし、どこからか流れてくる素朴な音楽は人々の心を和ませた。
村にはひとつ、とても古い掟があって、村人たちは代々それを守ってきた。
村いちばんのやんちゃくれ、メルトだって、幼い頃からずっとそれを守って暮らしていた。
――神かけて、森に足踏み入るべからず
森の中へ入ると、なぜか風はない。
木々は今までに見たこともないほど太く、高く。足元には冬に積もった落ち葉が隠れるほどたくさんの、不思議な植物が生えていた。
ヘビの舌のように先がふたつに割れた葉、らせんを描いて垂れ下がるツルは薄暗がりにぼうっと浮かび上がり、紫色の雲のようなわたは地面に繋ぎとめる茎を揺さぶり、空へと飛び立とうとしている。
中でもひときわ目を引くのが、赤いキャンディーカラーの実だ。雫の形をした大小さまざまな実は背の低い木から滴るようにぶら下がっていて、近づくとほんのりと甘い香りが鼻をくすぐる。
メルトはごくりとつばをばを呑み、手を伸ばしかけたが……すぐに引っ込めた。半透明の実の中で、丸い泡が動くのを見てしまったのだ。泡はまるで意思を持っているかのように、メルトの指のほうへ集まってくる。
「なんだよ、この森。」
赤い実から離れて辺りを見回したが、やっぱりニワトリたちの姿はない。
と、その時。誰かが話す声が聞こえてきた。
メルトは大慌てで生い茂る雲のわたに身を隠し、息をひそめる。
「甘いわ。アタシたちにだって掟があるの。」
女の人の、ハスキーで低い声が聞こえる。
「確かに甘いかもしれん。しかし、わしらとて犠牲は出せんからのう。」
今度の声は、メルトもよく知っていた。まさかと思い少し腰を浮かすと、彼の視界にはやはり見知った顔が映る。
「村長さん……?」
そう、そこにはメルトが住む村の村長がいた。
しかし女の人の姿はどこにもない。メルトから顔を背けるようにして斜め上に向かって話す、村長の視線の先にあるのは木々だけだ。
「つまらないわね。」
「……今の条件では、じゃ。」
声を落として、村長は言う。すると女の人は、アタシと交渉しようなんていい度胸ね、と楽しげに笑った。
「なにをお望みなの?」
「森には魔女が住むと聞くが。」
メルトは自分の耳を疑った。
「魔女……?」
そんなのは、母が寝る前に話してくれる物語の中でしか知らない。
「魔女?」
女の人の堅く引きつった声に、村長はゆったりとした頷きで返した。
「ああ、あなたたちの間ではくだらない魔女狩りとやらが流行っているらしいわね。」
「そうじゃ。」
「魔女って、いい値段で売れるらしいわね。」
「その通りじゃ。」
「だめよ!女くらい村にいくらでもいるでしょう?好きなだけとっ捕まえて、魔女に仕立てあげてしまえばいいわ。」
女の人の怒声が降ってくる。
「そうか。ならば君たちに協力することはできんな。」
「……いいわ。さあ、もう帰ってちょうだい。」
「そうするとしよう。」
村長はそう言うと、振り返りもせずに手を軽く挙げて歩みを早める。
「あなたにお願いする必要はなくなったみたいだもの、村長さん。」
女の人が、離れていく村長の背中に向かってそう呟いた。赤い雫の果実が、ゆらゆらと揺れていた。
前回の投稿から1週間。遅筆の私としては早めの更新に驚いております。新学期マジックならぬ新規登録マジックですかね((
本投稿は、主人公のメルトが村の掟を破って森へ足を踏み入れたところから始まりました。見たことも聞いたこともないような植物は、部費と時間さえあれば作ってみたかった子たちです……!