表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/14

第八話『三人』

記録者  石崎(いしざき) (なお)



 皆、複雑な面持ちとなり声が出なくなっていた。自分達は今後の人間の種としての進化を担う仕事をしていると言う自負があった。しかし種の進化ではなく、滅亡との天秤にかけられているのだ。それは、もう以前のような気持ちで仕事が出来ない事を意味していた。

 しかし、その緊張感に耐えられない人物が現れた。


「あのぉ…お願いだから、誰か喋ってよぉ…」


 この話しの一番の張本人、問題の元凶、本人としては申し訳なさそうではあるが他人には鼻にかかった甘えるような声にしか聞こえない御名神あずみの声であった。


「はぁぁぁぁぁぁ…」


 皆思うところはあったが、あまりのお惚けさに脱力し、誰もが思わず深いため息をついたのだった。唯一人、彼女と長い付き合いの新堂は、それを沈痛な面持ちで見ていたのだった。

 とは言えそれが効を奏してか、皆の緊張がある程度和らぎ、新堂に対する質問が再び始まった。


「新堂主任、一ついいですか?」


はじめに手を挙げたのは、妙崎建であった。新堂は『意外と早く切り出してきたな』と内心ほくそえんでいたが、表情は変えずに建を促す。


「DWの崩壊が世界の崩壊につながる…って事ですけど、それを阻止する策はあるんですか?」


 建の問いはその場にいた全員が思っていたことであった。しかし、ここでこの質問を建が新堂に投げかけた事には深い意味があった。その意味に気付いているのは本人達だけで、他のメンバーにとっては至極自然な問いに聞こえていた。


『単刀直入だな…つまり、これからの話しの流れ次第では〈あっち〉につく…か』


新堂は一瞬ふ…と吹き出すと、建に向けて言い放った。


「策はある…が、これを話す前に君には選んでもらわなければならない。

君は未だ研究員だ。聞くなら〈こっち〉側の人間になってもらう事となるがいいかね?」


『やっぱりそうくるよな…』


 建は決断を迫られていた。


「真ぉ~、たっくんは未だ高校生だし、正社員じゃないし…これ以上は…」


 あずみが建を思ってか、先ほど感じた違和感がそうさせたのか、建をチームから外すよう促してきた。しかし、新堂は本人に決めさせると首を縦に振らなかった。


「わかりました。〈こっち〉で微力を尽くします。」


「ありがとう。君が我らのチームに居てくれて助かるよ。」


「いいですよ。新堂主任はともかく、他の皆さんがヘマをやらかしかねませんからね。そんな事でこの史上最高の頭脳が無に帰するのは避けたいですからね…」


 この短い会話の中に隠された言葉に皆は気付かず、建に対する非難の声が当然のようにあがったのだった。



   ☆   ★   ☆



「では具体的な話しにうつろう。」


 新堂が皆に声をかけた時、DWナビゲーションルームの自動ドアが音も無く開いた。


「う~す…」


 眠そうな、と言う表現があまりにもぴったりとしている声で挨拶してきたのは、石崎直。DW課開設当初からのスタッフの一人にして、遅刻魔人。重役…いや社長出勤すら通り越し、会長出勤かはたまた王様出勤と言った事はざらであった。それでいて新堂の幼馴染と言うのだから始末が悪い。倉本奈那美のストレスの種二号である。


「石崎さん!貴方今何時だと思っているんですか!そもそも、昨日は何をしていたんですか!昨日も出勤の予定だった筈ですよ!」


 奈那美のヒステリックな声が石崎の脳髄に直撃し、ただでさえいつも不機嫌そうな表情で美形を損ねている石崎の表情を、更に険悪なものとさせた。


「うっせ~な、新作のRPGを早解きしてたらちょっと遅くなっただけだ!

剣聖技次元反転分離攻撃を会得する条件が解りづらいのが悪いんだ!」


 言い切る石崎に皆一様に『またか…』と思い、同時に深い溜め息が漏れたのは言うまでも無い。しかし奈那美は溜め息どころか鼻息を荒くして石崎に食って掛かろうとした。


「あなたはっ…」


刹那、新堂の声で遮られる。


「〈サキ〉、出来たのか?」


 〈サキ〉と石崎を綽名で呼んだ新堂は、確認の問いをした。それに無言で手を振り、石崎は応える。よし、と一声おくと、新堂は弾かれた様に全員に指示を出し始める。


「まず、凪喪君は〈A‐0s〉の確保を急げ。手段は選ぶな。二人は真枝に任せておけ。

 妙崎君はシステムチェックだ。今後こちらでダウンロード、アップロードが可能かがポイントになる。必要なら書き換えても構わない。

 倉本君は〈房森陽洸〉、〈QZL-BMWL〉の状況確認。

 東城君は〈乙夏=モード二ス〉、〈湊七月〉の状態確認。

 サキは〈伊達甲斐造〉の状況確認。

 あずみは全員分の〈対E‐9装備〉を準備。その後休暇中の宍戸君と工藤君にE‐9発動の連絡。外部…いや内部に漏れないよう〈アナログ回線〉で行え。」


皆軽快に、しかし疑問を胸に残したまま〈はい〉と返事をし、キーボードをリズミカルニ叩き始めた。しかし、最後のあずみへの指示を聞いて皆は完全に手が止まってしまう。唯一人、サキを残して…


「E‐9装備だって?そんな特殊装備を何に使うってんだ!」


食って掛かる東城は完全に声が裏返っていた。

E‐9…つまり、EMERGENCY‐LEVEL9。敵対勢力による施設占拠を意味しているコードだ。今現在、施設占拠されているわけではない。強いて挙げるなら藤守ミサヲによるハッキングが行われ、メインコンピューター〈ミカエル〉に侵入された事から、〈E‐6〉がいいところだ。しかし何故かそれすら発動されていないのだ。現状でのこのコードの発令がされると言う事に皆は困惑するばかりであった。


「おそらく…」


 新堂は慌てふためくメンバーとは対照的に、穏やかな口調で語りだした。いや、それは正確ではない。それは驚くほどに冷静な口調だったのだ。


「このプログラムをDWにアップロードした時点で、我々はPPT社の……いや、〈セブン・ストレータル・ヘヴン〉の敵となる。〈A‐3〉シリーズが我々を抹殺しに押し寄せるだろう。」


 この時、話しはキャパシティを超え、誰もが完全に思考と動作が完全に停止した。そして語られたのだ。具体的な話しが…



   ☆   ★   ☆



 新堂は、話しをしながら過去の記憶が蘇っていくのを感じていた。

そう、全ては南極に致命的な亀裂が入った西暦二〇〇六年まで遡る。その時世界の各国、企業がこぞって亀裂の調査に乗り出していた。

その中に、現在の〈SSH(セブン・ストレータル・へヴン )〉の母体となった企業…

いや、企業と呼べるモノなど何も無かった小さな地方出版会社〈パンデモニウム(P)・プロジェクト(P)・チーム(T)〉の三人がいた。

そして彼らは亀裂の中で発見したのだ。三つの水晶球がはめ込まれた王冠を…

何故こんな所にこんな物が?

皆、不思議に思い、それを回収してきた。

当然、それを公表すれば世界的な大発見だったろうが、PPTのメンバーはそうしなかった。なぜならその中の一人が気付いてしまったからだ。その王冠には三つの意志が込められていることに…

それらの意志は三人に囁きかけてきた。


「我ヲ手ニセヨ、汝ニ光ノ軍団ヲ与エン…」


「我ヲ手ニセヨ、汝ニ天ヲ覆ス力ヲ与エン…」


「我ヲ手ニセヨ、汝ニ混沌ヲ統ベル力ヲ与エン…」


 それぞれにそれぞれの意志を伝えてきたのだ。三つの意志はそれぞれが反する意思を内在していた。しかし三人はそれらの意志にそのまま従いはしなかった。

 三人はその王冠…とりわけ、意思を伝えてきたと目される水晶球の研究を始めたのだった。研究は思いのほかあっさりと…いや、まるでそれらの水晶球が三人に自分たちの事を教えるかのように、それらが何であるかを突き止めることができた。

水晶球は、いわば棺だった…


 まず、外層は万物にそれを存在せしめているエネルギーである〈エーテル〉の結晶体で構成され、その内部には〈アストラル〉と呼ばれる思考、感情、欲望を生み出す層があった。そして更にその深層には〈イデアル〉と呼ばれる意志そのものの層があり、エーテルとアストラルを保持していた。

これらの三層により、一体何が覆い隠されているのか…水晶球はまるでモーゼの十戒を収めた聖櫃のようである印象を受けた三人は、水晶球に〈Ark(アーク)〉と名づけた。


 その後、三人がArkの中にあるものを突き止めるのにさしたる時間は要さなかった。

まるで赤子を包む産着の様に大切に包み込まれ守られていたのは、〈永久原子〉と呼ばれるものであった。


 永久原子…資料記憶装置のごとく、過去のすべての生命体験を内在しており、どんな特殊な受肉に際しても過去の自らの肉体を再生させる事ができる、固体の資質を決定付けているもの、である。

三人は、はじめそれはDNAのようなものであろうと考えていた。しかし、DNAは〈物質的な肉体〉を構成させるためのものであり、永久原子はそのDNAすら書き換える力を持っている事が解ったのだ。


 この時、三人は神への道程を見てしまった。しかし三人はまだ神への道を辿ろうとはしなかった。

三人は「光ノ軍団ヲ…」と語ったArkに〈オリジナルM〉と名づけ、「天ヲ覆ス力ヲ…」と語ったArkに〈オリジナルS〉と名づけ、「混沌ヲ統ベル力ヲ…」と語ったArkに〈オリジナルL〉と名づけ、Arkを更に研究していった。そしてそこから得られた知識や技術を応用しはじめた。メディカルテクノロジー、バイオテクノロジー、コンピューターテクノロジー等々、様々な新技術を世に出し続けていった。すべてはArkの恩恵であった。


 PPTは何時の間にか大企業となっていた。


 しかしここに至って、三人のうちの一人、〈永瀬(ながせ) (ひかる)〉がとうとう意志の実行を始めたのだ。永瀬が触れたのは…いや、彼に触れてきたのはオリジナルMだったのだ。

その時から永瀬光は暴走を始めていた。まだ本格的に接触されていなかったオリジナルL・Sを持ち出し、直轄の技術開発部三課でArkに受肉させる実験が行われていった。しかし、いずれも失敗に終わった。Arkでは何故かどのような肉体を与えても受肉がされなかった。エーテルもアストラルもイデアルも展開されず、永久原子が覆い隠されたままだったのだ。

しかし、それも二人目の研究参入で解決した。いや、別な道を見出したと言うべきか。藤守ミサヲの手によりArkのコピーが完成したのだ。コピーは〈A‐Om〉、〈A‐Os〉、〈A‐Ol〉と名づけられ、更にそれらを交配させる事で〈Advanced Ark〉…

 通称〈AA(ダブルA)〉をコアとした〈Aシリーズ〉を次々完成させていった。勿論、失敗作も膨大な量となっていったのだが…


 また、開発の過程でオリジナルMのみがデジタルデータ上で展開されることも発見したのだった。この発見により、オリジナルMを核とした次世代コンピュータの開発に成功。〈ミカエル〉と名づけられたそれは、文字通り解き放たれた。ミカエルはAシリーズで特に力をもっていた六体―ガブリエル、ラファエル、ウリエル、ラグエル、サラカエル、レミエル―を自らの〈マテリアルボディ〉に組み込み、更にそれぞれに役割を持たせていった。


 そう…


 それはまさに天界の再臨。〈七層からなる天界(セブン・ストレータル・ヘヴン)〉であった。

これを契機に、PPTはSSHと名称を変更。同時にAシリーズの公開をした。ミカエルの世界各国の核兵器へのシステムハッキングという形で…


 SSHが世界の…いや地球の運命を握り締めるのに一時間すらかからなかった。


 ここに至って、残った二人…新堂真と藤守ミサヲも永瀬の暴走を止めに入った。しかしそこで二人が知ったのは永瀬の意志が奪われていた事だった。


 二人は永瀬を救えなかった。それどころか二人はSSHの歯車の一つとして生きることを余儀なくされる。ミカエルは二人の命よりも大切な〈者〉を奪っていたのだ。DWの鍵という人質として…

二人はミカエルの望み通りDWを完成させる。しかし、彼らもそのまま黙っているわけにはいかなかった。テストプレーを必要とする事をミカエルに上申した。DW内に全てをデジタライズされ、鍵として生かされている一人の女性を救うために…


 それを知ってか知らずか…いや、知っていたのだろう。ミカエルはあっさりとその上申を受け入れた。二人が何かをしても即座に対応できるという自信から来るためか、それとも二人が何かをする事も計算のうちなのか…様々な憶測が二人を過ぎったが、もう後戻りはできなかった。後戻りをするつもりもなかった。


 二人の戦いはこの時始まったのだった。




   ☆   ★   ☆




「さっきあずみは核と口走ったが…それは手段の一つに過ぎない。

 すでにミカエルは地球上、衛星軌道上、月面、全ての軍事施設をコントロールする事が出来るからな。

 問題は、藤守女史のもつウィルス…〈FDV666〉だ。

 そいつはAシリーズの永久原子を書き換える。自己増殖、自己進化を繰り返し、AシリーズからAシリーズへと感染していき、最終的にミカエルを堕天させる。

 それが何を意味するかわかるか?

 ミカエルを始めとするAシリーズは藤守女史の手足となる。

 藤守ミサヲが神となるのだ。」


 思考停止した全員の頭に更なる衝撃が走り、気を失いかねない程の眩暈を感じさせた。

 それは彼らに限った事ではなかった。新堂自身も語りながらそれを感じていた。


『藤守ミサヲ…君は一体何処から来て何処に行こうと言うのだ…

 君は神になった後、この世界に何をもたらそうと言うのだ…

 ミカエルに統治された、人外の者に管理された社会を良しとしないのは解る。

 俺も同じ想いだ。

 …東城?

 いや、やはり弥生なんだな…』


 一瞬の眩暈から瞬時に立ち直った新堂は、皆に作業を続けるよう促し、更に話しを続ける。


「彼女による、彼女の為の世界が展開されるのだよ。

 だが、彼女はあくまで人間…

 おそらく、このままでは彼女の制御は受けないだろう。

 その問題を解決する手段は二つ。

 一つは、自らにオリジナルSを融合させ、藤守女史がS…つまりミカエルと対になる闇、サタンとなる事。

 もう一つは、自らがサタンの母となる事だ。

 しかし、前者は危険が大きすぎる。

 過去、AAの生体への融合実験で一〇〇〇人を遥かに超える犠牲を出しながら暴走に至った現実を見ても、これが行われる可能性は非常に低い。

 むしろ後者が選択されるだろう。

 藤守女史はまず、藤守まりあにサタン…いや、リンか。彼女の体内にあるA‐Osを回収させるだろう。

 A‐Osはアップロードされた時点で既にプロテクトが解除されているため、全てのデータ抽出が可能な状態にある。

 そして、A‐Osは藤守まりあの胎内に宿される。

ここで問題となったのは、藤守まりあの素体となった者、八百威咲夜の胎内に生命となる前の存在…受精卵があったことだ。」


 苦々しい表情を一瞬浮かべたため、その真剣さに皆は緊張を禁じえなかった。


『全く、俺のエイリアスながら手癖の悪い…』


 新堂自身は違っていた様だが…


「兎に角、おかげで意志を持つ前の細胞とA‐Osが融合する結果となるだろう。

 A‐Osは自分に適したマテリアルボディとするため、DNAの配列を組替えてしまう。

 今までの実験が失敗したのは素体となる肉体に永久原子が残っていたためとの説がある。

 だから、人間としての永久原子が発生する前に融合させる道を取ったのだろう。

 問題はこの後だ。

 藤守まりあの胎内にて受精卵との融合が果たされれば、藤守女史はこちらの世界に彼女のデータをA‐Os受精卵ごとダウンロードしてくるだろう。

 ダウンロード先は、藤守ミサヲの胎内に宿らせてあるだろう、オリジナルSと受精卵…

 ダウンロード後すぐにそれらは展開され、現世にサタンが生まれてくるだろう。

 全く、〈聖母(マリア)〉とはよく言ったものだ…」


 この時、東城の中に昔の記憶が黄泉返っていた。


『神詞、欲しいモノがあるんだけど…』


 心に響いたミサヲの言葉は、東城を寒くさせる。その寒さは、いつの間にか東城の歯を鳴らし、新堂に問いを投げかけていた。


「新堂…ミサヲは、何が目的なんだ?」


 しかし、新堂に答えることは出来なかった。

 言えよう筈もなかった。世界をも巻き込んだこの状況下で、新堂真と藤守ミサヲがもつ最終目的はあまりに私的過ぎた。

 新堂は東城に答えず、話しを続けた。


「しかし、生まれてくるのはミカエルと相反する者サタン。

 マリアと言うよりは、アンチ・マリア。

 さしずめ、〈リリス〉と呼ぶべきだろう。

 胎内のサタンは、自分が生まれいずるまで母たる藤守ミサヲを守るだろう。

 その為にサタンは、藤守女史自身にも自らのデータをダウンロードし、藤守ミサヲはリリスそのものとなる。

 これで、堕天したAシリーズの頂点に立つ資格が得られる。

 藤守ミサヲはこれで神となった…

 だが、これはまだ現実ではない。

 これを阻止するのが俺達の役目だ。」


 ここまで来て、ようやく藤守ミサヲの手段は全員の共通の認識となった。未だ目的は新堂の胸の内だが…


「でも、違うんでしょう?」


 声をあげたのは妙崎建であった。


「システムの書き換えは完了しましたよ。

 今のところミカエルから何もリアクションはありません。

 で…

 新堂主任はミカエルに従わないんでしょう?

 その為に、同じ力を手に入れようとしている。

 貴方はオリジナルLを展開させるつもりですね。

 恐らく、貴方のエイリアスである乙夏=モードニス自身に…」


 新堂は建の言葉にうなずき、石崎から受け取った一枚のディスクを取り出した。


「これは、A‐Olのオリジナルディスクだ。

 サキによって展開プログラムが付け加えられている。

 そのプログラムとは、妙崎君が指摘した通り、乙夏に展開させる。

 彼だけではない。湊七月、伊達甲斐造、房森陽洸、他にも多数いるが、彼らに融合させるためのモノだ」


 それを聞き、訝しげな表情を浮かべながら聞き返したのは、乙夏と七月のスキャンが済んだ東城である。


「乙夏と七月は現在、命に別状なし。自宅の方面に向かって移動している。

 で?俺達は藤守が行わない危険な道をゴリ押しするってのか?」


「いや、A‐Olのデータは人に収まる容量に分割されている。

 これは、藤守女史が選ばなかった手段を取るのではなく、第三の手段だ。

 ミカエルは自分に都合の良い肉体を無機体に求めた、機械の天使軍団。Aシリーズがそれだ。

 藤守女史は自らの肉体を差し出し、サタンを有機体として現世に新生させる。伝説に言われる悪魔が黄泉返るわけだ。

 そして我々は、人としての意志を失う事無く、A‐Ol…ルシフェルの能力を受け継ぐ者達を作り出す。」


 ここで、倉本が房森とQZLのスキャンを終わらせ報告をしてくる。当然思った疑問も口にしてきた。


「房森陽洸とQZL-BMWL、両名神代医科大学のICUにいます。未だ意識が回復していません。

…失礼を承知でお聞きします。

 新堂主任は人の意志とおっしゃいますが、藤守ミサヲは自分の意志を保持できていないんですか?」


「いや、彼女だけは自分の意志を失う事はない。永久原子に新しい情報が書き加えられはするが、全て書き換えられるわけではないからな。

 しかし、他の受肉はそうもいかない。サタンの永久原子に適した肉体が構成されてしまう。我々が〈暴走〉と呼んでいた状態になってしまう。

 人の姿をまず留めはしないだろう。

 …我々は、そうはなるわけにはいかない。

 藤守女史と同じ〈ハイブリッド〉、白でもなく黒でもない…灰色の定めにある人間の力で世界を生きていかなければならないんだ。

 その為に、ルシフェルの永久原子情報が分割され、ルシフェルの意志も介入してこない、能力のみが抽出されるArkを乙夏らの身体にダウンロードするのだ。」


 言いながら、新堂は創世記に描かれた楽園追放のエピソードを思い出していた。


『エバは最も古き蛇に唆され、知恵の実をアダムと共に食した。

 ルシフェルは人が生まれた時から、神からの自律を促してきた。

 過去に人が知恵の実を与えられ、今回はArk…生命の実が与えられた…

 尊氏と信濃に暴走は見られない…

 能力も上手く使っている。

 これもまたルシフェルの意志なのかもしれないな…』


 しかし、うつつをぬかしていられるほど現在の状況は芳しくなかった。むしろ悪化の一途を辿っている。続く凪喪憂子の報告は致命的であった。


「主任!つ、通信です。

 藤守まりあがコンタクトしてきました!」


 DWナビゲーションルームに戦慄が走る。

 皆が立ち直るよりはやくディスプレイが揺らぎ、天を仰ぎ見る藤守まりあが映し出された。一糸纏わぬその姿は、未成熟だが緩やかな曲線を描いており、肉体そのものは十代のそれであった。しかしその未完の女体に人とは思えぬほどの艶やかさを同居させ、透き通るまでに蒼い躯をしならせていた。


「見えているんでしょう?

 ふふ…この世界でのサタンの卵はここ…」


 天を仰いだその手にはA‐Osが握られていた。

 それを見た新堂は一瞬苦虫を噛み潰した表情を見せる。


『くっ…神曲達は間に合わなかったか…』


 悪戯っぽい笑みを天に向け、まりあはゆっくりとA‐Osを握った手を下腹部におろしていった。一瞬ぴくんと躯を痙攣させると同時に、天使の卵は胎内に飲み込まれ、人の卵と交わった。


「…んっ…」


 まりあに痛みは無かった。むしろチリチリとしたかすかな刺激は心地よく、まりあの肢体を脱力させ、その場に跪かせた。まりあの頬は紅潮し始め、瞳は虚ろとなっていたが、再び天を仰いでいた。


「…い、今なら私達を倒せるわよ。

 どんな英雄でも、エクスタシーを感じ…る、瞬間が最も無防備になる瞬間…なんだから…」


 しかし新堂らに行える手段が無く、まりあの行動と言質は最大限の皮肉を孕んでいた。


「…ぁんっっ…」


 一瞬の喘ぎの後、大きな波がまりあに押し寄せ、飲み込まれた。まりあ自身も自分で信じられないくらいに大きな嬌声をあげていた。

 ビクンビクンと小刻みに肢体を震わせ、まりあはうずくまっていた。その身体に異変が現れたのは間隔の広がった痙攣が消えかけたその瞬間であった。

 大きくビクンと震わせたかと思うと、その身体は大地の鎖を断ち切られ、何の支えもなく宙に浮いていた。蒼い肢体は光に包まれ、右太股の内側に刻まれた紅い痣は蛇が地を這うように全身に広がっていった。

 そして、再び地に降り立ったとき、まりあは人の身からリリスへと変貌していた。


「ふふ…」


 瞳から漏れる艶やかな光は、新堂らを挑発しているかのようであった。いや、実際そうであった。


「待っていなさい。今から〈そっち〉に行くわ…」


 言い切るやいなや、ディスプレイは再びゆらぎ、落ち着いた時には、そこにまりあの姿はなかった。

サタン降臨の儀式が第二段階に移行した瞬間であった。


ダンッッ!


 端正な顔を苦々しく歪めた新堂は、握った拳を感情のおもむくままディスプレイに叩きつけていた。

おそらく、あずみと石崎以外ははじめて見ただろう、新堂の感情的なその姿を見、いよいよ最悪のシナリオが動き出したのを感じていた。


「…時間がない。あずみ、E‐9を急げ。」


 しかし持ち前の立ち直りの早さをみせつけ、再びいつもの新堂にもどりつつあった。指示に反応し、あずみはナビゲーションルームの床に跪く。そして、コンコンと軽くノックをし、軽快にキーワードを紡ぎ出した。


『もうすぐお茶の時間ね。真は紅茶が大好きなのよね~。でもね、無粋な泥水は大嫌いなの。コーヒーと名の付く物は意地でも飲まないのよ。でも聞いてよ。キャラメルマキアートとキャラメルフラペチーノ、あとモカフラペチーノは飲めるって言うのよ。あれだってコーヒーなのにね。』


 すると、床に赤い光線が走り、〈EMERGENCY〉の文字が浮かび上がる。光線が文字の上に人がいないのを認識すると、音も無く床がゆっくりと持ち上がったのだ。そこには人一人が入るほどの大きさのツールボックスが一〇ケース収められていた。


「真ぉ、おっけぇよ。梨華ちゃん達にも通信出したよ~」


 あずみのあっけらかんとした態度とそのキーワードに一同脱力したのは言うまでもない。

 しかしそこはそれ、いいかげん彼女の行為に慣れたのか、現状が和みを与えてくれないためか、皆の立ち直りも早くなっていた。


「了解した。

 凪喪君、現時点よりDWプレーヤー主要メンバー全てのナビをしてくれ。

 集結ポイントは〈神代医大QZLの病室〉だ。

 他のメンバーは対E‐9装備着用。」


 新堂の指示が再び飛ぶ。凪喪憂子以外のメンバーは席を立ち、コンテナに手を掛け装備を取り出す。

それは、俗に言うパワードスーツと呼ばれるものだ。しかし、見た目には機械の塊にしか見えず、戦闘用とはかけ離れた外観となっていた。おそらく、初めて見た者は眉間にしわを寄せた事だろう。実際彼らも研修時にその疑念を抱いていた。だが、今ではそれが自分の身を護ってくれる事に疑いは無かった。

 機械の塊の中に、両の手形と仮面様の窪みがあり、そこに手と顔面を入れることで封印が解かれる。機械は息を吹き返し、まるで生きているかのように東城らの身体を被う。しかしその表面は、未だ機械部や関節が露となっている。


「〈アストマ内層〉展開」


 機械音声がなると同時に、ルビーのような赤色のジェル状の物質が全身を被う。


「〈エテューマ中層〉展開」


 続いてエメラルドグリーンのジェルが吹き出し、赤を覆い隠す。


「〈アッシャー外層〉展開」


 最後に現れたのは、鏡と見紛うばかりの白銀色をしたジェルであった。それは瞬時にして一つの形となった。

 表面は一つの突起も無く曲線を描き、鏡の様に風景を身体に映し出す。それはレーザー等の光学兵器を反射させる事が目的なのである事は自明だった。また幾層にも張られたジェル層は、物理衝撃に強い耐性を見せる事だろう。その内層ジェルも念の入ったもので、エーテル非伝導物質であるエテューマは、エーテルを主とする魔法、魔導兵器を無効化させるものであり、アストラル非伝導物質であるアストマは、アストラル系…すなわち精神に直接影響する魔法等を無効化させるものであった。さらにそれらに覆われ、背中に大きくせり出した部分は〈EAジェネレーター〉であり、対E‐9装備の全てのエネルギー源となっている部分であった。そう、ここまでの装備は対人間では必要がない。まさしくAシリーズに対抗する為だけに造られたものであった。


 かくて、新堂らDWチームの面々は第三勢力となった。


 ルシファーの力を利用し、人が人の意志を持ったまま生きている世界を求め、神の意志代行者たるミカエルと神敵サタンの戦いに生き残る為、参戦する事となった。


 新堂が持つディスクをDWシステムにアップする事で全ての戦いが動き出す。


 新堂は思う。世界の形が理そのものから変わってしまうスイッチが新堂自身の手に握られている事を。たかだか数年前なのに、地方出版社の物書きだった頃をひどく懐かしく感じている事を。『時が移り、所が変わろうとも、人の営みは変わらない。』そんな言葉が通用する時代が終わろうとしている事を。今まで自分の目的以外無関心であった新堂ですら、いくばくかの想いが込み上げてきたとでもいうのか。いや、そんな事は無い。それがなんだというのだろう。新堂自身、そんな想いはとうの昔に捨てていた。目的達成の為なら世界が変わろうと知った事ではない。


「始めよう。我々が生き残るために。」


『そして、弥生ともう一度出逢う為に…』


 新堂から、最後の指示が発せられた。


「全員、生き残れ。」


 ディスクがドライブに飲み込まれ、カリカリと読み込み音が響く。それはDWのみならず、現実世界をも巻き込んだ大きなうねりとなる歯車の音に聞こえた。


 始めは、たった三人だった。三人は三人に出会い、一人は幾千の駒を手に入れ、一人は幾千の母となり、一人は幾千の同胞を得る事となる。


 物語は、今ようやく動き出す。



(第八話 『三人』 了)

雨宮の三回目のリレーです。

宗教的なものも含め、謎が謎を呼ぶ展開になってきました。


実は、この物語、マトリックスが映画で先にやってしまったものだから、若干お蔵入りにさせていたところがあります。


本歌取りをしたわけでも、パクったわけでもなく、当時の僕らが皆真実紡ぎたいと思って書いていたことだけは明言します。


せっかく書いたのに、そんな発言をされるのも心外だな~と当時思っていました。


まぁ、もう昔話ですけどね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ